在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
東大合格者数は果たして意味を持つのか?
受験勉強の成果が東大合格という勲章につながるが、果たして東大合格にそれほどの意味があるのだろうか?
周知のように東大理Ⅲは受験勉強の最難関だがノーベル賞はゼロ。東大から何か新しい病気が発見されたり新療法が確立されたなども聴かない。
受験勉強で点が取れるのと社会に出ての活躍とはあまり関係がないようだ。最近の総理に東大卒は居ない。早慶か成蹊、学習院、法政に神戸。
だとしたら、東大合格者数で高校の序列を語るなど空しい所業ではないか? 受験関係者は必死になって偏差値上げることに血道を上げるのだろうが、そんなことより社会に出てどれだけ世の中に貢献しているかで高校の価値を計るべきだろう。
書かれている通り、東大合格者数には意味はあまりないし、ほとんどの人が関心ないし各年代においてどんな活躍しているかがすべてかもしれません。
ただし、とりあえず東大に入ってそれなりの学問したい、あるいは最高学府と言われるところに行って学んでみたい人は一部いるわけで、それなら近隣でどんな中高があって入れるための学びは、と考えることもあるでしょう。
他に指標が無いから仕方がないのかもね。
ノーベル賞受賞者輩出とかでは該当者数が少なすぎて高校の実力とは言えないし。
政治家や経営者は二世も多いので高校の実力を比較するのには使えない。
難関国家資格である医師や弁護士の出身高ランキングとかであればそれなりに示すものにはなりそう
受験勉強が良くできるとは何を意味するのか?
勤勉。真面目。負けず嫌い。人に勝ちたい。など色々その人物の性格や気質が分かるのだろうが、結局は他人が作ったものを(教科書、塾講義)どれだけ受け入れ暗記して、必要な時(受験)にそれらの知識を活用できるか。
学問の土台として先人の業績を理解しよく咀嚼していくことは重要だが、その先は未知数。
何かを産み出す創造性や失敗を繰り返しても諦めない粘り力や、権威や従来の学説に異を唱える勇気なども問われない。
いわゆる学級委員的優等生が量産されるのが今の受験システム。 受験勉強がいくらできても突破力や周りを巻き込む統率力などがなければ社会に出て活躍できないでしょう。
松下や本田宗一郎は学歴がない。信長や秀吉なども馬鹿らしくて塾通いなどしないだろう。自分の頭で考え自分の行動から何かを学ぶ。
受験勉強がどれだけできたかで人材を選ぶ今の日本の方式では、この30年の停滞を打破できないのではないだろうか?




































