最終更新:

44
Comment

【134668】実母とうまくいかない

投稿者: まゆみ   (IP Logged) 投稿日時:2005年 07月 17日 23:52

私と子供との相談ではなく、私と私の実母の相談をさせて下さい。
私の家族構成
私(内緒のパート・賃貸マンション・ホンダ軽自動車)
夫(デパートの食料品売り場なので平日休み)
娘A(お茶小○年)

私の姉(専業主婦・一戸建て・ヤナセベンツ)
夫(賃貸マンション485戸のオーナーなので働いていないが家賃収入のセミリタイア)
娘B(年中)

実母はとにかく姉の子ばかりを可愛がるのです。
まゆみの子供のAだってお茶小行けたぐらいなんだからBちゃんだって行けるわよ。
行けないほうがおかしいとかズケズケと私の子供の前でいいます。
(確かに私の娘はお受験塾にも経済的・時間的に通えず自宅での書店問題集学習のみでした)

将来何のお仕事したい?と数年前に実母に聞かれ、我が子は「動物のお医者さん」と答えたのですが、「似合わないよ。」といわれました。
ピアノもバレエもAはしなくていい。でもBちゃんはしなければいけないよと平気で言います。
確かに我が家はこれといった習い事は金銭的理由・ピアノはマンションなので騒音の為させていません。
容姿は姉の子が可愛いとは認めますが、私の子もそれほどまで不細工だとは(親の目からですが)思いません。
私の家族・姉の家族で集まる時、我が子だけでなく主人にまでも同じように蔑むような扱いをします。なので私の主人はあまり近づきたがりません。

しかし、雑用などは必ずと言っていいほど私に回ってきます。
理由は私の姉の世帯は上流階級なので雰囲気を壊させたくないとのたまわりました。
なのに財産は全て姉に渡すと遺言書も公証人役場で残したと言っていました。
財産が欲しいのではないのですが本当につくづく実母が嫌いです。
確かに私も姉世帯の収入が羨ましいとは思いますが、妬んではいないつもりです。

私が思うに、姉世帯に一番コンプレックスを持っているのは貧乏生活で私たちをほぼ1人で育てあえた母だと思うのです。姉世帯と接する事で母もセレブ気分を味わっているのだと思います。

関わらなければ良いのでしょうが雑用の為に呼び出されます。
ほぼ1人で私たちを育ててくれた恩義をどうしても断ち切れません。

とりとめのない投稿ですみません。
みなさん実母とうまくいく方法ってどんな事を実行してありますか?

返信する

管理者通知をする

マイブックマーク

「親子問題に戻る」

現在のページ: 6 / 6

  1. 【149583】 投稿者: 今は亡き人  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 11日 10:28

    生きていく上で、選択枝が全くない状況というのは
    あまり考えられません。
    そして、選択枝が存在する以上、選ばなかった道への
    思いは必ず残るでしょう。それが単なる懐古となるか
    後悔となるかは個々の生き方次第ではないでしょうか。
    現状で満足なんだけど、あのときこの道を選ばなかったら
    どうなっていただろう?って考えるのは「懐古」のような
    気がします。

    ある意味、生きることは、後悔の連続。後悔し、反省し
    それを乗り越えて進んでいくしかないのですね。
    母との確執も、母の死も、乗り越えていくしかない。
    後悔したくない・・と誰しも思うけれど、それはなかなかに
    難しいことです。

    自分の欲求を満たせば、相手の欲求が満たされたかどうか
    気になる。相手を満たせば自分が辛くなる。ひとりひとりが
    違う人間である以上、みんなの欲求が完全に一致することは
    ありえません。
    相手の欲求を優先したときは、それを成し得た自分を誉め
    満足する。自分の欲求を優先したときは、それと引換えに
    あらゆる後悔を引き受けて生きていく。

    すでに母を亡くした私の場合、母にまつわる後悔は、以後の自分への糧と
    するしかないわけです。後悔は苦いけれど、避けては通れない道だった
    と思います。その後悔が自分の糧になるのか、ただの苦しみになるかを
    決めるのは本人以外の誰でもありません。

    悔いを残さぬために・・さま、きちんとしたお答えが出来なくて
    申し訳ありません。優先順位がきちんと決められるぐらいなら
    悩みなんてないですよね・・自分の心と体を守ることは、決して
    悪いことではありません。そうするしかないときってあるものです。
    距離を置くこともひとつの手段。ただ、そうすることと「後悔」と
    いうことはまた違う次元の問題だと私には思えるのです・・。


  2. 【149662】 投稿者: わたしも  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 11日 13:59

    私の場合は、母が発病して亡くなるまで自宅に引き取っていました。
    昏睡状態に陥って救急車を呼んだあと数日意識がありましたが無意識に点滴をはずしてしまうので拘束され「こんな病院に入れて!」と最期まで私を恨んでいました。
    昏睡状態に陥る前は(癌だった為)自宅から2時間以上もかかる専門の病院に連れて行っていました。
    何度かの治療のあと末期になってしまって選択肢はなかったのです。
    救急車を呼んだ際に行きつけの病院にと言われましたが行ける距離ではありません。
    やっとのことでお願いし最寄の救急病院に搬送されたのです。
    母は、亡くなる数日前に来た弟には感謝と詫びを言っていました。
    世話をすることはなかった弟は泣いてましたが、私は母が亡くなった今も厭な感情が残り忘れたいだけです。
    自分の感情は抑え最期まで我慢し続けた自分自身は誉めてあげたい位ですが。

    私事の愚痴のようになってしまいましたが、尽くしたからといって死を前にしても感謝や慈しみや愛情が生まれるとは限らないのです。
    普段は距離を置くことが一番ですし、最期までそうできればそうしたかった。
    そして亡くなった後に駆けつけて「親不孝でごめんなさい」と言えたらどんなに幸せだったかと。
    私の場合、母自身が弟に(愛情はかけても)面倒をかけたくなかったのと、弟自身も「そういうこと(面倒をみるとか死ぬということについて)は考えたくない」という身勝手から、私が看ざるを得なかったのですが、最期には私に愛情を向けてくれると信じたかったのでしょうね。
    仕事を辞めて、大金を出してよいと言われる薬(食品)を購入し、できることは全てしましたが、だから報われるという事もないのです。
    後はお母様の資質によるのではないでしょうか。
    私自身は「発つ鳥後を濁さず」で、病に心負けず、家族になるべく迷惑をかけないようにしたいと思っています。

  3. 【149935】 投稿者: 悔いを残さぬために  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 12日 00:13

    今は亡き人さま
    心に染入るお返事を有難うございました。

    >そして、選択枝が存在する以上、選ばなかった道への
    >思いは必ず残るでしょう。

    仰る通りです。
    父をを送った時の後悔があまりに大きかったので、
    二度とその思いを味わいたくないという思いに囚われるあまり、
    後悔のない人生などあり得ないということを忘れていました。

    >自分の欲求を満たせば、相手の欲求が満たされたかどうか
    >気になる。相手を満たせば自分が辛くなる。ひとりひとりが
    >違う人間である以上、みんなの欲求が完全に一致することは
    >ありえません。
    >相手の欲求を優先したときは、それを成し得た自分を誉め
    >満足する。自分の欲求を優先したときは、それと引換えに
    >あらゆる後悔を引き受けて生きていく。

    今まで相手の気持ちを満たすことばかり考えて生きて来ました。
    病気して初めて、自分の気持ちを優先することも覚えましたが、
    まだ慣れないせいか罪悪感のようなものが伴い、
    特に老母に対しては、最後の時に後悔するのではないかという
    怖れから抜けきれません。でもこれを伺って、
    「後悔を引き受けて生きていく」決心がつきました。

    わたしもさまがお話して下さったように、どれ程自分を殺し
    最後まで尽くしても、心安らかに見送れるとは限りませんものね。
    後悔は「もっと優しくしてあげれば」「十分尽さなかった」
    という後悔ばかりではないですもの。

    お蔭様で、後悔することを今まで怖れないで済みそうな
    気がしてきました。これからは自信を持って自分も大切にして
    生きてまいります。有難うございました。

  4. 【152132】 投稿者: 救われました  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 17日 09:51

    実家から帰ってきてこのスレを一気に読みました。

    去年1年、母と祖母の介護であたふたして、献身的に
    愛情を傾けてもありがたられず、介護を一切しなかった
    弟一家に病気をおして献身的にする母や父の姿に、
    がっかりして距離をとっている最中です。
    今夏は祖母の新盆で、せめてお手伝いをと思い3日だけですが
    実家に帰りました。そこに待っていたのは妹と弟の子供達4人でした。
    親が妹と弟に気を遣い子供たちを預かる、そして私に面倒を見させる
    そういう構図でした。新盆でただでさえ忙しいのに、その時にどうしても
    預からなければならない子供たちではなかったのに、私たち家族の了解を
    得ないまま預かり、私たちが来る時にぶつけてくる。
    タダでさえ、妹弟のところへは資金援助の嵐で、私には一切してくれたこと
    はなく、将来的にも財産の放棄をするよう言われています。
    今回も食事から何からして「ありがとう」のひとこともなく(私が不意打ち
    のような状況に文句を言ったからしかたがないのかもしれないけど)
    もう涙も出てこなくなりました。

    主人も結婚してから利用されてばかりでもうあきれていますがよく耐えて
    くれていると感謝しています。
    主人が申すに結婚当初(15年ほど前)から、私の両親が私への愛情がないと
    感じていたと。もう向こうは私を除いた4人で結束が固まっていて、その円滑剤
    が私なのだと。いくら努力しても愛されることはないのだと、それをしっかり
    見据えた上で、利用されるのがいやなのなら、自分が拒否するしかないと。
    なんとなく判っていたものの、主人のそれらの言葉で踏ん切りがつきました。
    親子という言葉に踊らされず、現実を見据えて、自分は自分で守るしかありません。
    そして、私が親を見捨てる形になったとしても、それを選択したのは親自身でも
    あるのですから。
    皆さんのお話を読んできて、こんな事例たくさんあるのだと、人間生身なんだと
    奇麗事で済まされないんだと思い救われました。
    私は親に愛されることばかり考えてきましたが、自分自身が愛をはぐくめる家庭
    を作りたいとまた新たに決意を新にしました。

  5. 【152137】 投稿者: エール  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 17日 10:05

    救われました さんへ:
    > 私は親に愛されることばかり考えてきましたが、自分自身が愛をはぐくめる家庭
    > を作りたいとまた新たに決意を新にしました。
    >

    頑張れ!何ものにも替え難い自分の家庭を大切に!あなたの居場所はそこです。

あわせてチェックしたい関連掲示板

申し訳ありませんが、このフォーラムへの書き込み権限が無いようです。

学校を探す

条件を絞り込んで探す

種別

学校名で探す