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【1040458】筑附中の運動会をみて

投稿者: チェンジ   (ID:PFyvGASwlkU) 投稿日時:2008年 09月 27日 23:20

今年、始めて筑附中の運動会をみた筑附小より内部進学した生徒の応援者です。


隣の男性が、「こんな運動会だったら、見るに値しない。来年は考える!」と憤慨ぎみでした。

   雨模様もありました。
        自主運営の運動会運営の皆さんのご苦労も垣間見えました。


ただ、正直な感想として
「筑附小の運動会の良い部分を内部進学生は継承してくれないのかな!?」
と私も思ってしいました。


    お年頃だから。
  これが現代風だから??  筑附中の自主の精神の賜物?

        何かが足りないように見えます。ひたむきさかな!?
  ちょっと違う!適当な言葉が見つかりません。


勉強のできる外部入学生の中には、きっと色々な性格の人がいるでしょうね。
老成している子、嗚呼勘違い君、ヘビー反抗期の子、スーパーマン、女王様。。。
いいんです!多様性があって、その必要性があるんですから。


ただ、内部生と外部生の合体融合で
何か素晴らしい創造物が出てこないのかなあと思っています。


沈思黙考するに、本質的な解決策は「触媒」の必要性です。
それは、「筑附中の先生方の蔭のサポート」ではないかと思いつきました。


「生徒の自主性」→「幼稚園の自由保育」を連想させます。
自由保育は蓋をあけたら実はデタラメ教育でした。


匙加減はあるでしょうが、筑附中のチェンジを今後期待します。
特に学校先生方の参加を希望します。


みなさんの感想はいかがですか。

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  1. 【1040523】 投稿者: 外部の外部  (ID:2FBeeNQlFFM) 投稿日時:2008年 09月 28日 00:51

    内部生、外部生と言っている限り、見え方は変わらないと思います。
    我が家の子どもは筑波大の附属ではなく地方国立大の附属中生です。
    だったら黙ってろ!!といわれるのでしたらスルーしてください。

    内部生、外部生はどこでもあることですが、とかく自らと異なるものに対して、
    何かしら感じるものがあるのも仕方のないことだと思います。
    しかし、附属小は良かったのに附属中になったら良くない=外部生のせい
    ではないと思います。
    子どもたちは成長しています。良い様にも、悪い様にも。
    中学に進学する時にすべてが内部進学だったら良い体育祭になっていたでしょうか?
    これはなんともいえないと思います。
    我が家の子どもの通う附属中も「自由」なため、体育祭も傍から見ればとんでもない
    と思えるような状態です。これを見て、眉をしかめるのは1年生の親御さんが多いですね。
    そして、決まって内部生の親御さんは外部生が。。。外部生の親御さんは内部生が。。。
    少なからず、そんな感情をもたれていますね。
    しかし、2年生以上の親御さんはそんなこと思いませんよ。
    中学生が個々に持っている能力をあわせて、中学生らしく活動しているんだと思います。
    見守ってあげたらよろしいのでは。。

  2. 【1040589】 投稿者: まるま  (ID:xQZw5EfZt8w) 投稿日時:2008年 09月 28日 07:42

    「こんな運動会だったら、見るに値しない。来年は考える!」とおっしゃられた方は、来年何をお考えになるのでしょうか。
    確かに小学校の運動会と比較すると、先生の熱意がない、競技の練習がされていない、生徒の動きがきびきびしていない・・等、物足りなさを感じます。しかし、付属小と付属中は全く別個の学校です。それを同じ物差しで計ることはできないと思います。小学校と同じ運動会を期待するのは間違っているのではないでしょうか。
    生徒が自分たちで運営し、競技の練習もした結果です。今年参観して、生徒は雨の中がんばっていたと感じましたし、楽しかったです。

  3. 【1040783】 投稿者: 体育学校?  (ID:h/CBlY8hCYk) 投稿日時:2008年 09月 28日 13:31

    内部進学者の方の愛校心は理解できるのですが、まるまさんのおっしゃるとおり、
    附属小と付属中は全く別の学校ですよ。
    スレ主さんのこちらでの発言は、内部の方がまるで筑附をご自分の所有物のように、
    外部からの生徒を批判をしていらっしゃるようにとられかねないと思います。
    こちらの学校は、中学以降は体育学校ではないのですから、小学校のような運動会を期待されるのなら、事前によくリサーチされて他の学校に外部受験された方が良かったのではないのでしょうか?
    私学では、体育祭が名物の学校などたくさんありますよ。
    また、どんなに素晴らしい運動会でも、中学以降ではそこに先生方の手が入った途端、価値のないものになってしまうのではないでしょうか?
    もう中学生なのですから、多少おぼつかない部分があったとしても、自分達の手で運営するということ自体に価値があるのだと思います。
    いつまでも小学生気分が抜け切らないのは親のほうであるかもしれないと、自分自身も含め内省したいものです。
    学校や子供は親の所有物ではないのですから。

  4. 【1041074】 投稿者: ガウディ  (ID:UMF71DbO6yc) 投稿日時:2008年 09月 28日 20:26

    私は去年初めて筑附中の運動会を拝見しました。
    暑いなか、必死に走り回っている運動会準備委員会の皆さんに感心しました。
    そこまで細かくチェックしなくても…と思うほど真剣にルール通りに進行しようとしており、早く競技を始めようよ…と、思ったこともありました。チェンジさんのおっしゃる通り、もう少し完成度が高ければもっと感動を呼べるのにと、残念な部分もありました。また、運動会に限らず、学芸発表会や部活動や合唱など、先生方がもうほんの少し、手を貸してくだされば、見違えるほど完成度の高いものができるのじゃないか、もったいないなと感じることも確かにあります。
    けれども、それもみな生徒たちの自主性で進めているからなんだと気がついてかえって感心しました。
    先生方も、口も手も出さずに見守るにはそれなりの勇気と根気が必要とされると思います。指示待ち人間が増えているといわれている中、貴重な教育をされていると思います。中学でどれだけ素晴らしい運動会ができるかより、いまは試行錯誤しながらも、大人になったときに周囲をまとめられる精神力とノウハウを学んでもらえたらと思うようになりました。
    小学校がどのような素晴らしい運動会をなさっていたのか私にはわかりませんが、地元公立小学校時代の一糸乱れぬ組体操(それはそれで感動しましたが・・・)よりも、価値あるものと私は感じました。
    また、中学生世代はもっともっと冷めていたり恥ずかしがったり反抗的だったりするのではないかと危惧していましたが、ムカデ競争を見ても、リレーを見てもどれだけ真剣に取り組んでいるのかよくわかり、うれしくなりました。(今年の3年生のムカデ、早かったですね〜!!!)
    チーム演技も、聞けば自主的に練習するのだそうですね。ほかの委員会などの会合と重なると練習に出られない場合もあるとか。限られた時間によく頑張ったと思います。雨の中でもやめずに演技を続けていた姿には感動しました。
    個性派ぞろいの生徒たちが集まっている学校で、生徒だけであそこまでできたのなら大したものだと私は思いますが・・・甘いでしょうか?

  5. 【1042496】 投稿者: チェンジ  (ID:PFyvGASwlkU) 投稿日時:2008年 09月 30日 01:19

    皆様 コメントをありがとうございます。

    一点、私の表現の拙さをお詫びして訂正します。
    >筑附小より内部進学した生徒の応援者です。
    の「応援者」の表現ですが、「外部生の批判者」という意味ではありません。
    失礼いたしました。


    事実として、内部生と外部生の両者がいるのだから、それぞれの優れた部分が
    融合されて新しい校風が出来ないかなと思っているのです。


    筑附小と筑附中とは別ものですが、大きな流れの中にあります。同様に、
    筑附中と筑附高も別ものですが、連続性はある、否、なければいけないと思います。


    【生徒の自主性】については、義務教育中に殊更に徹底する必要はないのでないでしょうか。
    教えるとい「教」の字は、本来は「鞭で鍛える」という意味があります。
    中学校のうちは先生がしっかり関わり、直向な切磋琢磨を促してはどうでしょう。
    制服着用の中学時代くらいは、筑附中の優れた先生の人間教育を期待したいのです。


    心身(知徳体)を鍛える教育の原点に戻って欲しい。そのためには学校の関与は必要です。
    それは、クラブ活動への取り組みや、文化祭や運動会に現れると思っています。


    学校を訪問するたびに、何かのモノ足りなさを感じたので、思い切って投稿したものです。

  6. 【1043295】 投稿者: 中3母  (ID:MBS8VHVTGHA) 投稿日時:2008年 09月 30日 18:52

    チェンジさまの投稿を拝見し、わずか3年前、同じ気持ちになったことを思い出しました。
    なぜ先生方はもっと統率をとらないんだろう…もっと厳しく機敏さをもとめたほうが…などなど
    つい小学校時代のあの興奮するような競争の繰り返しの刺激を求めてしまっていました。

    でも、みなさんがおっしゃるように、小学校は小学校、中学校は中学校なんですよね。
    小学校は、先生方の熱意に子どもが振り回されている面も多々ありました。
    そして、先生の熱意の差で勝敗がわけられてしまうような、練習量の差までありましたよね。

    小学校時代、先生のもつストップウォッチが怖い、と子どもが言っていたことがあります。
    他部よりも一分でも一秒でも早くなるために、数々の練習と工夫と順番などを先生が中心に
    なってどんどん進めていきますよね、あの時は、子どもたちのほうも、その程度の力量でした
    から、あれはあれで楽しかったし、工夫すれば上がっていくタイムや順位にワクワクし
    お互いに練習を重ねていくことで能力もあがっていきましたが、どうしても、限界のある
    お子さんも当然いて、その子達をどこでどのようにカバーし、勝ち抜いていくかも、重要な
    課題で、先生や子どもの間で検討が繰り広げられるのが常でした。

    でも、他のお子さんにとっては、自分のチームの勝利のための作戦の工夫を語り合っていることが
    実は、あるお子さんにとっては、自分がいかに邪魔な存在で、負のポイントであるのかをただただ
    聞かされる(他の子達は決してそんなつもりもないのです。でも、そう受け止める子もいます)
    運動会が近くなればなるほど、みんなの士気も高揚し、ギリギリのタイムを競って繰り広げられる
    「作戦」を恐怖に感じるお子さんもいたはずです。早くもなく、遅くもなかったうちの子は
    それを見ているのが怖かった、といいます。

    かわって、中学の運動会は、最初は勝敗の競い方ひとつにしても、ギリギリを争っている、という
    必死さがあまりつたわらず、拍子抜けしたようにも感じますが、中学校生活で時間を重ねていく
    うちに、この運動会がどれだけの生徒達の努力と話し合いと熱意で作り上げられているのかを
    知ることで、見え方、感じ方が全然違ってきます。

    たぶん、いまそれをチェンジさんや、チェンジさんのお隣で憤慨しておられたお父様にお話
    しても、あの小学校の運動会にこだわりをもっておられるうちは難しいとおもいますが、
    筑波小ではなく、筑波中の生徒として、お子さんが時間を重ねて行かれるうちに、
    きっと、この運動会は、生徒自治を謳う筑波中らしく、そのほとんどを生徒の力で練り上げ、
    生徒が小さな係も含め全校生徒を動かしていることの素晴らしさが、伝わっていくといいな…
    と願っています。

    また、先生の出番というか、サポートについてですが、本当に必要最小限ですが
    危険な場面や判断が必要な場面では的確に指示を出しておられ、先生方の動きをみていても
    決して子ども任せでのんきにされている訳ではないと思います。子どもを信じて、任せ
    見守ることも、なかなか今の時代、難しいことだと思いますが、筑波の先生方はそれを
    敢えて示して下さっていると思います。

    お子さんが持ち帰られている、各色のリーダー達が配布する応援や士気高揚のための冊子や
    各係の生徒に配られる生徒手作りのマニュアルなどを見る限り、普段、国語で頻繁に文集を
    作ったり、学年行事を運営している生徒たちの学びが伝わってきます。

    ある一面を見て、学校や子ども達の持てる力を評することは、簡単ですが
    時間をかけて、筑波中の生徒として学んでいくうちに、運動会に限らず、委員会や、
    準備小委員会と名のつくところに所属する生徒達がどれほどの努力と時間を積み重ねて
    行事を作り上げているか、という「奥行き」を、いつか感じて下さると嬉しいです。

    我が子は来年で卒業ですが、小学校の運動会より、中学校の運動会の方が本当に自分らしく
    楽しめる、と言っています。また、最後の閉会式では、先輩方から受け継いだ伝統と
    自分に課せられた責務を果たし切れたかどうかを自問自答していたリーダーの挨拶に
    大勢の三年生が泣いていたそうです。

    3年経つとこう感じることもある、ということで…。
    長文、失礼致します。

  7. 【1043429】 投稿者: ガウディ  (ID:UMF71DbO6yc) 投稿日時:2008年 09月 30日 21:15

    別の面からひとこと…

    >【生徒の自主性】については、義務教育中に殊更に徹底する必要はないのでないでしょうか。
    >教えるとい「教」の字は、本来は「鞭で鍛える」という意味があります。
    >中学校のうちは先生がしっかり関わり、直向な切磋琢磨を促してはどうでしょう。

    確かにそうお考えの方もいらっしゃるでしょうし、多いのかもしれません。
    現にほとんどの公立中学・私立中学は、あらゆる面で先生方が生徒たちをしっかり指導されているのではないでしょうか。
    そうではないところが筑波中の一番の特徴ではないかと思いますし、うちの場合はそこに惚れこんで志望したとも言えます。

    また、附属の特性として、「こういう教育を受けた場合、どういう成長があるのか」という、ある種の実験に協力するような心構えが必要とされるのではないかと私は認識しています。
    附属の場合は、「こういう教育をしてください」と言える立場ではないのではないかと思うのです。
    もちろん、先生方に様々な要望や意見を申し上げること、子供のことで相談や意見交換をすることは歓迎されていると思いますが、教育の根幹をなすような方針については、学校の方針を受け入れる心構えで筑波生活を満喫されたほうが、実りある日々を過ごせるかと思うのですが・・・
    正直、時々歯がゆいような思いもしますし、先生方にもう少し関わっていただきたいと思うこともありますが、それも教育方針のひとつと自分に言い聞かせています。また、先生方の工夫された授業の話を聞いたときには、先生方に感謝すると共に、とても幸せな気持ちになります。

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