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投稿者: サイレントマジョリティー (ID:hBhPR1jT7Yo) 投稿日時:2016年 08月 20日 16:21
北 一輝(きた いっき、本名:北 輝次郎(きた てるじろう)
戦前の日本の思想家、社会運動家、国家社会主義者。
二・二六事件を引き起こした皇道派青年将校の理論的指導者として逮捕され、軍法会議にかけられ、死刑判決を受け刑死した。
彼の処女は『国体論及び純正社会主義』
大日本帝国憲法における天皇制を激しく批判しており、
明治維新を革命とし「維新革命の本義は実に民主主義にあり」と述べている。
天皇の国家、天皇の国民ではなく、国民の天皇であり、天皇が一国民として、
一般の国民と共に国家のために行動する「公民国家」こそが、明治維新すなわち北が言う「維新革命」の本来の理想ではなかったのかと主張している。
内務省は、これを危険思想と見なし、直ちに発売禁止処分とした。
北は、要注意人物として特高警察の監視対象となった。
なお、この著作は、第二次大戦後、GHQが部分的に出版を認めた。
現在は全文を読むことができる。
天皇陛下を一般国民として自由にするという思想は
近代に入ってからだ。
天皇制の否定も言いようである。
2000年以上の歴史をなかったことにすることは
この世代によってされるのだろうか?
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【4230221】 投稿者: 危険な社会主義思想 (ID:GVrObIRMbgU) 投稿日時:2016年 08月 30日 16:36
北一輝も大川周明も、自他共に認める「社会主義者」ですから、共産主義に近い思想が入るのは当然でしょう。
共産主義は社会主義の流派の一つであり、しかも当時最も成功した(実践されている)社会主義だったわけですから。
そして近衛文麿、徳川義親、木戸幸一らの革新貴族も、社会主義者です。
要するに、この時期、若手の知識人の間には社会主義が流行っていたのです。
彼らの主義は国家社会主義と共産主義の中間に近いですが、その思想は「共産」ではなく「平等」です。
社会主義思想の中で共産主義を特徴付けるとしたら、平等を実現する方法として「資本(生産手段)を社会の共有物とする」ところにあります。
彼らの思想は、そこまでは踏み込んでいないように思います。(近い物があることは認めますが、共産主義の定義上、方法論の違いは決定的でしょう)
「同じく社会主義」というなら、まさにその通りですが。
同時に、彼らの思想が軍の若手将校に支持されたのは、それが国家社会主義的だからではないと思います。
軍部(軍指導部)の唱える国家社会主義は、第一次世界大戦の戦訓を元に、「国家総力戦を戦い抜くためには軍部独裁と資本集中を実現する必要がある」というところが要点なのだと思います。
これは経済的には大資本家の独占に向かう方向性を持っており、北らの思想とは真逆の方向性でしょう。
北一輝たちの昭和維新につながる社会主義は、困窮する農村と都市下層民を救うのが主目的で、そのために資本家解体の方向を持っています。
若手将校の主張はこっちです。
その点ではたしかに共産主義に近く、そして国家社会主義とはあまり相性が良くない組み合わせだと思います。 -
【4230237】 投稿者: Noisy Minority (ID:zG45vbnvvn6) 投稿日時:2016年 08月 30日 16:49
サイレントマジョリティさん
返信有難うございますが、伺ったことに答えて頂いていないような...。再質問します。
>日本が日露戦争戦費の大半4億ドルを賄う公債を出した時、引き受けたのはクーンローブですが、日本もユダヤの陰謀下にあったということですかね?
また、ナチス党を資金的に支えたのは、オッペンハイマー・ウォーバーグ等、やはりユダヤ系です。
どう考えられますか? -
【4230293】 投稿者: おしゃれ (ID:W9buwmV79Lc) 投稿日時:2016年 08月 30日 17:40
>日本が日露戦争戦費の大半4億ドルを賄う公債を出した時、引き受けたのはクーンローブですが、日本もユダヤの陰謀下にあったということですかね?
また、ナチス党を資金的に支えたのは、オッペンハイマー・ウォーバーグ等、やはりユダヤ系です。
どう考えられますか?
わかりませんか?
なんとなく私は想像できますよ
ユダヤ人を朝鮮人と置き換え
李承晩をヒットラーと置き換えます。
朝鮮人はソ連や中国からの弾圧よりも
日本で衣食住をすることで同化を好む人間(ドイツのユダヤ人)と
朝鮮半島に統一国家を目指す人間(イスラエル人)と
迫害を受けながら亡命を考える北朝鮮の人間(ソ連のユダヤ人)に
置き換えて考えてみて下さい。
李承晩を応援したのは朝鮮統一国家を目指したのは資金援助がなくではできません。
李承晩は独自の統一国家を目指すため資金援助を求めます。
同化している朝鮮人は職業差別によってマスメディアの世界で活躍しそれなりの業績をあげ資金力が抜群です。
同化している朝鮮人は統一国家をめざすため李承晩に援助します。
しかし李承晩は資金力を援助してもらっているにもかかわらず同化している同胞を侮蔑し独自の国家を形成するのです。
その時邪魔になるのは日本と朝鮮を自由に行き来できる済州島の人間が邪魔になるのです。自分の独りよがりの国家が形成できないからです。そのため赤狩りというレッテルを張って大量に同胞を虐殺したのでした。資金を援助していた同化した朝鮮人は自分たちの理想国家が李承晩では無理と判断し李承晩を打つために工作します。
北朝鮮の人間に反乱を起こすよう誘発するのです。
それが朝鮮戦争へと導いていくことにつながるのです。
話に無理があるかもしれませんが置き換えるとわかりやすいと思います。ドイツのユダヤ人が在日朝鮮人でイスラエル人が在米朝鮮人
ソ連のユダヤ人が北朝鮮となります。
ちょっと支離滅裂?民族統一国家を形成するために他民族は相当
苦労されてるのですね
日本は恵まれてます。感謝、感謝 -
【4230696】 投稿者: 二俣川 (ID:iF3K209qEKg) 投稿日時:2016年 08月 31日 00:30
>北一輝も大川周明も、自他共に認める「社会主義者」ですから、共産主義に近い思想が入るのは当然でしょう。
共産主義は社会主義の流派の一つであり、しかも当時最も成功した(実践されている)社会主義だったわけですから。
そして近衛文麿、徳川義親、木戸幸一らの革新貴族も、社会主義者です。
要するに、この時期、若手の知識人の間には社会主義が流行っていたのです。
妄想以外、表現しようがない。
30年以上前に流行った俗論がこうしてゾンビの如くもっともらしい装いで復活だ。 -
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【4230707】 投稿者: 大王 (ID:wRw7n9Vs8a6) 投稿日時:2016年 08月 31日 00:42
大川は満州事変に際しては首謀者の一人板垣征四郎と親しく、大川の弟子が結成した大雄峯会が柳条湖事件や自治指導部などで関わった満州国の建国を支持して在満邦人と満州人民を政治的横暴から救うという視点から「新国家が成立し、その国家と日本との間に、国防同盟ならびに経済同盟が結ばれることによって、国家は満州を救うとともに日本を救い、かつ支那をも救うことによって、東洋平和の実現に甚大なる貢献をなすであろう」と主張した(文藝春秋昭和7年3月号『満州新国家の建設』)
オランダの判事レーリンクもこの大川氏のことは印象深かったようで、後の回想で以下のように述べています。
「大川は『この裁判は正義の実現ではない、戦争の継続である』といったのだそうです。そういう意見を持つものは正常ではないと医師たちは言ったわけです!個人的には、私は、大川は非常に頭の良い人物だったと確信しています。頭が良すぎて精神の異常を宣告されたのです。彼は裁判の終わりごろに療養所から出てきました。彼は誰よりも頭が良くて、頭が良かったから患者を演じることができたのです」
さすが卑怯者病を装うなんて左翼的で笑える -
【4230711】 投稿者: 二俣川 (ID:iF3K209qEKg) 投稿日時:2016年 08月 31日 00:46
>さすが卑怯者病を装うなんて左翼的で笑える
意味不明 -
【4230732】 投稿者: 大王 (ID:wRw7n9Vs8a6) 投稿日時:2016年 08月 31日 01:28
左翼の弁護団の中には死刑廃止運動に熱心な弁護人がいます。東京高裁が常識を著しく逸脱し且つ刑事訴訟のルールを無視して
「公判停止」に持ち込もうとした「裁判引き延ばし」戦術は、到底、容認できないとの堅固な意思を示したものです。
例えば麻原彰晃(本名・松本智津夫)は、1995年5月に逮捕され、初公判は1995年10月26日に設定されたものの、
私選撰弁護人を突如解任したため、12人の国選弁護人が就任して初公判が開廷(1996年4月24日)されるまで、半年間が空転しています。
2004年2月に東京地裁の死刑判決が出るまでの8年弱の間、開廷された公判は257回に及び、延々と証人尋問が続きました。
国選弁護人への報酬は実に約4億5200万円に達しています。
第一審(東京地裁)の中途から、麻原彰晃の異常な言動が目立ち始め、弁護団が差し向けた六人の精神科医に対しても、
自ら精神病者を演出した可能性が非常に高いと言わざるを得ません。
第二審(東京高裁)の新しい私選弁護団(第一審の国選弁護人は退任)の態度は、特に目に余るものがあります。
悪質な「裁判引き延ばし」戦術によって、麻原彰晃事件の東京高裁での審理(開廷)は、皆無の(一度もない)状態を続けていました。 -
【4231616】 投稿者: Noisy Minorityさんへ (ID:hBhPR1jT7Yo) 投稿日時:2016年 08月 31日 20:03
バルフォア宣言
第一次世界大戦末期にイギリスがユダヤ人にパレスチナ国家建設を認めた宣言。
1917年 11月2日イギリス外相 A.バルフォアが,パレスチナにおけるユダヤ人の民族的故郷の建設を支持した宣言。バルフォアはそれをシオニズム運動の財政的な後援者であった L.ロスチャイルドにあてた書簡のなかで明らかにした。その文面の要点は「イギリスは、パレスチナにおけるユダヤ人の民族ホーム A National Home の樹立に賛同して、目的の達成のために最善の努力を払う」という点であった。それはオスマン帝国(トルコ)戦を有利に進めることと、ヨーロッパにおけるユダヤ系大資本の代表であるロスチャイルド家の支援を取り付けることを目的とした。
一方でイギリスは秘密協定であるフセイン=マクマホン協定ではアラブ人の独立を認め、サイクス=ピコ協定で戦後のフランスとの分割支配を密約していた。
(ドイツとフランスの戦いでフランスが負ければシオニズム計画は途絶えてしまう)
第二次大戦でイギリスは親ユダヤの姿勢を崩していくことになる。
中東のアラブ諸国家が「反ユダヤ」という点でナチスドイツと協調するという恐れを抱いた。イギリスは「ピール白書」を発表、初めてパレスティナをアラブ・ユダヤに分割する案を示したがアラブ高等委員会によって拒否される。
次にイギリスは1939年マクドナルド白書を発表、ユダヤ移民の規制、ユダヤ人による土地取得の規制、ユダヤ国家樹立を認めない、パレスティナをアラブ国家として独立させるといった内容であった。
1940年5月、ナチス・ドイツのフランス侵攻によってアメリカへ逃亡したユダヤがドイツを援助した。
イギリスはバルフォア宣言から親ユダヤから親アラブという方向転換する。
シオニズム運動はイギリスに絶望する。
上記の内容であなたの質問の回答になっているだろうか?
歴史的流れをみてこれをユダヤの陰謀という輩もいるが
私はそういった陰謀説は好まない。
あくまでも迫害された歴史が長くこれ以上の苦しみに逃れるために
どうすればよかったのか?ということであり
民族性ではなく人間の普遍的な問題(ISIS等)がずっとあることに
無力感を味わっている。
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