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【1291230】tomas

投稿者: 聖ドミニコ会   (ID:147vl2W0oRg) 投稿日時:2009年 05月 16日 08:01

13世紀のはじめのころ、南フランスのプルイユという田舎の小高い丘へ抜ける道を一人の托鉢僧が裸足で歩いておりました。その名をドミニコと言いました。
 当時、教会は様々な問題を抱え、苦しんでおりました。神はこのドミニコを使って、真理であるキリストの御言葉が宣べ伝えられるよう望まれたのです。ドミニコが聖霊に満たされながら設立した説教者会歴史的に大きな役割を担うことになりました。まさに、神は小さな僕を使って偉大なことをなさったのです。

 新しい世紀が開かれようとする時、問題を抱え、世界は混沌としております。第三次産業革命と言われ、「情報・技術」の飛躍的な発展が遂げられる中、命、時間、現実感覚、家族・人間関係・人格、民族、宗教、価値観、環境問題、対話・コミュニケーションをめぐる状況は著しく変わってきています。このような混沌とした時代に生きようとしている私たちにとって、聖ドミニコの信仰に根ざした生き方から多くのことを学び取ることができるのではないかと思っております。

 ドミニコ会は現代世界にあって、多くの国で神の御言葉を宣べ伝えるために、様々な働きをしています。

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  1. 【1291234】 投稿者: 聖ドミニコ  (ID:147vl2W0oRg) 投稿日時:2009年 05月 16日 08:07

    聖ドミニコ
     1171年頃、スペインのカレルエガと呼ばれる小さな村で生まれ、13世紀初頭、歴史が大きく変動する時代に活躍しました。

     彼が神学生であった頃、貧しい人々が飢餓で苦しんでいるのを見て、「人々が飢えで死んでいく時、死んだ羊の皮で作った羊皮紙の上で勉強することはできない」と自分の持ち物、大切な聖書まで売り払い、施しをしたと言われています。

     ある時、若いドミニコは司教のお供としてヨーロッパを北上する旅の途中で、カタリ派と呼ばれる南フランスを中心に広がっていた異端と出会いました。カタリ派は、罪なき善良な人々を偽りの教えによって窮地に追い込み、人々は脅かされ悲しい思いをしていました。 ドミニコはフランスのツールーズの宿主が熱心なカタリ派と知ると夜を徹して語り合いました。ドミニコはその時、決して相手を打ち負かそうとしたり、脅そうとする態度は取りませんでした。いかなる相手であっても、神からいのちをいただいた尊い存在であることを受け入れ、相手から学ぶために自分をも開き、相手の中にある真理を見出そうとして語り合いました。ここに本当の対話が生まれ、異端者、カタリ派である宿屋の主人を神の光の方へ導き、回心へと導かれました。

     このようにドミニコはいつも力によるのではなく、真理に基づいた説教、喜びに溢れた福音的な貧しい生き方によって、苦しむ人々の救済に貢献しました。南フランス、スペインで説教してまわりましたが、ドミニコの説教を聞いた多くの若者たちが感動し、ドミニコの魅力に惹かれて彼のもとに集まってきました。
    こうして「説教者兄弟会」すなわち「聖ドミニコ修道会」が誕生しました(1216年)

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