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投稿者: 受験生 (ID:VCA9xGeK2OY) 投稿日時:2009年 03月 10日 11:44
附高卒業生の茂木さんが 朝日新聞 「暮らしの風」に ご自身の卒業式の時のエピソードや高校生活について書かれた文が載っていたらしいので読みたいのですが、いつ発行されたものかわかりません。 何月号に載っていたか、またその文のタイトルなどご存知の方 教えて下さい。 よろしくお願いします。
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【2276483】 投稿者: 昔ホックをはずした頃… (ID:wLWUuPvCF.A) 投稿日時:2011年 09月 26日 14:42
だいぶ涼しくなり、また冬服を着る日が近づいてきました。楽なブレザーで中学3
年間を過ごすと、堅くて調整が利かないカラーは成長期の生徒に辛く、君が入学し
て数週間で我慢できなくなったのはわかります。
いまから30年近く前の1984年に出た「30年の歩み」という記念誌のなかで、当
時の同窓会長(1期生)が後輩のことを、こう心配くださっています。
「一期生の入学許可者は二百余名。制服制帽校歌ナシ。…(中略)…制服ができた。
詰めえりとセーラーは、どちらも調整が利かず、成長期のこどもには、ある時点から
窮屈になる。後輩には気の毒だと思っていたが、今や、あの制服にあこがれて入学志
願するという向きもある。伝統の一翼を担って、制服がひとり歩きしているのだから
面白い。」
創立当初、制服も校歌も間に合わず発足した学校に寂しさを覚えた先輩方。しかし、
念願の制服制帽ができると、それが窮屈に自分たちを縛りはじめた…附高の制服は、
できたときから、あこがれと窮屈さとのジレンマを背負う宿命にあったのでしょう。
それでも、君のような、附高の制服にあこがれて入学志願する生徒は、後を絶たな
いようです。
紛争でかちえた自由へのあこがれから、多くの男子生徒は申し合わせたようにホッ
クを外しました。ですが、小金井出身者は、中学で詰めえりだったからか、高校に
来てもきちんと制服を着ている生徒が目立ち、なかには、制帽をかぶってくる生徒も
いました。それが「浮いている」という意識は、彼らの中にはなかったと思います。
まだ第一ボタン外しは一般的でなかったので、ホックを外した生徒は、開いた襟元を
手で押し広げてさらに窮屈さから解放されようとして、茂木さんのブログの「なつか
しい校章」の写真のように、ボタンのあたりが型崩れていました。
あこがれていた制服、君のこだわりはわかります。まわりに流されず、自分の意志
でカラーの窮屈さを克服したいという考えを今ももっていれば、それにチャレンジし
てみるのは、悪くありません。終日ホックをしめているのが辛いなら、しめる時間を
決めて、それを毎日少しずつ長くしていく、上着の下に着るワイシャツを軟らかい生
地のものに替えて首まわりの負担を軽くしてみるなど、自分で工夫してみてください。
その3年間の経験は、卒業してから、きっと次第に甘い想い出として発酵し、自分の
自信となるでしょう。そして、茂木さんのように制服に愛着を持ち続け、この附高の
かけがえない伝統を、後輩にずっと受け継いでいってほしいと思います。 -
【3532873】 投稿者: 世界一受けたい授業 (ID:sLB481gkdQc) 投稿日時:2014年 09月 26日 08:38
茂木健一郎先生が、附高の制服を着て出演している日テレの番組動画をみつけました。ご覧になって下さい。
http://v.youku.com/v_show/id_XMzEyNDIzODYw.html
75分30秒あたりからです。
同時出演している開成高校生も黒ボタンの制服姿ですが、3人とも襟は開けています。
しかし茂木先生は、首が太いのにきちんと附高の制服の襟元をとめて出演していらっしゃいます。襟にはしっかり銀の校章も!
附高時代、きっとすごく真面目な生徒だったのでしょう。
それにしても、TVに附高の制服とは! 茂木先生は、今でもよほど附高を愛していらっしゃるのでしょうね。 -
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【4343081】 投稿者: よく (ID:GRFGPeQ9zoE) 投稿日時:2016年 12月 01日 01:29
よくサイズがあいましたね
昔からあの体型?
そんなにホックとめるかどーかって大事なはなし? -
【4344244】 投稿者: 自由の表現 (ID:38j.ORcUkt2) 投稿日時:2016年 12月 01日 22:35
>よくサイズがあいましたね 昔からあの体型?
たしかに、昔はもっとスリムだったかも知れませんが。でも、茂木先生のブログを読むと、自分の体型に合った附高の制服を、卒業後30年経って、もう一度新調なさったそうです! きっと、オーダーの特注だったのでしょうね。
>そんなにホックとめるかどーかって大事なはなし?
襟のホックは、激しかった紛争後、附高生はほとんど外して着るようになり、先生も黙認でしたが、まだ1970年代、他の中学・高校では、「ホックを外すのは不良の始まり」などと厳しく指導されていた時代でした。それで、附高生は、制服の襟元を開けられることを紛争後勝ち取った附高の自由の表現と考えていたのではないでしょうか。