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投稿者: OB (ID:W6gKe4KU5Nc) 投稿日時:2008年 09月 15日 22:41
私がいた昭和50年代は学生運動の残滓から「受験競争なんてけがらわしいものにかかわる
ことは、はしたない」というムードが全学にあって、生徒側は表向き「教養の探究」と
「遊びの探究」に専念することが「おしゃれ」とされ、受験に真剣に取り組む学生たちは
「帰宅部」などとと呼ばれて蔑まれていました。また、学校側も進路指導などという
面倒くさいことは出来るだけやらないという姿勢で、学内模擬試験も順位の公表も一切
ありませんでした。「受験勉強したけりゃ勝手に駿台なり代ゼミにいけ」という感じ。
最近はどうなんでしょうか?
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【1027730】 投稿者: 国高 (ID:7Tn0YpcO2ks) 投稿日時:2008年 09月 15日 23:18
学校がかなり熱心に大学受験対策をサポートしてくれます。
勉強合宿のような行事もありますし、夏期講習などでも沢山の受験対策講座が開かれています。
どこの都立高校でも、学生運動による負の遺産を取り払おうと必死だと思います。
でも、受験一辺倒では決してないですね。特に国高は。 -
【1427624】 投稿者: 昔のOB (ID:ffLeDgacH/k) 投稿日時:2009年 09月 14日 01:46
古いスレッドですが、若い人たちが誤解するといけないので補足しておきます。
東京の公立学校が受験教育をしなくなったのは、学生運動の結果からではなく、東京都教育委員会の方針でできなくなったというのが真相です。
1965(昭和40)年11月19日付の都教委からの通達「入試準備教育の是正について」(教指管発第453号)の第一項冒頭で「入試を目的とする教育は行なわない。」と明確に指示しています。尚、この通達は、現在も都教委のWEBサイトの中の東京都教育例規集で情報公開されています。
ちなみに美濃部革新都政が誕生したのは、学校群制度導入後の1967(昭和42)年のことですから、上記通達も学校群制度の採用も保守都政末期に行われた施策です。
そして国高で高校紛争が起きたのは、このあとの1969年のことでした。 -
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【1428313】 投稿者: OB (ID:0nwLh1OOiOA) 投稿日時:2009年 09月 14日 16:22
これが悪名高いオビトラオが出した通達ですね。これが日本の公立高等学校没落の端緒となった文章ですか。いやあ勉強になります。ありがとうございました。これに直接は拘束されない私立の中高一貫校がこの通達の後、大学受験に特化したカリキュラムを組んで、実績を伸ばし続け、一方の都立高校は急速に没落していったと、こういうわけですね。東京都はこの通達を撤回しないのですかねえ。
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【1430195】 投稿者: 昔のOB (ID:m0ml.Kx1/s2) 投稿日時:2009年 09月 16日 00:22
そう、オビトラ、あの学校群制度を導入して旧制中学以来の名門校、一桁ナンバースクールを狙い撃ちし、凋落させた張本人です。でも国高は学校群制度から最も多くの恩恵を受けた高校だったと言われていますね。
高校紛争後の70年代前半に国高に入学しましたが、「学生運動による負の遺産」という表現を見て、国高はどうだったのかと考えましたが、そのような記憶がないのです。せいぜい生徒会長不在による生徒会活動の停滞があったかなという程度です。
一方、国高が紛争を経験することで獲得したものは少なくなかったと思います。紛争収拾後、生徒側の要求を採り入れて行われたさまざまな制度改革は、国高を大きく変え、今に至る国高の発展への引き金になったのではないかと考えるからです。 -
【1430906】 投稿者: OB (ID:0nwLh1OOiOA) 投稿日時:2009年 09月 16日 17:05
私は72群の入学卒業生ですが、私の入学時には、まだお隣さんのほうが世間的評価も実績も上でした。私は国高が距離的に近かったこともあって、国高バンザイでしたが。そしたら2年のときに東大合格者数でお隣さんを抜きまして、確か世界史の授業中に先生ともどもバンザイ三唱した記憶があります。それからはずっと国高優位で進み甲子園出場で人気に拍車がかかったような。甲子園出場を踏み台にする戦略をとる私立校は多いですが、これが公立にも当てはまるとは思いませんでした。学生運動で国高が得た成果とは、どんなもんでしょうか。制服の廃止とかですか。
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【1434108】 投稿者: 昔のOB (ID:m0ml.Kx1/s2) 投稿日時:2009年 09月 18日 23:03
私は紛争後の1970年代の入学なので69年の国高紛争で生徒たちが何を要求し、結果として何を勝ち取ったのかを知っているわけではありません。ですから、以下は私の個人的見解で多分に推論を含むものであることをお断りしておきます。
高校紛争後の国高で制度上最も大きな変化をもたらしたのは、大胆なカリキュラム改革だったと思います。紛争があろうがなかろうが、国高は授業内容や科目体系を見直す時期にあったといえるでしょうが、もし紛争が起きていなかったなら、あれ程速やかに大改革を断行することはできなかったものと思います。
即ち、進路別クラス編成をやめ、3年間クラス替えなしの担任持ち上がりとする。クラスを固定する代わり、大幅な科目選択制を導入し、また、卒業必要単位数を大幅に引き下げることにより、各自が必要に応じ自由に勉強したい科目を選べる、あるいは科目を選択せず、自分で勉強することも可能にしたわけです。当時、これ程生徒の裁量で科目を選んだり、選ばなかったりできる都立高校は他になかったでしょう。
また当初は、大学受験には全く関係ない選択科目も用意されていました。例えば、第二外国語としてのドイツ語やフランス語です。当時国高にはドイツ語を教えられる先生がいなかったので、隣町からはるばる足の悪い先生が毎週教えに来てくれました。旧制府立二中出身の隣の高校の名物教師でありました。
この時期に行なわれた一連の改革により、それ以前なら決して国高を志願することはなかったであろう多摩一円の学力最上位層をも惹きつけるような先進的で自由な魅力のある学校へと変化していったのではないでしょうか。
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