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甲子園出場後に見つけた夢 「自分を形成した」久我山の3年間

inter-edu’s eye

ラグビーや野球など全国レベルの実績を持つスポーツ強豪校であり、継続して東大合格者を輩出する進学校でもある国学院大学久我山中学高等学校(以下、久我山)。野球部は2019年に夏の甲子園出場を、今年3月の選抜野球大会では4強入りを果たしました。夏の甲子園出場時に主将を務めた中澤直之さんは、2021年から野球部の学生コーチを務め、2022年には保健体育科の教育実習生として生徒を指導し、今も母校とつながりを持っています。さまざまな立場から見つめた“久我山”を中澤さんに語っていただきます。

「やりたいことを全力でできる環境があった」男子部での3年間

インタビューに答える中澤さん

男女別学の環境を有する久我山。普段の授業は男女分かれてそれぞれの特性を活かした学びを行い、学校行事や部活動では協働して互いを高め合います。
中澤さんは高校から久我山に入学。ラグビー、サッカー、バスケットボール、陸上、野球のスポーツ推薦で入学した生徒が集まる“5組”で3年間を過ごしました。

礼節を重んじ心身を鍛える久我山の教え

高校生活はいかがでしたか。

中澤さん

久我山は人間力の育成を徹底していて、行事を通して内面が鍛えられました。そうした点では、研修会と武道の稽古が印象に残っています。
研修会は静岡で行われる宿泊行事で、クラス単位で団体行動に終始します。集団生活を経験しながらクラスメイトとの交流を深める研修会は、入学後、人間性を重視する久我山の教育に触れ、内面が磨かれる最初の行事でしたね。

行事での集団行動の様子

武道にはどんな思い出がありますか。

中澤さん

男子部では全生徒が柔道か剣道を選択し、3年間稽古に励みます。高2では早朝に寒稽古が、高2・高3で武道大会が行われます。稽古を重ねるうちに甘い考えは排除され、作法や姿勢、周囲への態度など人として大切なことが養われます。寒稽古をするのは真冬の早朝。寒いし痛いしつらいけれど、登校時に「今日も頑張ろう」と言い合える仲間がいたので続けられたし、終わってみれば「楽しかった」と思えるんです。
クラス対抗の武道大会では生徒が本気で試合に臨み、仲間の応援をして盛り上がります。高3の大会では僕のクラスが優勝したんですよ。

武道大会の会場
剣道の試合
武道大会で優勝した中澤さん

武道大会
剣道を選択した中澤さん。
武道大会では見事優勝してメダルを獲得!

ほかにも思い出深い行事はありますか。

中澤さん

久我山の学校行事はどれも楽しかったですね。僕がいた頃の体育祭では、3年5組限定のプログラム「集団行動」がみんなの注目を集めていました。クラスメイト全員で一糸乱れぬ緻密な動きを披露するのですが、そのパフォーマンスは1から生徒が考えなくてはいけません。5組にしかできない演目を是が非でも成功させたくて、構成は僕が全部考えて、率先して練習に勤しみました。本番で成功させたときの感動は大きく、仲間と喜びを分かち合えたことが良い思い出です。

集団行動
体育祭

3年5組による「集団行動」。
体育祭は男女合同で行われ、学校全体で盛り上がります

文化祭の様子
文化祭

「文化祭では、遊びに来た子どもにストラックアウトやティーバッティングを楽しんでもらいました。率先して子どもに指導するなど、部員の意外な一面を知ることができましたね」(中澤さん)

別学という環境で得た青春

ユニフォームを着た中澤さん

授業やテストにはどう取り組んでいましたか。

中澤さん

入学当初は久我山のレベルになかなかついていけず、苦労しました。授業は分かりやすく、先生は「分からなければどんどん聞きにおいで」と迎え入れてくださったので、部活動の前に数学や英語を教わったり、勉強が得意なクラスメイトに解き方を聞いたりして頑張りましたね。

男女別学という環境はいかがでしたか。

中澤さん

やりたいことが思いきりできて、生徒の個性がどんどん引き出される環境でした。僕自身、勉強とスポーツどちらにも集中できて居心地が良かったです。入学前の説明会で“きちんと青春”という学校の方針を聞いたときは「別学なのに……」と不思議に思いましたが、振り返って、自分がやりたいことを存分にできた高校生活は紛れもなく“きちんと青春”でしたね。

在籍した5組はどのようなクラスでしたか。

中澤さん

僕の担任は3年間持ち上がりで、野球部の監督でもある尾崎直輝先生でした。夢や目標を大切にして、人の信頼を失うことはしないというクラスの軸を作ってくださいました。高3で僕たちが甲子園出場を決めたときはクラスメイトが本当に喜んでくれて。予選の東京大会からずっと、みんなが応援に来てくれていたんですよ。僕はクラスでかけがえのない仲間と出会いましたが、久我山はどのクラスも仲が良かったようです。

恩師の言葉で決断した進路

校舎の前に立つ中澤さん

男子部には最難関国公立大を目指す「STクラス」、難関大合格を目指す「一般クラス優組」「一般クラス」、そして中澤さんが在籍していた「スポーツ推薦クラス(5組)」があります。
高3の夏に甲子園出場を果たした中澤さん。野球部での経験と進路についてうかがいます。

選手入場の様子

野球部主将としてどんな苦労がありましたか。

中澤さん

高2の夏、監督に主将を任されてからしばらくは何をしても思い通りにいかず、つらい日々が続きました。甲子園で1勝することを目標に、チームの雰囲気づくりから練習メニューの考案、それに加えて僕自身の技術向上にも努めなければいけない。しかも、久我山は勉強に支障が出ないよう部活動の時間に制限があり、全国大会常連校と比べると練習時間は恐らく半分以下。となると、練習の精度を上げるほかありません。考えて悩んで毎日頭がパンクしそうで、チームメイトや監督に相談し、試行錯誤する中で、自分の甘さや練習内容の薄さを自覚しました。その後、練習試合で負けなくなり、チームが変わっていく手応えを感じ、苦しく長いトンネルからやっと抜け出すことができました。

優勝旗授与の様子
表彰式の様子

まるで野球で課題解決学習に取り組んでいるようですね。

中澤さん

本当にそうです。限られた時間の中で目標を達成するためにはどうすればいいのか、逆算していつまでに何をすればいいのか、常に考えて行動していました。長いトンネルの中でもがいていた頃、僕は誰より早くグラウンドに来て、最後に帰るようになりました。先に来て準備すると、その日の練習のイメージが湧いて部員にやるべきことをスムーズに伝えられるし、帰りには翌日の準備をしておくことで、質の良い練習につながります。尾崎先生は僕を信頼して主将を任せてくださり、「その思いに応えたい」「主将として仲間を甲子園に連れて行きたい」という思いが活力になりました。僕は監督や部員、クラスメイトから良いところをたくさん引き出してもらって、考えに基づいて行動できるようになったので、「久我山の3年間で中澤直之という人間が形成された」と感じています。

高校卒業後の進路はいつ決まりましたか。

中澤さん

野球部を引退してすぐの高3の夏です。大学で野球を続ける道もありましたが、選手をサポートするための専門知識を身につけたいと思うようになりました。そんなとき、尾崎先生が國學院大學の人間開発学部健康体育学科なら希望の学びができるとアドバイスしてくださり、内部推薦での進学を決めました。久我山は他大学受験をする生徒がほとんどですが、内部推薦や指定校推薦も多くあるので、進路の面でも恵まれた環境だと思います。

「教える立場になって気づいた」久我山の愛のある指導

校門の前に立つ中澤さん

現在、國學院大學3年生の中澤さん。卒業後の日々についてうかがいます。

教育実習の感想を聞かせてください。

中澤さん

体育以外にも、さまざまな教科の先生方の授業を見学しました。教える立場になって、先生方の教育者としてのレベルの高さを知り、久我山の文武両道は先生方の質の良い指導で成り立っていることを痛感しました。
また、教員会議に参加したとき、勉強面で伸び悩んでいる生徒へのアプローチを相談するなど、1生徒のことを学校全体で見守っていることを目の当たりにして驚きました。久我山の指導の根底には愛があります。たとえ些細なことでも、生徒の将来を考えたときに良くないことなら先生方は厳しく指導します。これは教える立場になってやっと分かったことで、僕自身、高校時代に指導されたときは先生の本意に気づくことはできませんでした。教育実習を経て、在校生とは違う立場で久我山の良さをたくさん発見することができましたね。

このまま教師を目指すのでしょうか。

中澤さん

大学での学びはとても刺激的で、マネジメントなどスポーツ関係の仕事にも興味を持つようになりました。まだ3年生なので、もっと勉強して卒業後の道を考えていきたいと思っています。

編集後記

「野球部の仲間は戦友です」と語り、クラスや野球部で出会った仲間の話をたくさん聞かせてくれた中澤さん。卒業後も連絡を取り合い、食事をしたり、仲間の試合の応援に駆けつけたりしているそうです。中澤さんが久我山の高校3年間で得たものの多さに、ただただ驚かされました。

企画・編集:インターエデュ・ドットコム
提供・取材協力:国学院大学久我山中学高等学校