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投稿者: 情報提供 (ID:pX5idop6mSY) 投稿日時:2010年 03月 06日 08:30
藤沢数希氏のブログから
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51655722.html
削除のところは log.live
「それでは本命のサイエンスの分野はどうかというと、これがおどろくことに全然冴えないのだ。
よく知られていることだけど、大学受験では圧倒的な偏差値を誇る東大医学部からノーベル賞がひとつもでてない。
(もちろんノーベル賞がそんなにえらいわけでもないけど、他の尺度でみても東大医学部がライフサイエンスの世界でプレゼンスが高いかというと、あのスカウターがぶっ壊れるほどの受験偏差値から思えば、世界の中ではまったく地味としかいいようがないのである)
開成高校や灘高校を最上位の成績で卒業して、東大の物理学科や数学科でもトップクラスの学生が、どんなに天才なのかと思うかもしれない。
しかし、研究となると、これが全然大したことがないのだ。
実は、受験勉強や学部の勉強でいい成績をとるということと、学術研究するというのは、ぜんぜんちがうスポーツなのである。
これはゴルフとサッカーぐらいちがうといっていい。
簡単に説明すると、学術研究というのは、今まで誰もやったことがないことをやらないといけないのだけれど、これは教科書を勉強するのとは似ても似つかないものなのだ。
もちろん、教科書の知識は必要だけど、それはあくまで必要条件。
テストでは、教科書を正確に覚えて、手際よく問題を解かなければいけないけど、実際の研究では、教科書なんて必要な時はいつでも読めばいいし、問題を解くのにどれだけ時間をかけてもいい。
そもそも教科書に載っていないことをやらないと研究とはいえない。
僕は大学の学部でそんなに勉強をしたわけじゃないけど、なぜだか新しいことをして論文を書くのが得意だったので、世界的な学術誌にわりとポンポンと掲載されていたのだが、こういう受験でもトップ、大学の成績でもトップというひとでもそんなことがぜんぜんできない人が多かった。
いや、ほとんどの人ができなかったといっていい。
アカデミックの世界では、人類の知識のフロンティアをどれだけ広げられるかで評価されるので、大学の成績がいいとか、ましてや受験勉強がどれだけできたなんてことは何の価値もない。
ゼロ評価だ。
そして、そういう勉強の天才たちは、大学院で5年間もかけて、テーラー展開の3次の近似を4次まで拡張しましたみたいなしょうもない論文を三流ジャーナルにやっとのこと掲載してもらい、なんとか博士号をとっていた。
僕は、彼らのような勉強天才が、なんでそこまで頭が悪いのか不思議でしょうがなかった。
いったいどんな頭の構造をしていたら、そこまで勉強が有能なのに、研究が無能なのだろうか。
そして、困ったことに、アカデミックの世界では前者の価値は、完全にゼロなのだ。
まあ、僕はその後いろいろ思うことがあって、NatureとかScienceに論文を書いても、知らない人は何も知らないし、そんなことより何千万円も稼いで美味いものを食べた方がよっぽど幸せだと思い、金融機関に就職したわけだけど。
あの時の決断は今でも人生最良の決断だったと思っている。
こうやって、僕がのん気にブログを書いている間にも、やっとのこと博士号を取った元神童の人たちは、ポスドクや非常勤講師を転々としていた。
そして、最近、とうとうアカデミックな仕事がなくなってしまう人もでてきた。
(正直いってちゃんとした論文をかけないなら当たり前だ。同情の余地はない)
そんな彼らが今どうなったか?
ホームレス?
さすがにそんなことはないよ。
自分が一番輝いていたあの場所、温かくて、やさしくて、とってもいい香りがする母なる大地。
そう、SAPIXや日能研や四谷大塚の先生になって、小学生にいきいきと授業をしているよ。」
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【2978582】 投稿者: 野依先生のときは (ID:w3UWTE03dNc) 投稿日時:2013年 05月 23日 18:38
神戸一中はありません。
また、先生は附属住吉小から附属住吉中に進まずに灘中に入られています。
ただの救済学校から抜け出したと読んだ、ご両親の慧眼だったのでしょうね。
Tehu君のアイドルははずれだと思うけどねえ。
(文化祭がソースというと怒られるか) -
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【2979386】 投稿者: え! (ID:ZrkzlWePm1k) 投稿日時:2013年 05月 24日 12:05
野依先生のころは、あのへんでは灘が最難関です。
神戸高校が最難関だったのはそれより6年以上前のはなし。