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【6479379】国語の成績と読書量などの相関性について

投稿者: そら   (ID:4FGFej4T.EM) 投稿日時:2021年 09月 12日 13:57

出来れば終了組の方や現6年の方にお伺いしたいです。

読書量が多いと国語の(読解)成績が良くなると、よく言われているのですが
実際受験を終えられてみていかがでしたでしょうか。
読書好きで最後まで国語が良かった(中学以降も良い)
読書好きだったが途中で落ちた
読書嫌いだったが国語は良かった、または良くなった
読書嫌いだし国語も悪かった

また国語について、最初の成績が良くても悪くても、結果的に成功したお子さんのご家庭はどのような勉強法をしていたのかとか、これをして失敗だったという事がもしあれば、それも参考にさせ頂きたいです。

できましたら大体の学年と性別もお聞きしたいです。
今後の国語学習の参考にさせていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

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  1. 【6480891】 投稿者: たぶん  (ID:P7OHGYY.QWU) 投稿日時:2021年 09月 13日 16:10

    読書、というと妙に狭く解釈する人がいるようですね。生物の本でも、歴史の本でも、読書に入ると思うのですが。

    活字を読む、に言い換えましょうか。

    国語のテストで心配がないなら、どうでもいいです。また、読書だけしていてもダメだとか、そんなわかりきったこともどうでもいいでしょう。浅すぎて。

    国語の勉強をしっかりやったけれど、成績が振るわなかったとします。6年で伸び悩むとか、6年で落ちてきたとか。そういうケースは少なからずあるでしょう。

    その時に、活字を読んできた子どもと、活字を読んでこなかった子どもでは、致命的な差があると思いませんか?
    国語の成績が低迷している、活字を読んでこなかった子ども、正に詰んでます。
    活字を読んできた子どもなら、まだ、救済のしようはあります。

    国語の成績と活字を読むことに相関はないんだと、安易に考えると、6年で詰みますよ。

  2. 【6480951】 投稿者: 逆に  (ID:4OPD7aNzo/s) 投稿日時:2021年 09月 13日 16:56

    >活字を読んできた子どもと、活字を読んでこなかった子どもでは、致命的な差があると思いませんか?

    うーん、正直なところ中学入試について言えば致命的な差があるとは思いません。最難関ですら合格ラインに到達するためにそんなに高度なことを要求されません。
    むしろ、活字を沢山読んできて伸び悩んでいる子と、読まずに伸び悩んでいる子だったら後者の方が救えるかもしれないと思う。

    詰むという表現がお好きなようだけれど、読書の効果を過信することの方が危険ですよ。
    何を言っても信じてもらえそうにないのでこの辺にしておきますが、致命的とか詰むとか断定せず様々な可能性を考慮した方が良いと思います。ある程度の傾向は有るにせよこどもの特性を全てパターン化することはできません。

  3. 【6480965】 投稿者: 国語女子  (ID:P7OHGYY.QWU) 投稿日時:2021年 09月 13日 17:13

    息をするように勉強して、息をするように読書する。
    別に国語の成績のために読書をしているわけではなくて、息をするように、自然に、です。
    アルファはみんなそんな感じかと思っていましたが、そうでもないのかな。医者や弁護士や学者になる人たちは、みんな息をするように本を読んでいるのかと思っていましたが。

  4. 【6480984】 投稿者: 読書  (ID:CkmcvMB2dw6) 投稿日時:2021年 09月 13日 17:29

    読書を過信してはいけないのはわかりますが、やはり入試のテクニックによって無事に難関中学に入学出来た場合、読書量が少ないと大変だと感じます。とにかく活字を読む量がすごいです。中学入試には読書はあまり関係ないかも知れません。しかし入ってからは違います。数学や英語が飛び抜けて出来る特別な才能を持っている場合は別として、やはり読書はいろいろな分野で大事ですよね。もちろん読書とは小説に限ったことではありません。とにかく活字を読んで理解するということですが。

  5. 【6480989】 投稿者: 一つの形  (ID:K4zkfmOG1fk) 投稿日時:2021年 09月 13日 17:32

    読書、というのは日本語(国語)に対する興味の一つの形に過ぎないでしょう。

    子供は小学校時代から東大受験まで、国語の成績や読解の鋭さが半端ではなかったと思いますが、読書はほとんどしない子でした。

    小学校時代に好きだったのはテレビを見ることで、いろいろなパターンの番組(ニュース、バラエティ、ドラマいろいろ)を見ながら、その表現の面白さについてブツブツ語っていました。
    特に、お笑い芸人の話術の凄さには一目置いていて、かなり研究していました。
    また、ニュース番組は局によって(番組によっても)原稿の書き方に特徴があるようで、それを指摘していたこともありました。〇〇テレビの原稿は上手だとか、下手だとか。

    それも、日本語(国語)に対する興味だと思っています。
    国語が得意になる方法は一つではなく、子供のように読書をあまりせず、テレビをしっかり見ることでも、可能なのでしょうね。

    なお、子供が読解について語っていた意見が、面白かったです。
    読解ではよく「主人公の気持ちになって答える」という設問がされますが、それを鵜呑みにして、主人公の気持ちになっていたら正解できないと。
    文章の作者の気持ちになったとしても、やはりダメだと。

    読解で確実に当てるには、その問題を作ろうとした学校や塾の先生の気持ちになって考えると、すぐにわかると。
    そうやって醒めた気持ちで文章を見ていたので、読書は好きになれなかったのでしょうね。

  6. 【6481002】 投稿者: 極論ですよね  (ID:2H/XtFZIfZg) 投稿日時:2021年 09月 13日 17:39

    うーん、たぶんさんのお話、どうしても分からないんですよ。
    論点として、

    「最後までどうしても子供の国語の成績を合格基準にまで伸ばすことができなかったときには、読書習慣をつけさせなかったことを後悔することになるかもしれないよ」

    という「後悔の形」を主たる論点とするならまだ分かるのですが、、、

    実際の状態としては、「致命的」とまでいう差があるというと極論だと思うんですよね。考察が浅すぎるというか。

    例えば、コミュニケーション能力のある子は活字を読むかどうかに関わらずポテンシャル高いと思いますし。

    個人差はあれど、基本的には年相応には言語を発達させて育ちますので、読書習慣がないことで伸ばすポテンシャルゼロの子なんていないと思います。

    仮に我が子が読書習慣無くて国語の成績が振るわないときに、読書習慣が無かったから「詰んだ」「救済の手立てが無い」とまで絶望することはなくて、先生に相談しながらできる努力を重ねるだけだと思うんですよ。

    繰り返しますが、結果が出た後の「後悔の形」の話としては分かりますけどね。
    そうやって後悔する可能性を減らしたい人は、読書習慣を身に付けさせておきたいよねという。
    読書習慣が国語の足腰的なポテンシャル育成につながるとは思いますので。

    でも、どう歩み寄っても、「致命的」「詰む」は検討の浅い極論かなと思いました。

  7. 【6481012】 投稿者: 違います  (ID:DSUOkjQCkys) 投稿日時:2021年 09月 13日 17:47

    息をするように勉強する

    このフレーズが独り歩きしてしまっているように思います。難関校の生徒全員に固定のイメージを押し付けて追い詰めないで欲しいです。

    >アルファはみんなそんな感じかと思っていましたが、そうでもないのかな。医者や弁護士や学者になる人たちは、みんな息をするように本を読んでいるのかと思っていましたが。

    これも残念ながら幻想ですね。。周囲にはあまりそういう方がいらっしゃらないのでしょうか?
    仕事上活字は確かに読みますが、好きかどうかとはまた別だと思います。

    目的を持って効率よく文章を拾い読みしたり、意見を簡潔にまとめたりする技術は受験が終わってからも役立ちます。特に読書が好きでない人にとっては重要なスキルです。

  8. 【6481024】 投稿者: 同意です  (ID:W1UJXpnTBeY) 投稿日時:2021年 09月 13日 18:01

    中学受験は経過に過ぎません。
    医者や弁護士が全てではありませんが、そのレベルで活躍する人たちは息をするように本を読みます。好きかどうかは別として。

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