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投稿者: 紅茶 (ID:78..kIs.fs.) 投稿日時:2010年 10月 28日 08:25
現在年中の子供がおります。
私立小学校はイジメがあった場合、きちんと対処して頂けるのでしょうか?
学校によって違いがあるとは思いますが。
幼稚園とは違い、学校にそこまで求めるのはおかしいのでしょうか?
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【1947094】 投稿者: 可哀想だけど (ID:OgwVCzxsvz.) 投稿日時:2010年 12月 09日 17:48
あなたがイジメに合ってしまった理由、ちょっとわかるような気がします。
お母様のご様子含めて・・、なりきりさんかもしれないけれど。 -
【1947178】 投稿者: 思い出話 (ID:LcjZhn1zo8g) 投稿日時:2010年 12月 09日 19:05
私がかつて通っていた学校でも「聞こえるように悪口を言う」「わざと筆箱を落とす」
「~さんに鉛筆を盗られました、など先生に嘘の言いつけをする」「不名誉なあだ名を付ける」
「教科書や提出物を隠す・汚す」などの行為が行われていました。
伝統校として有名なカトリック女子校です。
娘の受験にあたって、どんなに教室の先生から勧められても志望校にはいれませんでした。
決してクラスで浮いている子だけを対象にしている訳でもないのです。
同じ仲良しグループの子にも同じ事をしていました。
あだ名などはそのまま中高に進んでも使われて、由来を知らない中受組の子たちも
そのまま使いますから、もうどうしようもないですね。
私も教科書を汚されたことがありました。
先生に叱られて説明しましたが「言い訳しないように」としか言われませんでした。
当時はあまりにも平然と行われていたのでそれらがイジメだとは考えもしませんでした。
暴力行為があったわけでもなく精神的に追い詰めるほどはやらないので、
当時は特に先生方も問題視しなかったのでしょうね。
あれから月日がたってそれらへの対応も変わったのかしら…
単なる思い出話で申し訳ありません。
閉ざされた女子の世界は難しいですね。 -
【1947488】 投稿者: 無宗教 (ID:hDWUMv4UP0o) 投稿日時:2010年 12月 09日 23:40
宗教があるとかないとか、学校の問題じゃないかと思う。
先生がどうにかしてくれるといっても、その先生の誠意がその子の心に響くのかどうか、というのは個々違うから。
家庭の育て方もあるけれど、やっぱり生まれ持ってんの性格が器、キャパシティが小さいとか、不安が強すぎるとか、そういう小さな人間性が、許容性を小さくして許せないとか、攻撃性に変わっていくのだと思う。
もともとの性格でしょう。
ニッポンは型にはまることで落ち着く神経質なA型が一番多いから。
その他は大変。 -
【1947648】 投稿者: やっぱり家庭環境 (ID:4jmXJM9zObw) 投稿日時:2010年 12月 10日 08:36
無宗教さま
やっぱり育ちでしょ。
生まれたときから意地悪なわけでもないし、キャパが狭いわけでもない。
もっとも影響されやすい母親の影響ですよ。
母親に常にプレッシャーをかけられることにどれだけ
心を痛めているかわかりますか?
母親の見栄が言葉となって子供を攻め続けているんですよ。
だから自分以外を攻めないと帳尻が合わなくなってくる。
私立生がのんびりおっとりの子供が多いなんて嘘。
子ども自身も見栄っ張りが多い。
親の目に映る子供と、親から離れたときの子供は違います。 -
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【1947764】 投稿者: 無宗教 (ID:hDWUMv4UP0o) 投稿日時:2010年 12月 10日 10:36
育ちはありますよね、母親や父親などの接し方がその子供に合っていない場合、問題を起こしやすいでしょうね。
でも、私立公立関係なく今の子供達は、昔に比べて、のんびりおっとりの子供が少なくなってきたなと感じますね。
少子化で親の期待度も大きく、大切に育てられて、欧米並みの自己主張、自己顕示欲を感じますね。
昔は、自己顕示欲が強くてわがままが過ぎるキツイ子は、学年に一人か二人いるくらいで、逆に特異な存在でした。まだ先生が威厳ある存在の頃です。和を保てないというか、前面に出すぎて、KY扱いでしたが、今は逆になりましたよね。。
のんびりおっとりの子のほうが、パッと素早く対応できないとKY扱いになるので、占める割合も逆転しているのでしょうね。
ですが、生まれた時に、遺伝要素としてのキャパが狭いとか、意地悪要素につながりやすい狭いこだわり、癇癪を起こしやすいキレやすさ、不安が強い小心者というのは、ありますよ。
緊張するとかアガリ症というのも、遺伝すると脳科学的に今は実証されていますよ。この遺伝子を持ち合わせている人はあがり症を持つ、などがあるのです。
遺伝子を調べれば、そういった細かな性格遺伝も分かるようになってきているのです。
確かに、癇癪持ち、夜泣きが強かった、という子供を育てるのは、お母さんは精神的にかなり大変です。
おっとりのんびりの子に、癇癪持ちだったとか夜泣きがひどかった、という話はあまり聞きませんから。
気が小さい子ほど騒ぎます。見栄っ張りというのも、人の目や地位など気にしすぎでやっぱり小心者の意識でしょう。本当の人間が大切にすべきプライドとは違うと思います。
親は、腫れ物を扱うように接して、自分に攻撃されることを恐れて強く出られずいいなりとか、叱るときも、警察が来るよと他人任せだったりする言葉掛けしか出来なかったりする育て方はよく聞きます。
だいたい多くの意地悪をしてしまう子の原因は、友達を取られないように攻撃するとか、仲間はずれにして安心感を得たいとか、強く見られたい、小さなことでも優越感を持ちたいなどのキャパの小ささによるものが占めるでしょう。
遺伝要素は大きいのですよ。
小さい頃は、母子二人きりで過ごす機会が多いですよね。さらに父親が家にいる時間も少ないと、母親にかかるプレッシャーは大きいですよね。
少子化の今では特に顕著です。そんな閉鎖されたような家庭環境も、今の子供達が自己顕示欲が強くなる原因につながるのかもしれませんね。
そんな親が言い聞かせたとして聞くわけもなく、自分よりさらに強気の子が現れたり、おとなしかった子分のような存在の子だった子達が徐々に自我意識が芽生え、いいなりになることに反感を持ち始めた時などに、人間関係が変わり、初めて気付くというパターンが多いので、学校側がなんとかしてくれる、というものでもないですね。
成長とともに、学ぶしかありませんね。
学校に期待しても仕方ないとは思いますが、私立では、一生懸命に取り組んでくださる先生は多いとは思います。
ですが、学校のアプローチの効果は期待できないですね。
育ちもありますが、もともとの性格ですから。 -
【1947838】 投稿者: やっぱり家庭環境 (ID:4jmXJM9zObw) 投稿日時:2010年 12月 10日 11:54
遺伝子と言ってしまったら発展性はないですね。
もともとの性格でいじめをしていいわけがありません。
母親として自分の子供を客観的にとらえて、
よそ様に迷惑をかけない人間に育てるよう努力していかなければなりません。
たいてい子供に問題のある人(親)は学校の親の間でも「・・・・?」と思われています。
誰でも私立に入れる時代ですから仕方ありません。
私立とはというのは私立で育った者にしかわからないですから。 -
【1947841】 投稿者: 正確には(横です。すみません) (ID:9UDyMKn1nwc) 投稿日時:2010年 12月 10日 11:58
>この遺伝子を持ち合わせている人はあがり症を持つ、などがあるのです。
ノルアドレナリンが分泌されると、あがり症の症状が現れる。
セロトニンの分泌量が少ないとあがりやすくなる。
セロトニンの量は5-HTT遺伝子によって決定される。
全員5-HTT遺伝子を持っています。確かに一般的な日本人のセロトニンの量は少ないようですが。
上がり症(劣等感・赤面症・予期恐怖・対人不安・書痙・震え恐怖・表情恐怖・多汗症・正視恐怖
視線恐怖症・唾恐怖等) はこころの発達とともに現れる、あくまでも後天的な症状です。
性格や育った環境、親からの教育や躾が大きく影響します。
>遺伝要素としてのキャパが狭いとか、意地悪要素につながりやすい狭いこだわり、癇癪を起こし
>やすいキレやすさ、不安が強い小心者というのは、ありますよ。
これも後天的でしょう。その種のまともな論文を読んだことがありません。
※もしありましたら私の勉強不足ですのでお詫びいたします。またお手数をおかけしますがぜひ教え
てください。 -
【1948937】 投稿者: 無宗教 (ID:hDWUMv4UP0o) 投稿日時:2010年 12月 11日 17:39
性格の遺伝は、日本では2、3年前までは後天性であるとされていたものですが、既にアメリカで発表され、日本でも脳神経領域では知られていることです。まだ、発表内容は日本語訳に訳されてはおりません。日本はアメリカ、ドイツに比べれば遅れているので、訳されてから一般に知れるようになるまでは時間がかかりすぎますよね。臨床実験にしても、他国より時間がかかりすぎるのもいつもの事ですが。
もともとでは元も子もない、とはそうでしょうか。
いじめをさせないような家庭や社会が育て方が分かれば、違ってきますよね。
緊張症くらいならば他人に嫌な思いをさせることも少ないでしょう、自分の葛藤が残るだけで。
ですが、不安が強いようなキャパの狭さ、こだわり、攻撃性は、ここが分かったことにより、その子達をどのように育てれば不安少なく和を大事に生きていくことが出来るのかを考えなければいけませんね。
お天道様が見ている、という言葉が浸透していた頃は(大昔ですが)、いじめを防ぐ一端を担っていたのでしょうか。
私自身は公立小出身ですが、蜘蛛の糸という話を道徳で習い、自分たちの行動、考え方についてクラスで考え合ったことがありましたが、自分の弱さについて真っ向から考えたいい経験になったことを覚えています。
物質主義になり、心の精神性というものが軽んじてみられるようになった今では、もう自分が悪いことをしたら自分に戻ってくる、と言っても、何言ってんだか、という感じで、利己主義に傾きますよね。
一歩手前のところで留まる気持ちが養えないのが日本の現状。豊かになったのと裏腹に、大事なところが抜け落ちた社会。哀しいですね。
道徳の時間も無くなったそうで、心について深く考える時間が少なすぎますね。
社会を見つめ直し、考え直すような一歩につながることが大事だと思いますね。
そういうことを考える大人が増えて、社会に浸透していくのなら、発展性があるといえるのではないでしょうか。