最終更新:

153
Comment

【139103】学問の目的

投稿者: ふと疑問   (IP Logged) 投稿日時:2005年 07月 24日 16:57

中学受験のとき、子どもに「何で勉強するの?」と尋ねられました。

私達の小・中学校の頃は、先生も親も
「どの様な分野でも、世の中の役に立つ人になる為、社会に貢献できるようになる為、学問・教養を最大限生かした時結果、自分の能力を生かしたという自己実現になる」
というような趣旨をいつも話し、また今でもそれが正しいと思っています。
子どもにも、その様な内容で答えたように思います。

最近の掲示板を見ていると、たまに、
医師・弁護士・一部上場企業などを目指す=出来るだけ偏差値が高い大学を卒業する=お金+ステータスGET
のようなご意見も散見されます。

皆様はどうお考えになったり、お子さんに同じ質問をされた時、どうお答えになっていらっしゃいますか?

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「親子問題に戻る」

現在のページ: 10 / 20

  1. 【145550】 投稿者: たる  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 03日 23:05

    今回の世間知らずな父親様のレスを拝見して、今までなんとなく腑に落ちなかった事が
    ようやく判りかけた気がします。
    つまり自由な勉強とは学校の枠にはまらないで、お嬢様の勉強への興味を
    なくすことなく、本当は大学受験と言う目標のために効率の良い方法を
    お嬢様の夢の実現のために模索いるという感じがしました。
    そしてそれなら、とても良く理解できます。
    家も学校の枠は小学校入学前から完全に無視していましたから。
    ただ、私と自由な勉強と言う定義が多分世間知らずな父親様と違っていた所に
    互いのずれを感じていたのかもしれません。
    また、いろいろお話お聞かせ下さい。


  2. 【145631】 投稿者: 世代交代  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 04日 00:24

    世間しらずな父親様
    前に立てられたスレッドからロムしておりましたので、状況はおぼろげながら存じ上げていましたが・・・
    気がついたことを申し上げます。

    公私にかかわらず体系的なカリキュラムは崩壊していると思います。
    子どもの努力にもかかわらず、理解しにくいカリキュラムになってきたのはいつのころからでしょうね。
    一般的に言われているのはS40年代に小学校のカリキュラムから生活単元が抜けたからだ何かの文書で読み、妙に納得しました。
    崩壊が決定的になったと言われるのはS50年代の削減だと言われております。
    体系数学はおそらくこのあたりのカリキュラムだと思います。
    多くの私立は体系数学ですが、そうでないところも旧単元を補って、このころのカリキュラムに修正しています。

    でもね、例えばS50年代改革のカリキュラムに戻したところで、また、今出ている体系数学のテキストを使ったら、
    子どもは数学が得意になると思えないのです。今の中高の数学をわかりにくくしているのは、理解の根源になる単元を
    ほとんど数Aに先送りし、操作だけの数学にしてしまっているからなのだと思います。(他教科も同じ)

    一部の私学ですが、単元リンクをさせています。
    社会で鎌倉時代をやるときは、国語で平家物語。英語で慣用的な言い回し(挨拶文など)をやっている間に国語で文法を
    (英語とに違いも比較しつつ・・・)、数学で図形をやったら美術でフラクタル図形をつかって包装紙をパソコンで作る、
    美術のデザイン単元でレタリングを覚えたら国語で本の紹介ポスター、理科で力の合成をやったら
    ついでにスカラー数とベクトル数についてふれる・・・
    娘の手が届かなかった学校ですが、こんな学校もあるのです。まさに総合力をつけるカリキュラムです。
    それでいて、テストは普通の問題です。みんな普通に順位争いをしています。

    私は地方の公立出身ですが、授業でドリルやプリントはやった記憶はほとんどなく
    何かにつけて作業が多かった様に思います。理論にまとめる前の地道な作業や、先生の横道は時間はかかりますが、
    習熟には貴重な要素だと思います。
    だからこそ普通に学校へ行っていれば・・・と亡霊のように語られる私のような方が後を絶たないのだと思います。
    父様を素晴らしいと思うのは、これをきちんと家で実践していることです。

    学問というものは試行錯誤して理論を構築していくものだと思うのですが、
    ひとつ習熟するのにたくさんのねたを扱えたほうがいいのだと思います。
    どこからどんなねたを集めるのかということが、つまりいろんなアプローチをすることが
    自由な学問だと思います。教員は本来このために研究会・研修・教材研究を行っていると思っていたのですが
    ???と思われる学校が多くなったようですね?
    理想を言えば、授業は試行錯誤の場であって、受験のためのトレーニングはせめて1年間でおさまってほしいと願うばかりです。

    娘は高入のある附属一貫ですが、高校入試の同日、同じ問題で卒業兼入試があります。
    こけると原級留置・仮入学・追認試験が待っています。つまり、学籍は確保できますが
    居場所として苦しくなります。・・・ある意味では公立のような・・・そんな感じで過ごしています。

    授業はあくまでも習熟のための授業(私が上記に示した自由な学問です)が、家庭学習はまさしく受験勉強です。
    苦しくなると、好きな教科に走ったり、我流の解答・説明を訴えます。でもこれは入試制度上<象牙の牙>なのだと思うのです。

    長文になりました。
    もしかしたら横にそれてしまっているかも・・・あるいはスレ違い?でしたらお許しください。


  3. 【145654】 投稿者: 世間知らずな父親の娘  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 04日 01:09

    こんにちは。この度父親にこの掲示板のことを教えてもらい、投稿させて頂くこととなりました。慣れていなく、書くのも下手ですが、よろしくお願いします。


    まず勉強は2種類に分けられると思います。
    それは目的のある勉強と目的のない勉強です。
    目的は何でもいいと思います。ただその目的があってそれを叶えたり得たりするために人は勉強をして学んで、頑張って目的を叶えていくのです。それが目的のある勉強。
    それに対して目的のない勉強というのは、本当に目的がありません。
    もし言うならば、自分の知的好奇心を満たすためというところでしょうか。
    ただ学びたい、知りたい、という気持ちだけです。他にはなんの意味もないし、目的もありません。例えば本屋さんに行って色々な本に目がいきませんか。これをしたいなとかこれをただ読んでみたいなとか。それが知的好奇心だと思います。私は今受験勉強ですけれども、目的のない勉強をできるとすれば太宰 治や宮沢 賢治などの人が書いた有名な本を読みたいです。そして私の学力ではその文章の良さは十分にはわからないので文章をかみくだいてくれる本などをまた読みその文章のよさを知っておもしろい!!と一人感傷に浸りたいです。私はこれを自由な勉強と思います。何にも囚われないで勉強をできるからです。

    目的のある勉強はまた二種類に分けられると思います。
    それは誰かのための勉強と自分のための勉強です。
    自分のためは例えばその自分が勉強した成果がでたものの付加価値などから自分の利益のようなものが得られることを目的とします。例えば受験勉強なのですが、その中でもただ自分の将来への不安をなくすためだったりするとこれにあてはまると思います。他には、自分が優越感を感じるためであったり、ただお金が欲しいということであったりみんな自分がらみのことです。これは悪いとは思いません。そんな勉強も必要であると思うし何にしろそれで自分の学力が手にいれられているわけです。ずっと続けていく勉強の仕方は一つではありませんから。
    それに対して誰かのための勉強は自分のためということは全くありません。本当に誰かのために自分が何かをしたいという気持ちがあればそれは誰かのための勉強です。それは受験勉強でもいえ、その中でもある職業についてひとの役にたちたいからこの学校を受験したいというのであれば誰かのための勉強です。それはどの場面でもいえると思います。そしてその勉強には責任があると思います。責任という言葉を説明するのは非常に難しいのですが、例えば若い医者が自分はまだまだと勉強をするとします。その勉強には責任があります。勉強をしたからにはその知識などは実際に生かされなければならないし、きちんと使いこなせなければいけません。それを知っていたのにできませんでしたでは言い訳にも何もありませんから。責任ある仕事(大体がそうであると思いますが)についた以上は自分の精一杯の力を出しその誰かのためにやっていかなければ。※自分のために仕事についた場合は除きます。

    私は今受験勉強で主には自分のために勉強しているところだと思います。でも将来は医者になりたくそのために誰かのための勉強をしていくつもりです。そして医者になれたら(なる以前もそうですが)、責任のある勉強をしていきたいです。そして最終的には自由な勉強をして気楽にやっていきたいです。そうして私は色々な勉強の仕方を通してやっていくのだと思います。みなさんもそうなのではないのでしょうか。

  4. 【145658】 投稿者: 世間しらずな父親  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 04日 01:29

    皆様いかがでしたでしょうか、娘に頼み込んでレスしてもらいました。
    内容に付いては、一切訂正していません。
    娘の思うようにレスしてもらいました。

    受験や、様々なことがあります。問題は子供がどう受け止めるかだと思います。

    私はいつも子供から多くのことを学んでいます。

  5. 【145697】 投稿者: 家では  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 04日 06:33

    世間知らずな父親様、お嬢様

    大事なことを読み落として感想を書いていたことがわかりました。
    お嬢様はいま公立の中学へ行っていらっしゃると言うことを読んでいながら、自分の
    日ごろから考えている教育のなかで公教育というものを遥か昔に否定してしまっていたので、ついつい自分の子育て観と比較して書いてしまいました。

    そもそも教育は親がある程度その子供の能力に合わせて伸ばしてやりたいと思っていたものですから、本も沢山よんでやったり、数に興味を持てば一緒に積み木で5の合成と分解から
    おしえてやりました。しりとりもすごかったですよ(笑)魚シリーズ食べ物シリーズ花シリーズいろいろやりました。
    ニュースなどもみればその地域の知識について解説したり、どう考えるか意見を聞いたり、
    それが自分たちとどのような関係があるのかについて話し合ったりしています。

    我が家ではそれがごく当たり前と思って育ててきたわけですが、公立の小学校では多少
    浮いていた面も否定できません。
    娘が中学へ入ってしばらくしてから言った事が忘れられません。
    「小学校の頃は、先生も自分に優等生であることを期待して、何かと言うと○子ちゃんが
    みんなのお手本にならなくては・・といわれていやだったし、友達との会話でも例えばある事柄を四字熟語などでたとえても誰もわかってくれなかったりしたけれど、中学へいったら
    普通でいられるからすごく楽だし、みんないろんな本を読んでいるので主人公の決まりセリフなどで答えてもわかる人がいっぱいいて話も盛り上がるし、毎日楽しくてしょうがない。」

    娘の通った学校は6年間一度も順位がつきませんでした。授業はアカデミックで受験を
    考えたら?マークのつく授業もあったかもしれません。
    学問は自分で学ぶものということが徹底されていました。
    6年間よく人と交わり、自分を見つめるということを学校としても力をいれてくださっていたと思います。人と比べないこともいつも仰っていました。

    このような環境で6年間過ごせたことは今の娘の財産です。私立が大学受験のために効率的なカリキュラムで勉強ばかりしているわけではありません。
    自分で考える。その大事さに気づくということが娘の学校でも我が家でも目標としてきたことなのです。

    お嬢様はとてもしっかり自分というものをもっていらっしゃるようですのでこの先何処へ行っても大丈夫だと思います。受験頑張ってください。

  6. 【145963】 投稿者: 人類の財産  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 04日 15:25

    ・「人類の数千年に渡る財産を知ることなくして死ぬな」
    ・「人間として生まれてきて、人類の知的財産を学ぶことなくして死ぬのはなんともったいない、人間として生まれてきた甲斐がないではないか」

    これは、私自身がマジで思っていることですし、小学生の娘には機会あるごとに開陳している意見です。特に図形なんかギリシア文明の精髄ですから、なるべく2500年前のギリシア人の名前を口にするようにしています。

    あっ、もちろん、現実的意図もありますよ。
    職業選択の有利化、社会での活躍期待度最大化、プライド確立、階層上昇など。

    けど、根本は、くどいですが、
    ・「きみ、人類の知的財産を知ることなくして死ぬことなかれ」です。
    学問は人間が人間たるゆえんのものですし、唯一他の種に対して覇権を唱えることのできる実質的根拠でもあると考えます。

  7. 【145984】 投稿者: たる  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 04日 16:06

    世間知らずな父親様、お嬢様すごいですねぇ。中学生でしたよね。
    私が中学生の頃を思い出しても、ただただお嬢様には敬服いたします。

    きっと立派なお医者様になって下さい。(間違いなくなれると思います)

    人類の財産様のお考えも素晴らしい。そうなると人は一生勉強していかなくては
    なりませんね。でも、本当にその通りですよね。

    ただ、私は人類の知的財産を学び尽くすには時間も知力も全然足りません。
     それでも、学びの欲求はあるのですが、少なくとも知識は私自身の
    世界もそして心も広げてくれる素晴らしいものという思いは感じています。

  8. 【146090】 投稿者: 私も気になっていました  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 04日 19:55

    世間知らずな父親の娘 さま、世間知らずな父親さま
    -------------------------------------------------------
    勉強の手をとめてお返事いただき、感謝いたします
    感謝の気持として子ども扱いの褒め言葉ではなく、
    対等な人間としてお返事をさせていただきます

    > もし言うならば、自分の知的好奇心を満たすためというところでしょうか。
    > ただ学びたい、知りたい、という気持ちだけです。他にはなんの意味もないし、目的もありません。例えば本屋さんに行って色々な本に目がいきませんか。これをしたいなとかこれをただ読んでみたいなとか。それが知的好奇心だと思います。
    >私はこれを自由な勉強と思います。何にも囚われないで勉強をできるからです。

    一般的にはそういった知的好奇心からの行動は「趣味」と呼ばれると思いますが
    世間知らずな父親様のおうちでは「勉強」と呼んでいらっしゃるのですね
    それで今までお話がわかりにくかったのだと思います
    勉強という字は強く勉めると書きますね
    気が進まないものを努力してすることを一般には勉強と呼んでいます
    学校の勉強でも楽しんでできるものがある場合もありますが、
    まったく自由に楽しむ知的好奇心はやはり趣味と呼ばれるべきです
    趣味と勉強が別物である、という話でしたら誰にもわかると思います
    私にもよくわかりました
    私の趣味も読書です
    読みたい本を読むのは本当に楽しいですね
    今は仕事のために読まなくてはならない本が多くて
    なかなかその時間がとれませんので、受験生の方の気持はよくわかります
    また資格試験のための勉強もしていますが、仕事のための資格のほうは辛くて
    これは勉強だと思います
    もう1つ趣味の資格試験の勉強もしていますが、これは勉強というより
    やはり趣味だと思います


    > 私は今受験勉強で主には自分のために勉強しているところだと思います。でも将来は医者になりたくそのために誰かのための勉強をしていくつもりです。そして医者になれたら(なる以前もそうですが)、責任のある勉強をしていきたいです。そして最終的には自由な勉強をして気楽にやっていきたいです。そうして私は色々な勉強の仕方を通してやっていくのだと思います。みなさんもそうなのではないのでしょうか。

    私の場合は自分の趣味(勉強)と仕事のための勉強があります
    仕事は他人の役に立つ仕事ではありますが、純粋に他人のために仕事をしているか、
    といえばそうとも言い切れません
    仕事である以上は報酬を目的とするからです
    無報酬で同じことをする余裕は私にはありません
    ですから他人のための仕事であり勉強ですが、やはり自分のためのものでもあります
    その2つは簡単に分けられるものではなく、また自分だけのための仕事だからといって
    責任を持たなくて良いわけでも尊くないわけでもありません
    そこのところは中学生ではまだ実体験がないので理解しにくいでしょうね
    報酬というものを計算にいれずに仕事について語れるのは、
    立派なお父様お母様がいらして恵まれた日々を過ごしているからですね
    その日々を大切にされて、今はまだいろいろな勉強(趣味)のすべてが
    人間として成長するためのものと考えていらっしゃれば良いと思います
    真剣なレスをありがとうございました



申し訳ありませんが、このフォーラムへの書き込み権限が無いようです。

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す