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【139103】学問の目的

投稿者: ふと疑問   (IP Logged) 投稿日時:2005年 07月 24日 16:57

中学受験のとき、子どもに「何で勉強するの?」と尋ねられました。

私達の小・中学校の頃は、先生も親も
「どの様な分野でも、世の中の役に立つ人になる為、社会に貢献できるようになる為、学問・教養を最大限生かした時結果、自分の能力を生かしたという自己実現になる」
というような趣旨をいつも話し、また今でもそれが正しいと思っています。
子どもにも、その様な内容で答えたように思います。

最近の掲示板を見ていると、たまに、
医師・弁護士・一部上場企業などを目指す=出来るだけ偏差値が高い大学を卒業する=お金+ステータスGET
のようなご意見も散見されます。

皆様はどうお考えになったり、お子さんに同じ質問をされた時、どうお答えになっていらっしゃいますか?

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  1. 【141133】 投稿者: 新聞から  (IP Logged) 投稿日時:2005年 07月 28日 04:42

    いつの新聞か分かりません。
    いつか、子供に聞かれた時読んで聞かそうと切りぬいて手帳に挟んでおりました。
    書いてみます。

    学校の勉強も頑張ってください。
    勉強を頑張るのは人に勝つことではありません。
    大人になった時、弱い人の立場にたって物事を考えるようになるためです。
    強いということは弱いものをいじめる事ではなく
    弱い人の為に戦える事です。
    強い優しい人になる為、勉強してください。

    7歳の女の子に向けての手紙、ということですべて平仮名でしたが漢字にさせて頂きました。

    これが正しい答え、と言えるのかどうかはわかりませんが
    私は当時、学生だったでしょうか・・・
    自分に貰った答え、そして、いつか子供に伝えようと思った内容でした。
    参考までに・・・

  2. 【141208】 投稿者: ドラエモン  (IP Logged) 投稿日時:2005年 07月 28日 09:52

    新聞から さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > いつの新聞か分かりません。
    > いつか、子供に聞かれた時読んで聞かそうと切りぬいて手帳に挟んでおりました。
    > 書いてみます。
    >
    > 学校の勉強も頑張ってください。
    > 勉強を頑張るのは人に勝つことではありません。
    > 大人になった時、弱い人の立場にたって物事を考えるようになるためです。
    > 強いということは弱いものをいじめる事ではなく
    > 弱い人の為に戦える事です。
    > 強い優しい人になる為、勉強してください。
    > ・・・・・・・・・・・・・
    > 私は当時、学生だったでしょうか・・・
    > 自分に貰った答え、そして、いつか子供に伝えようと思った内容でした。

    学生のときに、こういうものを切り抜いて持っていらしたなんて、きっとすばらしいお母様になっていらっしゃるのでしょうね。
    素敵な文章ですね。
    学校の各クラスに掲げておいてほしいぐらいです。
    ご紹介くださって本当にありがとうございました。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    世間知らずな父親様

    どなたか気を悪くされた方があったのでしょうか?
    そんなことないと思いますよ。
    ただ、あなた様があまりによく子どもさんの勉強について考えていらっしゃるので、
    一瞬ついていけない〈悪い意味ではなく〉でレスが出来ない方はいらっしゃると思いますが。かくいう私も、お書きになっていらっしゃることを何度も読み返し、昨日は寝てしまいました。

    お嬢様、精神科医を目指していらっしゃるとのこと、すばらしいですね、心から応援しています。
    確かに医学部は難関ですね。
    実は私も医者になろうと思ったことがあるのです。
    でも理数系が弱い私には無理でした。
    というかきっとそこまでの熱意もなかったんでしょうか。
    だから挫折というほどのものではないんです。
    ただ、その時、医学になんで数学がこんなに必要なんだ!などと思いました。
    人の気持ちがわかったり、深い考え方が出来たりということのほうが、お医者さんには不可欠な条件という気持ち、今も変わっていません。
    とくに精神科医はそういう気がします。
    でも論理的思考が必要でしょうから、やっぱり数学はそれを見る手段なのでしょうね。

    お嬢様のなさっていた「自由な勉強」、絶対どこかで生かされるときが来ると思います。
    悲しいことに、受験を乗り越えるには、「効率的な」受験勉強がやはり必要なのでしょうか。
    自己推薦のように思いのたけを話してとってくれるような高校は女子向けにはないでしょうか。その場合でも、例の忌々しい「内申点」で基準がかなり高く設けてある場合が多いでしょうか。
    公立中学から私立高に行っている息子は、「内申」が2足りなくて、一番行きたい学校の推薦に応募も出来ませんでした。
    テストであと10点ずつがんばれば2上がるかもと思っていたわたしは、
    「どうしてがんばらなかったのよ!」
    などと息子を怒ってしまい、
    「僕だってがんばったんだよ・・・」という返事を聞いて深く反省したものです。
    気持ちでがんばっても点が取れないときもある・・・・・。
    成績と言うのは理不尽なものですね。

    大学受験で増えているように、もっと独自の方法で「合った生徒をとりたい」と考える高校が増えたらいいと思っています。
    余計なお世話なことは重々わかっているのですが、お嬢様、大学で本当の勝負をなさったらいいですよ。勝負なんて、学問に関して使いたくない言葉ですけれど・・・・。
    見当はずれのレスであったら無視してくださいませ。

    スレ主様
    いろいろ考えさせていただけるスレをありがとうございます。
    あなた様のコメントはいつも温かい知性が感じられ、心地よい思いをいたします。

  3. 【141256】 投稿者: ゆば  (IP Logged) 投稿日時:2005年 07月 28日 11:16

    ドラえもん様へ

    ご質問いただいていたのに、なんと答えたら良いのかよくわからなくて、今になってしまいました。

    >あなた様はどういう高校時代を送られましたか?

    本はたくさん読んでいました。絶対的な受験勉強量は足りませんでした。それで浪人生活を1年送りました。浪人したことは、なんとも思っていないのですが、高校時代の「遊び」が足りなかったことは反省点となっています。

    「遊びの時間」も「遊び心」も足りなかった。そのせいで、大学での勉強に自由な発想と広がりを持たせることができなかったと思っています。限界って勉強量の足りなさだけではなく、無駄な勉強も含めた、遊びの量、無駄なことの容量の足りなさからも来るものだと思います。大学院に行くという話もあったのですが、自分の限界を感じていたので、行きませんでした。

    現在「社会で活躍」していません。社会でまだらに活動している程度です。

    前回書いたのは、そういう私から子供へのアドバイスです。子供はよく耳を傾けてくれて、自分なりに咀嚼してくれたようです。現在、大学生。私は親馬鹿なので、遊びと勉強の幅という点で、子供が自分を超えてくれたことに満足しています。

  4. 【141385】 投稿者: たる  (IP Logged) 投稿日時:2005年 07月 28日 14:15

    効率の良さって、社会にでてもすっごく大切な事ですよね。
    効率よく家事をてきぱきとこなしたり、仕事をこなせたら
    余った時間をもっと有効に活用できるようになります。

    効率よく勉強することも、試験とか受験で学べるものだと思います。
    良く遊び、良く学ぶ。そのために何が重要か見極め、やるべきもの
    捨てても良いもの、取捨選択を自分の責任でしていく。
    そんなことも学校の試験で学んでいけると思うのです。
    プロというのは、練習量だけでなく、効率の良い練習方法も常に考えていかなければ
    ならないですよね。
    ただ闇雲に練習していけばいいわけではない。
    芸術の分野も、スポーツの分野も素質以外に絶対的な練習量とその練習方法が
    大切なんだと思います。
    別にプロにならなくても良い、自分が好きだからそれだけで良いというなら
    それでもいいのでしょうが・
    勉強って体を鍛える基礎トレーニングのようなもので
    頭を鍛えるトレーニングの部分だと思うのです。
    その部分を飛ばして、教養をつんだり、専門職についたり
    社会人として大成しようとすると
    例え成功したかに見えても砂上の楼閣になってしまうのではありませんか?
    今はつらくても、基礎トレーニングは絶対必要不可欠な大切なものなんだと
    私は子供に良く話しています。
     最近斉藤孝先生の本を数冊読みました。
    彼も一時何のために勉強するのかその意味がどうしてんも判らなくて(教養とつけること
    は好きだったそうです)東大の国語の問題を何日もかけて解いてみて
    そしてその答えを見つけることが出来、その後東大に行くきっかけとなったそうです。
    まさに学問の目的について、書かれている本がいくつかありました。お勧めの本ですよ。

  5. 【141621】 投稿者: 世間しらずな父親  (IP Logged) 投稿日時:2005年 07月 28日 21:10

    新聞からさん

    コピーして子供に渡しました。ありがとうございます。

    スレ主さん、の書かれている内容はいつも私にとって考えさせられることが多く。
    学ばされることばかりです。ありがとうございます。

    ドラエモンさん

    娘の応援ありがとうございます。

    >実は私も医者になろうと思ったことがあるのです。

    夢は夢、将来のこと、楽しみにしています。
    待ち望む楽しみを娘は私に与えてくれました。

    ゆばさん、たるさん

    「自由な勉強」は某薬学部大学教授に基礎教育についてお伺いしたとき学んだことです。
    具体的には言われなかったのですが、逆説的な比喩でお答え下さいました。
    大学に入ってからが本当の学問なのに、受験勉強を中心にしてきたお子様は
    物事に対しての自分なりの考えが足りない、(暗記中心の学習)
    中学生の内に自分で考えるという行為を学ぶこと…自由な勉強…自立…
    と私なりに解釈したしだいです。
    勿論、これにはさまざまな指導を必要としました。
    個別指導の塾に中2の一年間通い、娘に合ったプログラムを組んでいただきました。
    「学校の成績を考えないで下さい」そういうことから始まりました。
    中2になった時点で中3の模試を受けるだけの勉強はすでにしていましたから
    (実際中3模試で偏差値60以上はありました…勿論公立向けの試験でしたが…)

    今サピ塾に通う状態で受験の勉強を学んでいます。
    その時期、その時期に合った方法を選択し、考えられるベストの方法で学んでいます。

    今夏季講習で毎日通っています。

    遊びの時間の必要性…無駄な時間の必要性…逆説的なことですが
    今、このことについて真剣に考えなければならない時期に来ているのだと思います。
    このことについて教えて頂ければ幸せです。

    すいません。長々と書きこみ、レス主さんの優しい好意に甘えてしまいました。

  6. 【141622】 投稿者: 世間しらずな父親  (IP Logged) 投稿日時:2005年 07月 28日 21:01

    たるさん

    >最近斉藤孝先生の本を数冊読みました。

    なにか本の題名だけでも教えて頂けないでしょうか。
    よろしくお願いします。

  7. 【141672】 投稿者: たる  (IP Logged) 投稿日時:2005年 07月 28日 22:13

    斉藤孝先生の本はいっぱい出ていますから、私もどれに何が書いてあったか
    正確には思い出せませんが、「母親塾」、「勉強力」などだったように記憶しています。
    私自身は良いと思う本はすぐ人に勧めて貸してしてしまうたちなので
    今手元にないので題名もあやふやなんですが、多分この題名だったと思います。
    あまりお役にたてなかったらごめんなさい。
     お嬢様の夢がどうか叶いますように。心から応援しています。

  8. 【141803】 投稿者: ゆば様  (IP Logged) 投稿日時:2005年 07月 29日 01:49

    ゆば さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 浪人したことは、なんとも思っていないのですが、高校時代の「遊び」が足りなかったことは反省点となっています。
    >
    > 「遊びの時間」も「遊び心」も足りなかった。そのせいで、大学での勉強に自由な発想と広がりを持たせることができなかったと思っています。限界って勉強量の足りなさだけではなく、無駄な勉強も含めた、遊びの量、無駄なことの容量の足りなさからも来るものだと思います。大学院に行くという話もあったのですが、自分の限界を感じていたので、行きませんでした。
    >


    ドラエモンです。
    (このHN、なんでも解決できるポケットもってたらいいなと思ってふと付けてしまったのですが、なんかふざけていてこのスレにはふさわしくなかったようですが。)
    質問を覚えていてくださってありがとうございます。

    遊びが足りなかったというのは、受験勉強に追われていたから、ということですか?
    〈すみません、また質問してしまって・・。〉

    わたしも高校生のとき、「遊び」は足りなかったしできなかったし、やり方も知らなかったとおもいます。
    高校が付属だったので、大学への受験勉強はしませんでしたが、毎学期のテストの結果が学部推薦に関わるので、その勉強のためにクラブ活動も途中でやめました。
    あとで後悔したくないと思って。
    でも結局中途半端で、第一希望の学部を途中であきらめることになりました。
    早く見切りをつけてほかの友達のように好きなことをやるか、
    最後まで一か八かでがんばればよかったカナと思うときもその後ありましたが、
    あの時選択した道があの時考えたベストの道だったと思うのです。
    そのときの学校の勉強は受験を意識したものではないので、かなり興味深いものでしたが、その価値は今になってのほうがわかったりしています。

    遊び心って、努力しても手に入らないもののように思うのです。
    その人の生まれながらの気質も大きいでしょうし、
    経験を経ないと、いろいろ試してみないと、いろいろな人に出会わないと・・そして時間がないと、ある意味年をとらないとダメなような。どうなのでしょう。
    要するに視野の広さってことでしょうか。

    受験勉強はそれを奪うものなのでしょうか。
    長くするものではない?

    中学受験など、年々準備期間が長くなっていることを憂いてしまいます。
    それによって失うものと得られるものと、事前に比べることも出来ませんし。

    わたしは付属校のゆとりとそこにいる人々を愛するものなのですが、
    今の一般的な傾向は違っているようです。
    本来の勉強が大学で始まる前にどれだけ基礎を固めておけるか、
    あるいはそこまでの人生にどれだけの視野の広さを身につけてこられるか、
    そういう違いがあるのでしょうか?
    なんかわかりにくいですね。ごめんなさい。









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