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【347944】たとえばお子さんのクラスに

投稿者: 本音   (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 17日 16:55

ここにいらっしゃる方々はみなそれぞれ、考え方も、教育方針も
とりまく環境も異なっていらっしゃるので、あえてお尋ねします。

塾をのぞく習い事や、学校の同じクラスに
たとえば、ある父兄から
「うちの子供には少し障害があり、普通学級で
すごすには若干のハンデがあるかもしれません。ご迷惑をかけることも
あるかもしれませんが、その辺を少しご理解いただいたうえで、
それでももし、気になることがあれば私の方まで
遠慮なくおっしゃってください」
というような告白があったとします。

家で、それぞれみなさんのお子さんに話をきいていただいても、
やはりその障害を持つ子供は若干動作が鈍いとか、
コミュニケーションで変なところがあるとか
思い当たるとお子さんが話された場合、どのように思われますか?

塾をのぞく・・と申しましたのは
塾は実力重視の世界で、しかも授業の遅れを生じるような子供が
いた場合、もしも学力が同じであっても困るとおっしゃるのは
わかるからです。
ですが、教育の場として、クラスなどやクラブ活動的なものに
居た場合は迷惑ですか?


ほかのお子さんに攻撃していくような乱暴ではない子供ですが、
一緒に遊んでほしくて、気が引きたくて、ランドセルに手をのせたり、
好きなお子さんに抱きついたりしてしまうところあるので、
それを相手のお子さんが必要以上に「嫌がらせされた」と受け取られないためにも、
あらかじめ事情をお話すべきかどうか迷っています。
また、教室の移動や、プリントの提出物など、
口頭で簡単に説明された言葉への理解がおそく、
時に移動先を間違えたり、宿題や提出物を理解していないこともあります。

ですが、ゆっくり説明すると、すべてこなすことができます。
文字を書くのは大変ですが、読むのは難しくて習っていない漢字もよめます。
計算はほかの方より早いのに、文章題の理解は遅いです。
ゲームのルールの理解がにぶくて、遊びについていけないけれど、
人に迷惑をかける遊び方はしません。

学校の先生からは「理解を求めるために保護者会で一言説明を」と
いわれました。ですが、ほかの教育者の方や、習い事の先生などからは、
「差別があって、理解してもらうための行動が逆に出る場合が多いから
やめておいたほうがいい」といわれています。

一見、普通です。でも複雑な会話のききとりや、友達とのやりとりは
やはりうまくいかず、喜ぶところの反応も人とは違うので、
女子からは排除されたり、男子からも攻撃をうけたりしています。

カミングアウトというほどのことでもありませんが、
事情を話すことは抵抗はありませんが、
今よりもっと差別の目でみられるのであれば、
それはやるべきことではないとおもっています。

障害に気づかずに、人とのコミュニケーションが下手だったり
成績が極端にのびないお子さんを育てていらっしゃる親御さんが
たくさんいます。
そのぐらい判断が難しい障害なのですが、障害である以上、
やはり多少は人のペースをくずすような迷惑がかかっています。
障害だと気づかないからこそ、容赦ないいじわるも受けます。


教育といいながら、やはり自分のお子さんとは近づいてほしくないと
おもわれますか?また、特別扱いを申し出るようなことになると、
あつかましいとおもわれるでしょうか。
ご意見をおきかせください。

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  1. 【349719】 投稿者: 感性  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 20日 10:23

     身体に障害がある=人とは違う。


     殆どの方がこう言う判断をされるのでしょう。
     一見、不自由に見えるけれど、ものすごく感性が優れている人、結構多いのです。 
     詩を書かせたら人並みはずれた視点を持っている、実はIQはものすごく高い、
     絵を書かせたら素晴らしい、など。


     日本人は、すぐに皆とちょっとでも違うと排除しようとする。
     国民性でしょうか。


     こう言う人たちは、本当に努力しています。
     みんなと同じだと認められたい、と常に思っています。
     また、こう言う人たちから、学ぶことってとてつもな大きいのです。


     小学校。。。ここで皆と同じに受け入れられたかどうかで、将来の道が開けるか
     どうか、6年間が決め手ではないでしょうか。
     どんな子供たちも、可能性は無限大なのです。
     

     まず、大人から代わりましょう。

  2. 【349736】 投稿者: お世話が必要な子です  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 20日 10:41

    2年生の息子がいます。心障級(ここで皆さんの言う特殊学級)に通っています。
    確かにお世話が要ります。お世話、お手伝い・・どんな言い方であれ
    必要なのです。助けてくれるお友達がいることに感謝しています。
    大人が思うより子供たちは自然ですよ。

  3. 【349747】 投稿者: 難しい  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 20日 10:53

    感性 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    >  一見、不自由に見えるけれど、ものすごく感性が優れている人、結構多いのです。 
    >  詩を書かせたら人並みはずれた視点を持っている、実はIQはものすごく高い、
    >  絵を書かせたら素晴らしい、など。


    そうですね


    >  日本人は、すぐに皆とちょっとでも違うと排除しようとする。
    >  国民性でしょうか。


    私は排除しようとは思いませんが
    そのような才能があるならなおのこと、
    普通のお勉強ではなく才能を伸ばす道や、
    身の回りのことが出来るようにしてやるべきではないでしょうか。


    >  こう言う人たちは、本当に努力しています。
    >  みんなと同じだと認められたい、と常に思っています。
    >  また、こう言う人たちから、学ぶことってとてつもな大きいのです。


    みなさんおっしゃっているように
    こういう場合、本人よりも周囲の人間が学ぶことが多いのですよね。

    >  小学校。。。ここで皆と同じに受け入れられたかどうかで、将来の道が開けるか
    >  どうか、6年間が決め手ではないでしょうか。


    それはどうなんでしょうね・・・

  4. 【349803】 投稿者: 私の子供の頃  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 20日 11:56

    私は小学生の頃、クラスで特殊学級の教室に給食を早く食べ終えて、紙芝居の読み聞かせをしていました。また、掃除当番もしていた記憶があります。
    数年前になりますが私が実家に帰った際、偶然、私が小学生だった当時、特殊学級にいたお子さんのお母様に会いました。
    「あの時は、大変お世話になり、どうもありがとうございました。今では、子供も大きくなり、働いているのですよ。」と大きな声で話しかけられた事がありました。
    私としては、子供の頃クラスで自然にしていた事だったので、もう20年以上も経っているのに、未だに覚えて頂いているとは・・・思いもせず、大変驚いた記憶があります。
    それだけ、その当時の方々は、冷たい方が多かったのかも知れません。

    その後、私は社会人になり、小児麻痺の方と一緒に仕事をしていたことがあります。私は、その方を一人の同僚と思って接していたので、ある時、その方から「差別しないでくれて、ありがとう」と言われた事がありました。ちなみに他の方々は、当たらず触らずという状態でした。今となっては、子供の頃の経験が、自然に出ていたのかも知れません。いろいろな勉強があるものです。


  5. 【349856】 投稿者: 本音  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 20日 12:54

    スレ主ですが、毎日拝見しつづけています。
    私が書き込むことでまたご迷惑をおかけしてはと
    遠慮していました。
    でも貴重なご意見の数々に、やはり一言お礼をもうしあげたくて
    でてきました。
    あとからもじっくり考えてくださった末での書き込みや、
    体験談などを書いてくださった方々、ありがとうございます。

    一方で、普通学級か養護学級かについては我が家でもかなり考えた問題です。

    我が家の場合は、今後、まったく視野に入れていないわけではありません。
    迷惑のかけ具合と相談しています。
    「迷惑がかかってからでは遅い」という意見もきこえてきそうですが、
    「どの程度の迷惑がどういう人(友達なのか先生なのか知らない人なのか)に
    かかっているのか」を見極めたいという意味です。

    子供の立場にたった意見を求めていらっしゃる方がいらっしゃいましたね。
    その方がおっしゃる「養護学級にいくべき」というレベルはどの程度を
    さしていらっしゃいますか。もちろん、我が家の娘のような子供から
    すぐにでも行くべきという意見もまたひとつの意見であり、
    障害をもつならば、どんなにすぐれていても行くべきという意見もまたひとつであり、
    あるいは、ひょっとしたら、「人に危害を加える」ということが基準なのか、
    自立できるか否かという基準ならば、
    自立とはどの程度をさすのか教えていただけないでしょうか。
    子供によっては「養護学級を嫌がる」という意志をきっちり示せることがあります。
    本人の意思を強く無視するのもなかなか難しいものです。

    人の能力といいますが、未熟な子供というのは、
    2つのグループに完全にわけてしまうことはできないようにおもいます。
    日本の教育制度で子供を2つのどちらかに割り振るというのが
    最大の問題点のように私は思っています。

    健常児と一言に申しましても、
    運動の出来る子、絵の上手な子、歌の上手な子や、お話の上手な子、
    そして勉強の出来る子・・勉強の中でも暗記は得意だけど図形は嫌いとか・・
    色々ありますよね。人というのは一直線の上に(きれいにとはいきませんが)
    並んでいます。まったくどの特技もどの成績もぴったり重なって
    同じところに存在する子供はたとえ双子でもないとおもっています。
    種目・科目が色々あるとわかりにくいので、仮に(あくまで仮に)
    4教科のテスト結果だけをみるとしますよね。


    健常児の方でも努力しても努力しても、
    親や先生が噛み砕いて説明しても、なぜだか一番いい成績のグループにはどうしても
    入れないお子さんもいらっしゃいます。
    努力すれば可能性はあるけれど、努力というそのものをしたがらないお子さんも
    いらっしゃいます。また、どこでテストするかという時期についても
    さまざまだとおもいます。子供はまだ未熟ですから、どこで
    どの能力が伸びるかわからないですよね。
    今国語の成績がいいからって、大学で国語力をいかした勉強にたずさわるかどうかは
    疑問です。九九がきらいだったのに、あとからぐんぐん算数を好きになるお子さんもいらっしゃいます。
    あるいは、あまり努力せずして、テストを見ただけで、「感覚」で
    点数のとれるお子さんもいらっしゃいます。
    今から「健常児を二つのグループに分けてください」と指示があった場合、
    どこから線引きできますか?
    AちゃんはBくんより、かしこい、でもCくんはAちゃんより賢いこともあるし、
    Bくんに負けることもある・・そういうレベルのところに多くの児童は
    固まって存在します。少し極端にその集団から離れて「できる」お子さんもいれば、
    「できない」お子さんもいるけれど、でもやっぱり線でつながってるんです。

    これは障害をもつ子供たちも同じです。限りなく健常児に近いか、
    ある部分ではその子達より秀でているものをたくさんもつお子さんも多いのです。

    少しレスの流れを拝見していると「軽度発達障害」という障害に
    誤解を抱いていらっしゃる方もおられるかなとおもっています。
    「障害の度合いが大きく」なってきている気がしているのですが、
    「軽度発達障害」というのはこの「偏差値的な成績」でみるかぎり、
    みなさんとほぼ同じ集団に属します。
    その中にたしかに苦手をたくさんもつ子供もいます。
    この同じ障害の中にもまた、レベルというか「程度」が一直線上につながって
    でもやはりちらばってある範囲の中で点在するのです。

    「理解がおそい」のは「理解の回路」がちがうからというだけの子供もいます。
    もちろん、そうでない子供もいます。
    回路が違うというのは、「教え方を変えれば、視点をかえれば」
    ほかのお子さんより「飲み込みがいい」というお子さんです。


    図形の解法が二種類あったとします。
    賢いお子さんは二つの解法を知っておくと便利だということで、
    両方マスターされます。ですが、お子さんによっては
    ひとつは簡単に理解できるから
    そちらのとき方で解くからもう一つはいいわ・・ともうひとつの解法を
    やりたがらないお子さんもいらっしゃいますよね。
    やりたがらないのは「理解しづらい」んだとおもいます。
    無理やりたとえるならば、そういう感じです。
    わかりづらい解法ばかりを勉強するので、
    遅れが生じます。
    教える方法を変えれば「なんだそうなんだ」と理解できるのに、
    黒板にたって一方通行の授業をされてしまうとお手上げなのです。
    文字も字がうまくかけないLDにとっては単調に丁寧に「繰り返す」ことばかりしても
    「まったく意味がない」のです。
    娘もそうですが、そういう努力は惜しまないのも
    LD児の特徴で、人より一生懸命
    何文字も書いて練習しますが、うまくいきません。
    筆圧からして不安定です。


    だったらやはり「特別な学級に」とおっしゃる方がおられますよね。
    難しいのはここで、「養護学級」はその子供たちにとっても「ちがう」解法しか
    教えてくれないということです。つまり軽度発達障害児の多くはどちらのグループにも
    属さないとも言えます。
    二つのグループがあって、どちらに所属しますかときかれて、
    選択するのは「親の教育方針」や「見栄」だけでは決してなくて、
    「子供の立場に立って考えて」みても迷うものなんです。


    IQで「知的障害」とみとめられるのは一般的に70以下とされています。
    ですが、この軽度発達障害という障害児はみなさんたいていの場合80以上を
    お持ちです。この知能テストというのは短時間に簡単な問題を
    どのぐらい解くかというようなテストです。幼児がうけるテストになると
    知能がはかれているの?
    というような質問の羅列です。それを「すばやく」解けばIQが高く、
    「ゆっくり」とくと「低く」でてしまいます。
    また「理解していても答え方があいまい」だと点数は低くなります。
    ですから、ひょっとしたら、健常児の中にも80を切るようなお子さんが
    いらっしゃらないとは言い切れないとおもっています。


    学校側で「成績じゃなくてIQできっぱりわける」という決まりがあったとしたら、
    大変な問題になるとおもいますが、いまのところ線引きはありません。
    「自立」できるかどうかで決める・・といわれても人によって
    「自立」という言葉の定義もあいまいです。
    「乱暴で周りのお子さんに対し、危険かどうか」であると、
    健常者の中の乱暴な子供はどちらに
    属するでしょうか。
    「字がかけない」ということだけであれば「耳」で授業を受け続けることは
    できないでしょうか。


    私がこのようなスレをたてたのは、我が家の場合は確かに
    人付き合いの点では苦手な部分もあり、それが攻撃という形ではなかったとしても、
    うまく遊べないことでご迷惑をおかけしていることがあります。
    小さい頃は、見たまま言葉にしましたから、たとえば、
    髪の毛がサラサラできれいなお子さんをみつけて、
    娘は「うらやましくてしょうがない」という意味で
    「髪の毛、滑り台みたい」といいました。「さらさら」という表現を
    しらなかったことや、そういう表現が相手のお子さんを傷つけるとは
    わからなかったのです。
    赤ちゃんが体の割りに顔が大きいというだけで
    「赤ちゃんって顔が大きいね、かわいいね」と大声で話してしまい、
    その近くのベビーカーづれのお母様の顔が何人か急変したのをおぼえています。
    自分のどんな発言で相手が傷つくか
    理解できないわけです。なぜ怒ってしまったのかわかるかと娘に聞くと「ほめたのに、
    きらわれた」とだけ言い、理由がわからなかったようです。
    あとは正義というのを勘違いしている節があるのと、
    周りのお子さんがよく使う言葉を「オウム返し」的に覚えることが多いため、
    低学年の子供たちがよくやる「先生ー、○○くんがねー」というような
    言葉を真似したがり、やたらと人の行動を指摘する時期もありました。
    「○○くんがシャーペンをもってきてる。いっけないんだー」とか
    「ひらがなでかかなくちゃいけないのに漢字で名前かいてる、いけないんだー」とか
    ささいなことです。ほかの一年生でもよくやる言い合いですが、
    なんとなくそれをいい続けると嫌われるとか、好きな相手には遠慮するとか、
    周りのお友達が傷つくようなことでなければ、いいつけなくていいというような
    生きていく術というか防衛の知恵が働きませんから、
    「指摘」したり「ほめることも下手」だったりしますから、
    当然相手のお子さんは不愉快になります。
    「いいつけて誰かをおとしいれたいとか、いじめたい」とかいう感情はないんです。
    皆さんと同じようなせりふを先生に言ってみたいだけなのです。
    だから後から「それって悪いことなの?いいつけなくてはいけないこと?」と
    きくと「うううん。いいたかっただけ、なんか言っちゃったの。」といい、
    誰がどんなことをしたかさえ、忘れてしまっていたりします。

    普通のお子さんがいいつけても指摘された人は不愉快でしょうが、
    ましてや、娘は自分のことが何一つきちんとできてないのに、人にだけは
    言うわけですから、
    腹がたつのは当然です。みんながいうから言ってみた、ただそれだけなんですよね。
    本当にいいつけなくてはならないほど「いけないこと」だと思っていたら、
    自分もちゃんとできているはずです。

    本当に「いいつけてもいいようなこと」たとえば
    故意にいじめられたことなどは逆に状況がうまく説明できないので、
    いいつけることができません。

    でもそこは両方訓練で経験パターンを記憶させながら、今は治ってきています。
    「いいつけたら後で無視されるか、足で蹴られる」ということを体でおぼえてきたみたいです。経験から動きますから、「初めての体験」には弱い部分があります。


    ここでの書き込みの上でや、娘のクラスメートの父兄から「養護学級へ」とおっしゃる方がいらしても、
    それはそれとして私自身は、貴重なご意見として
    あらためて進路を考える材料として素直に受け止めることができますが、
    私がこのような「軽度発達障害」を
    娘の例だけをあげてしまったために、同じ障害を持つ方に差別意識が生まれないか
    心配です。
    同じ障害をもっていても、症状は人それぞれです。

    そして、わが子のように昨日できなかったけど、
    今日はできる、パターンをどんどん覚えて以前より
    人とのコミュニケーションが自然だ・・というような、
    今後はどうだろう、どっちに傾くだろう
    という境界線のような症状をもっていると、
    たとえ障害名をつけられても、親は淡い期待を抱いてしまうのは事実で、
    また、学年の途中から養護学級への通級も視野にはいれていますが、
    娘の意識は高いので、それがどういうことを意味するのか、理解できますから
    その娘の気持ちもむずかしいです。ひょっとしたら
    トムクルーズさんのようになんの不自然さもなくなって、
    お友達がたくさんできて、特別な才能をいかせる仕事につけるかもしれないですよね。
    日本では坂本竜馬や織田信長もその傾向にあったといわれているそうです。

    ADHDのお子さんはじっとできなくて、手がでやすいという
    症状がある場合もありますが(しつこいようですが、
    同じ病名でもそういう人ばかりではありません)それが
    まったく「手に負えない」レベルの子供もいるかもしれませんし、
    危険が伴う場合もあるかもしれませんが、
    その多くの子供は「きちんとした理解者と指導者がいれば、
    症状はほとんど表にだすことなく生活ができる」のです。
    そのきちんとした理解者と指導者というのは、
    残念ながら、今の日本の教育では「養護学級」で行われていることでは
    ないように思うのです。

    娘のように感情をよみとる経験によって学習していく場合は
    健常者のかたの反応や怒りや、人との付き合い方を
    小学生が「道徳」などで学ぶように、
    その社会の中にいて、一つ一つ学ばせてもらわないと
    いけないものもあるのも事実です。

    LDというのは「ゆっくり」おしえたら、それで解決するものでもなく、
    「隔離」して「個人レッスン」すれば「子供も幸せ」というものでもないとおもっています。
    本当にLDやADHDや高機能自閉症などへの指導が充実したクラスがあれば
    我が家は間違いなくそこへの通級を希望しますが、
    現在の養護学級はそういう学校も出来つつあるようですが、
    わが校にはそなわっていませんので、
    そこのところの選択は今すぐにはできかねています。
    私立も調べましたが、なかなか編入できないのが実情です。



    私がここでもうしあげたいのは同じ病名の人を差別しないでほしいということです。
    で、それとは別に、我が家の場合にいたっては、いつもニコニコわらっていて、
    人を故意に傷つけることも
    しませんが、動作がのろくてはやはり迷惑がかかりますし、
    一番の負担の矛先はなんといっても担任の先生だとおもうので、
    そこに先生の手がかかるとほかのお子さんにも間接的に
    ご迷惑がかかるというのは否定できません。

    あくまで「娘のようなタイプ」におけるご相談だったので、
    「軽度発達障害」という文字だけで誤解されないように
    重ねてお願い申し上げます。


    大変長くなりましてすみません。

  6. 【349941】 投稿者: これからのために  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 20日 15:08

    スレ主さんへ
    迷惑迷惑って、迷惑かけない子供はいません。
    それをフォローするのが大人で、学校では先生方です。
    迷惑たくさんかけながら、みんな大きくなっていくのですから。いいんです迷惑かけて。


    小さい時に色々な子供と接することがどんなに大切かおわかりですか?
    世の中には、色々な人がいますからね。
    特に障害を持った人とのお付き合いは、自然に身についた人が”勝ち”です。
    「障害を持ったお友達とも仲良くしましょう。」と机上の論理が言いますが
    パニックになった乱暴なお友達(そのような障害)との一番の接し方は
    ”逃げる”そして”先生を呼ぶ”だと思います。

    そういうことを誰に教わるともなく自然に学ぶことが学校教育でとても大事に思います。



    小さい子供達にとってみれば
    障害者だから動作がのろいのではなくて、動作がのろい子だからのろいのです。
    だから、出来るまで待ってあげたり、手伝ってあげるのです。

    そういう持ちつ持たれつを排除する制度は、反対です。
    もちろん、その子にとって特殊学級や養護学校が居心地がよければそれはそれでよいと思います。
    実際に、友達の子が養護に移ってからメキメキ成長して、久しぶりに会ったら(初めて)私に挨拶してくれました。

    でも、普通学級に行きたい子や行ったほうが良いと思われる子供をNOというのは間違っている。
    それは、その子のためだけでなく、他のその他大勢のクラスの子供達の為にもならないからです。


    本音さん
    あなたの大事なお子さんをそして我々みんなにとって大事な子供達のために
    遠慮ではなく本音で一番良い道を見つけられることをお祈りしています。

  7. 【349944】 投稿者: 本音さま  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 20日 15:08

    わたしは、本音さまの心の健康が心配です。

    お子さまを心配するあまり、お母様の心がいつも痛めつけられてはいませんか?

    かつてわたしも同じような理由(子供がLD)から、うつ病になり、いまだに心の健康は取り戻せてはいません。

    今でもこうして毎日PCの前にすわっているだけの日々です。(アロマはしています)
    本音さまは、わたしとは全く違い、そんな心配は無用かと思いますが、お子さまだけでなく、どうぞ御自身の心と身体もご自愛くださいね。

    余計なお世話とも思ったのですが、本音さまのように真面目で他人の気持ちを思いやることのできる方のほうが、このような病気にかかりやすいのではと感じたものですので、差し出がましいのを承知で、失礼いたしました。

  8. 【349961】 投稿者: 古都  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 20日 15:53

     身体的な不自由さは、見てわかります(ご苦労は計り知れませんが)。精神的な不自由さは完全に把握することはできないと思います。たとえ、色々な検査をし障害名を診断されたとしても、医師により枠組みが違ったり、程度が違ったりします。

     極端なことを言えば親が心配していない子でも障害有りとでることもあると思います。人間はみな偏っていると思っています。

     中心におくものを何にするかで、障害が、人と人のかかわりの中で差し障りのあるものかそうでないのか、変わってくるのではないでしょうか。それは人間関係においてどのようにでもお互いの気持ちがあれば変化させられると思います。

     障害名(定義も医師によって違う)は親のためにあるものだと思っています。真剣に付き合う人のためにあるのだと思います。親の間違った知識でできない子どもに必要以上の強迫を与えないように、親をある意味諦めさせ、その子のあるがままを愛するため。普通であればできるでしょう、という間違った期待から開放するため障害名はあるのだと思います。(この普通も様々ですよね)また、担任などが指導する上でクラス運営や子どもたちに支障の少ないよう勉強するために、障害名があるのだと思います。

     どの、障害も一括りにはできません。レッテルを貼るためにあるのではないのです。「これは、当てはまらない、そうそう、こういう傾向はある。」親のために本人のために障害名はあると思います。親が追い詰められたときどのように対処すると子どもが理解できるのか、問題が起きる前にどのようなことが準備できるのかを学ぶために、障害名があるのだと思ってます。

     私は、何故こんなに息子に言っているのに分からないのか、どうしてそんな馬鹿なこと(人を傷つける行為や命の危険はふくみません自分が不利になるようなこと)をするのか、わが子だからこそ余計に腹がたち必要以上に叱ってしまいました。叱ることが必要なのではありません。できないことを少しでもできるように応援することが大切なのです。障害のためできないのだと思うと私が落ち着けるのです。成長を諦めるのではなく、少しでも前に進めるように、補えるように努力をすることを覚えてくれるように一緒に考えることができます。実は、健常児でも同じことではないでしょうか。

     唯我独尊で生きている人は少ないと思います。大人は、世間を見ながら行動のバランスをとることができます。子どもも失敗しながらも上手になっていきます。バランスをとることが苦手な子どもをその子にあったテンポで先生やお友達が助けることは思いやりだと思います。間違った行動をしたことがない人など居ないのではないでしょうか。

     すごく意地悪な質問です。答えが欲しいわけではありません。たとえば、障害があるけれどIQ137の子どもはどこで友達を作り、学ばせてもらえますか??探してみても、そんな子どもだけにぴったりのところは無いでしょう。最高の環境なんてあるのでしょうか。

     検査はその傾向があるとしか分からないものだと思います。IQにしても80だから、とか150だからとか一緒に小学校で学ぶ上ではあまり必要のないことだと思います。これも大人がレッテルを貼っているだけでしょう。

     子どもたちは誠実かそうでないか、意地悪かそうでないか、何が得意で不得意か等等、日々色々なことを感じながらお互いに学んでいるのだと思います。環境は大人の考えだけで整えたから子どもが思うように育つわけでは無いと思います。一見悪い条件に見えても、なかなかできない経験だったり、あとで思うと成長していたなど予想どうりではないことが多々あるのだと思います。

     多少の迷惑はお互い様で、どなたか書かれているように謙虚さと感謝の気持ちを忘れずに子育てしたいと思います。

申し訳ありませんが、このフォーラムへの書き込み権限が無いようです。

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