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投稿者: 豊穣 (ID:gXnBimVl3uI) 投稿日時:2018年 08月 17日 11:19
私の書き込みがもとで駄レスを誘発し、まことにご迷惑をおかけしました。
責任もありますので、避難スレとしてたてました。
排除の論理ではありませんが「事実に基づいて立論する」方が落ち着いて書き込めるようなものであってほしいと願っております。
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【5089596】 投稿者: 豊穣 (ID:a1SNI4VUNT2) 投稿日時:2018年 08月 20日 06:23
この点に関しては2025年さんに近いかもしれません。
「倫理」「法的整合性」は自動的に判別可能な基準ではなく、内実を多くの人が考える必要のあることです。
さらに、それらに適合する「可能な幅」の中でどこを選択していくかは基本的には主権者が決めていくべきことですので、前提として一般人が事実を知るということは求められるかと思います。 -
【5089648】 投稿者: 前衛党 (ID:nSx7mWDwmbA) 投稿日時:2018年 08月 20日 08:07
筋違いで珍妙なことを述べる人がいる。法律論で議論できないゆえの悪意ある印象操作との疑いさえ生じさせかねないものだ。
本スレで議論されているのは、憲法25条で保障された生存権のリーディング・ケースとしての『朝日事件』である。その当事者の気の毒な事情(事案の概要)、ましてやそのために誰が代理人に就いたかなどではないはずだ。重要なことは、そこから読み取るべき判例法理のエッセンスである。法学部のゼミでもそれにつき報告・議論されることになる。誤解なきよう、まず申し上げておこう。
そこで、最高裁が大法廷において―上告人死亡にも関わらず―「念のため」と称して本件生活扶助基準の適否に関する意見を付加した(最判昭42・5・24)。そのポイントは次の通りであった。
1.(憲法25条1項)は、直接個々の国民に対して具体的権利を賦与したものではない。
2.何が健康で文化的な生活であるかの認定基準は、いちおう、厚生大臣の合目的的な裁量に委ねられており、その判断は、当不当の問題として政府の政治責任が問われることがあっても、直ちに違法の問題を生ずることはない。
前述したように、これが最高裁が25条の法的性格につきプログラム規定であるとした指導的判例の中心部分である。だが、それにつき、学会からは今日に至るまで厳しい批判が寄せられてきたことは周知のとおりである。 -
【5089656】 投稿者: 桃李 (ID:m71uE0lJYZk) 投稿日時:2018年 08月 20日 08:20
「善良な国民」が、ある属性の人たちを集団でたたくことの異常性について思いを巡らせるべき。
医師がひとの命に関する問題を、自らの経験と財政の観点から、深い議論のないまま声高に主張する事に強い危惧の念を抱く -
【5089666】 投稿者: 桃李 (ID:m71uE0lJYZk) 投稿日時:2018年 08月 20日 08:31
国民の理解や了解など、いかようにでも誘導出来てしまう、という危うい事実について思いを巡らせて頂きたい。
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【5089673】 投稿者: 前衛党 (ID:nSx7mWDwmbA) 投稿日時:2018年 08月 20日 08:38
お答え申し上げる。
余談になるが、老齢になる私の母はかつて某大学病院にて看護部長を務めていた。長い職にある間、密かに特別室に入院した後の総理大臣や政府高官の様子を―守秘義務に反しない範囲で―後日母から耳にしたことはある。立派なふるまいの方もあったそうだ。しかし、私を含め多くの人々は医療現場の実際を知るものではない。だからこそ、あなたのご経験に興味と関心を有したものであった。
他方で、私たちの学問は法社会学のようにFWを要するというものではない。あくまで法解釈であり法史学・法原理の範疇にあるものだ。誤解を恐れずに申せば、基礎医学に当たるといえまいか。そのあたりの性質の相違につきご理解頂きたいと考える。
そこで考えるは次の通りである。
1.憲法25条の生存権を具体化した各法令の意味については、25条制定の趣旨に即して解釈されねばならない。法がわれわれの行為規範たる性格を有しているからだ。したがって、25条は法の「解釈原則」として立法府や行政府を拘束する。
2.また、前述最高裁の司法解釈による立法府の広い裁量権を認めたとしても(異論あるが)、立法府はその裁量の範囲内においてもできるだけ25条の精神に従った行為を行うべきだ。
3、ゆえにその法の支配のもとに行われる医療の場に際しても、上述の趣旨に沿った医療行為が行われることが法の要請だと考える。私があなたに求めてきた問題提起はこの部分であった。 -
【5089678】 投稿者: 豊穣 (ID:gXnBimVl3uI) 投稿日時:2018年 08月 20日 08:46
「研究者」の思考パターンが「非専門家」と最も異なるのは「文献批判」の重要性が身についているので「第一次資料」を重視するというところにある。
それをきちんと指導するというのが「大学」というシステムの意義の一つでもあるわけだ。
「前衛党」君は以前からその部分が問題外なので、自称研究者という部分を信用する人はすでにあまりいない。
それは自業自得というものなので、ご随意に個人の感想を述べていればよいのだが、この夏を通して明らかに悪質化したところがある。
それは「レッテル貼り」と「威圧」である。
「そんなことは教科書に書いてある」式の罵倒はずいぶん昔から頭の悪い人が良く使う言い方だが、それはネット言論の中でも醜い形で定着していた。
「前衛党」君はそこを「2025年問題」さんに指摘され、一度は不適切な発言だと認めたにもかかわらず、その後もあらゆる書き込みの中で乱発しているのに対して自覚がないのだろうか。
自分の言いたいことを言いっぱなしにする「自由」は存在すると思うが、それによって「自らの品性をあらわに見せてしまう」リスクも存在するので、平均的な知性の持ち主なら自制というものを学ぶことになる。
「朝日訴訟の最高裁判決を読み込みもしないで浅い知識で論じる」のは一般市民としても感心したことではない。
ましてや「研究者設定」なのだから、それに忠実であるほうが人に読んでもらえる確率は上がると思う。 -
【5089694】 投稿者: 豊穣 (ID:gXnBimVl3uI) 投稿日時:2018年 08月 20日 09:08
「根は悪い人ではない」というのはわかる。
知識が50年前で固着していると指摘されれば今年刊行された書籍の名をあげ、根拠となる知識に欠けていると言われれば、急に友達が増えて「厚生労働省の高級官僚」「空自の佐官」「大病院の看護部長(看護婦長でも看護師長でもなく部長なんですね?)」が初登場することになった。
伝聞に変わりはないが。
今後のラインナップも少し楽しみにはしている。 -
【5089724】 投稿者: 前衛党 (ID:nSx7mWDwmbA) 投稿日時:2018年 08月 20日 09:46
50年前の議論どころか、最新の問題意識である。
先にリベラリアンらとの議論に言及したこともその証左だ。
はたして50年前に彼等はどこに存在したというのであろうか。
フリードマンは、当時今ほどの発言力をわが国に及ぼしていたか。
君は、私に対する不可解な粘着によりその言動に混乱を来しているのではないか。
個人攻撃もたいがいにしなさい。君だけがひとり浮いている事実を自覚すべきだ。
他の方々は、品位をもった言動をなさっている。
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