最終更新:

114
Comment

【5293567】★世界で活躍しよう!!日本全国の仲間と学ぶ早稲田佐賀中学★

投稿者: 早稲田佐賀中学保護者より   (ID:S9BqxG2SiH6) 投稿日時:2019年 02月 03日 17:22

★明治維新で日本のために尽くした早稲田大学の父である大隈重信生誕地佐賀県に開学した早稲田佐賀中学。日本全国の子供達のために学校を作り教育制度や司法制度のインフラ整備を行った江藤新平はじめ、多くの鉄人を輩出した志が宝であるこの佐賀の地で、世界で活躍するための基礎を日本私立最難関の早稲田大学による充実した学習カリキュラムで学ぼう!!

★難関大学に6割〜7割が進学!!日本私立最難関の早稲田大学各学部への進学をはじめ、さらに難関国立や医学科への受験クラス有り!!様々な分野で活躍を目指そう!!

★日本全国から生徒が集まる日本有数のグローバル中学で仲間と文武両道に励もう!!
陸上、野球、サッカー、バスケ、卓球、剣道、弓道、ヨット、チア、文化部と様々な部活動が充実!!初心者でも経験者でもみんなで協力して挑戦しよう!!

★グランブルーで有名なジャックマイヨールが愛した唐津。美しい海に面した静かな城下町。東京駅、国会議事堂の建築に魂を注いだ辰野金吾も学んだ美しい唐津城敷地内の静かな校舎。食事の美味しい綺麗な寮。江戸文化の花、世界文化遺産の唐津くんちをはじめ豊かな文化とうまい魚や食に温泉、レジャーなど家族で楽しむ場も豊富!! 唐津バーガーはうまいよ!!

★未来は世界で活躍したいという志が高く、友達を大切にする心と目が輝いたみんなを待っている!!

【早稲田佐賀中学保護者の皆さんへ。共に情報発信していきましょう!!●他校関係者さらに成りすましの書き込みは完全にお断りいたします】

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

  1. 【5397861】 投稿者: 強者どもが夢の後「肥前名護屋城」  (ID:tY8q9LLgKz2) 投稿日時:2019年 04月 14日 14:17

    先月お城総選挙が放送され、姫路城・松本城・再建中の熊本城がランクインしていたが、影のお城総選挙があるなら、間違いなく肥前名護屋城と安土城がトップ争いしただろうと私は思います。

    先週1年生が研修で利用した波止岬もこの遺跡の一部ですね。

    肥前名護屋城は豊臣秀吉の唐入りのための大陸に近い肥前松浦の地に築かれ、城郭としては大阪城に次ぐ規模に日本中の102人の諸大名が陣を構えた日本最大の軍事拠点。建築は8か月という超短工期で九州の大名等によりつくられ、大天守の高さは32間以上(約58メートル超)で現在の大阪城とほぼ同じ高さで特に海側からの迫力にこだわったようです。参考までに姫路城・熊本城46~47m。ちなみに現存するのは石垣と 豊臣秀吉手植えの八重桜伝説が残されています。秀吉没後、城は解体され各大名の城へ移築。正式な記録が残るのは唐津と所縁の深い高橋是清出身の仙台藩である仙台青葉城へ移築された大手門で、焼失する前の戦前に撮影された写真はインターネットの画像検索で見ることができ、かなりの迫力です。また秀吉没後の加藤清正の熊本城築城にも生かされているようです。唐津市呼子には加藤清正と福島正則の陣営を2つに分けはじまった綱引きが400年経った現在でも行われており、呼子の大綱曳として毎年6月の第一土日で開催されているそうで観光客の飛び入りもできるようですね。

  2. 【5411443】 投稿者: 高橋是清  (ID:4QB8PFcTgS6) 投稿日時:2019年 04月 24日 21:21

    ときとして過激な言葉も言い放って憚らぬ是清である。どっしりとした風貌と押しの強さ、生来の明るさと些細なことに拘泥しない楽観的なところが安心感を与え経済界を安定させる大きな要因になっていた。
    ただ、春に起きた金融恐慌に対しては欧米のエコノミストからの非難にさらされた。第一次大戦終了後の戦後政策の失敗への手厳しい批判だけに日本の蔵相としては国内だけでなく世界的な視野に立っての釈明が求められる。

    大正九年九月、是清は「内外国策私見」と銘打った意見書を原首相に提出。大隈内閣時代、中国に突きつけた「二十一カ条」の要求の大幅な撤回。参謀本部の廃止。農商務省を廃止した農林省と商工省の設置。文部省の廃止など是清でなければ触れることができない領域に踏み込んでいくものだった。

    いつの世も手をつけなければいけないとわかりながら誰も手をつけようとせず先送りされることはあるものだ。

    なかでも是清が最も危惧していたのは軍部が首相や政府を露骨なまで無視してかかることだった。彼らが発言権を誇示することは国内の障害になるだけでなく日本が軍国主義であることを海外に印象づけることになる。是清はその危険性をひたすら訴え続けたのである。

    150年後の同地で学ぶ君たちに幸あれ。これから学ぶ君たちにも知ってほしい。いまそこにある問題に勇気をもって取り組むことが確かな人間力と信頼を育む源泉であることを。

  3. 【5417021】 投稿者: 第39回大隈祭  (ID:1QHzeFeTqnw) 投稿日時:2019年 04月 29日 20:17

    是清の政治のお話ありがとうございます。引き続き楽しみにしております!!

    今回は第39回大隈祭の案内です。5月12日日曜日に佐賀市の大隈重信記念館で10時より開催されます。オープニングは早稲田大学OGで北原香菜子氏の薩摩琵琶演奏。
    11時より早稲田大学文学学術院の大日方教授による
    「参議大隈重信の情報網」講演。
    11時55分より早稲田大学応援部による「都の西北と紺碧の空の奉納」があります。参加自由、入場無料。
    大隈重信の母、三井子の人生五訓や大隈重信侯の情熱を肌で感じることができます。受験生の小学生の皆さん。早稲田佐賀中学一年生の保護者の皆さん是非佐賀市の大隈重信記念館へ。

  4. 【5417754】 投稿者: 大隈重信侯のメッセージ  (ID:1QHzeFeTqnw) 投稿日時:2019年 04月 30日 13:00

    時代は人が造る。人は学んで造られる。絶えず学び、絶えず行え。

    「平成から令和」新時代を造る君達へ。

  5. 【5432521】 投稿者: 高橋是清 (最終回)  (ID:nZCsY2jsNEU) 投稿日時:2019年 05月 11日 19:10

    多忙を極めていた時から自分と家族のためだけの日常になっても是清の日課は変わりなく規則正しく過ぎてゆく。遅くとも六時には起床。持病に悩まされながら健康維持には誰よりも気をつけていた。十数枚ある雨戸を順に開け、朝風呂に浴し、静かに仏壇の前に座ると無心に経を読むのだった。
    そのころになると階下から良い匂いが漂ってくる。朝食の献立は、いつものとおりパンケーキといれたての珈琲。それに果物と卵料理だ。昼食は、飯一膳に生卵をかけ煮魚と野菜に汁物と果物。好きなたばこやビールも歳とともに減ってきた。

    政治の前線から離れても学びの姿勢は生涯崩すことはなかった。子供のころからエリート教育を受けてきたわけでないだけに自ら研鑽を積み好奇心と努力により知識を得る姿勢を当然のこととしていた。欧米の新聞や専門書を丁寧に読み込む習慣はどんなときでも変わらなかったし海外赴任や出張から帰国した者たちは見聞し感じてきたことを是清にぶつけ示唆を得て思索を深めるために私邸を訪ねてきた。そのため、たとえ現場を退いたあとでも是清のもとには常に新しい海外の経済情報が集まることにもなっていた。

    「閑雲野鶴」:かんうんやかく

    若いに求められると好んでこの言葉を書いて贈った。大空にゆったりと浮かぶ雲と広い野原で自由に遊ぶ鶴。潔白であれば心は悩み惑うことはない。常に愉しみ皆を楽しませるためにこそあるものなのだ。

    150年後の同地で学ぶ君たちに幸あれ。これから学ぶ君たちにも知ってほしい。どんな苦難に直面してもおのれを信じ常に楽観的に人生を楽しむことから拓ける道があることを。

  6. 【5437493】 投稿者: 万葉集 松浦佐用姫の詩  (ID:jhNunF60ewE) 投稿日時:2019年 05月 15日 17:54

    皆様 令和元年おめでとうございます。
    是清のお話ありがとうございます。最終話と言わずに引き続きお願いいたします。
    寮生保護者様はコールデンウィークの子供達との時間もあっという間だったと思いますがお母さん方元気を出してください。今回は令和で話題の万葉集の続きです。
    「音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が、領巾ふりきとふ君松浦山 」
    「海原の沖行く船を帰れとか、領巾振らしけむ松浦佐用姫」

    古代の時代から、この松浦(唐津)は大陸への出発地でした。その中で生まれた悲しい伝説 「松浦佐用姫と大伴狭手彦の悲恋物語」
    537年頃、新羅に出征するためこの地を訪れた大伴狭手彦と佐用姫は恋仲となったが、ついに出征のため別れる日が訪れた。佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振りながら舟を見送っていたが、別離に耐えられなくなり舟を追って呼子まで行き、加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまった、という言い伝えです。
    松浦山は鏡山のことですが神功皇后が367年 三韓征伐出陣時に勝利を祈願し鏡を埋めたことで鏡山と呼ばれるようになりました。その後537年佐用姫が狭手彦を見送りながら領巾を振ったことから領巾振山とも呼ばれています。
    佐用姫は弁財天のモデルと言われ、弟日姫子(おとひめこ)とも呼ばれていたようで 竜宮城の乙姫のようですね。
    ちなみに現在見ることのできる佐用姫像ですが 唐津市近代図書館にある博多人形師の宗田源造の作品はとても美しいですね。
    .

  7. 【5448462】 投稿者: 博多祇園山笠と秀の前の牡丹  (ID:eBwIEv4DMqI) 投稿日時:2019年 05月 24日 17:43

    松浦(唐津)は安土桃山時代まで松浦党の波多氏が統治していましたが
    太閤秀吉の天下統一後、松浦地方は大陸への軍事拠点となり肥前名護屋城の築城など領内の状況が激変します。大陸との交易で栄えていた博多 松浦(唐津から平戸、対馬にとっては大変な問題となりました。戦は始まり波多氏も戦地へ出陣しますが、領地没収がひそかに計画されていたようで 戦地での働きを疑われ、取り潰しとなった記録が残されています。しかし実は波多三河の守の妻である秀の前が大変な美人だったため秀吉が横恋暮し名護屋城へ呼び出した時に秀の前が身を守る懐刀を落としてしまったことが原因とも言われています。岸岳城は焼け落ちましたが、秀の前が大切にしていた牡丹の花を家臣が唐津市肥前の切子へ持ち帰り大切に育てました。これが樹齢400年を超える唐津市肥前町の切木牡丹だそうです。波多氏と繋がりが深かった博多の人々は同情し、博多祇園山笠の山に牡丹の花を飾るようになったそうです。祇園祭りは松浦地方へも伝わり海を渡る呼子の小友祇園や高さ15mの九州最大級の浜崎祇園、相知、北波多、肥前町と唐津内で見ることができます。

  8. 【5448467】 投稿者: 夏の風物詩 国際渓流滝登りinななやま  (ID:eBwIEv4DMqI) 投稿日時:2019年 05月 24日 17:48

    涼しい夏を満喫したい皆様へ 佐賀の夏の風物詩である 国際渓流滝登りinななやまが7月28日に開催されるようです。先着1100人のため定員に達しだい締め切りとのこと。玉島川の上流の滝川渓谷を、自然を楽しみながら、泳いだり歩いたりして約1.5キロメートル登ります。川から上がると、すばらしい渓谷の中の遊歩道を観音の滝まで登り、山里の景色を眺めながらゴールの鳴神の丘を目指します。詳しくは唐津市ホームページまで

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す