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【149391】夢と現実のはざま

投稿者: ピーターパン   (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 10日 22:04

ある、子供向けの哲学書で、
「理想や夢を追い求めなくなったら、その時それが君の現実になる」
という言葉に出会い、いろいろ考えました。

理想の仕事が見つからないから正職につかない若者をフリーターとよんだリします。
一応経済的になんとかなる、何もしていない若者もニートと呼ばれています。
独り者の男女も増えています。
でも一方で「好きなことを仕事にしよう」という「13歳のハローワーク」という本も売れていますし、
このごろの子どもは「夢」がない、などと嘆く大人も多くいます。

現実を見据え、夢を追うことをあきらめることが大人になるということなのか、
理想を求めてそれに向けて人生を送ることが尊いことなのか、
子どもに現実を教えることも親の仕事かなと思いつつ、子どもたちの将来に夢を見たい親として、夢と現実のはざまでゆれています。
そんなことを感じるときおありでしょうか?



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  1. 【149428】 投稿者: ちっぽけでもいいのさ  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 10日 23:23

    「夢を持つ」ということと、
    非現実的なものに執着して追い求めるということは
    明らかに違うものではないかと思います。

    現実に目を向けて生活を維持しつつも、
    夢を持つ気持ちを維持することは可能なはず。

    果てない夢を追い求めて・・・かなにかは知りませんが、
    フリーターだのニートだの。。。。あれは逃避ではないでしょうか?
    まず税金をきちんと払ってからにしてほしいものです。

  2. 【149592】 投稿者: ピーターパン  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 11日 11:01

    ちっぽけでもいいのさ さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 「夢を持つ」ということと、
    > 非現実的なものに執着して追い求めるということは
    > 明らかに違うものではないかと思います。
    > >
    > 果てない夢を追い求めて・・・かなにかは知りませんが、
    > フリーターだのニートだの。。。。あれは逃避ではないでしょうか?
    > まず税金をきちんと払ってからにしてほしいものです。
    >
    >

    レスをどうもありがとうございます。
    私もご意見に大体賛同します。
    ただ、税金を払ってないような人たちの中にもいろいろ事情はあるようで、
    一概に「逃避」とは言えないようです。

    これだけ数が多くなっているのは一大事という気もしますが、
    税金を払うような仕事につくということが大人になったものの責任とするとして、
    そうすると、将来年金を担う子供を(自主的に)持たない、結婚もしない、という若者だって大きな意味で社会的に無責任ということにもなると思いませんか。

    自分のやりたいことに忠実に生きると、ともすると社会的に無責任になるのかもしれませんね。
    子供を持ったら、その子供に責任が生じます。経済的に自立することが必要です。
    また自分が大人になったら、社会に貢献する責任があるのでしょう。
    そういう「責任」を最低限果たしているなら、夢は追い求めていいということになるのでしょうか。

    ある記事で、高齢者の福祉センターで、ボランティアできているニートの若者は、普通の人がイライラしてしまう高齢者の話を、じっくり聞けるという才能をもっている、ということを読みました。
    何かとせわしい現実の世の中で、そういう存在が実は役に立つ場面というのもほかにもあるかもしれません。

    無気力なのはいただけませんが、どこまで人はウロウロしていていいものかと思うと、
    なかなか難しい問題のような気がするのです。


  3. 【149606】 投稿者: めろんぱん  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 11日 11:42

    >ある記事で、高齢者の福祉センターで、ボランティアできているニートの若者は、普通の人がイライラしてしまう高齢者の話を、じっくり聞けるという才能をもっている、ということを読みました。

    そのニート君は心に傷を持っているのかもしれません。
    心に傷を持っている人は相手の心に敏感だったりします。
    もしかして心が敏感すぎて社会に出て働くことが出来ないのかも・・・
    ニートと言ってもそれぞれですよね・・・

  4. 【149796】 投稿者: ww  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 11日 19:59

    税金は関係ないのでは?
    専業主婦(サラリーマンの奥さん)の人は、
    税金はらっていないよ。

  5. 【149885】 投稿者: ss  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 11日 22:45

    私は、子に夢は実現するためにあると教えています。
    といっても、まだ、将来を左右するような夢をもってはいませんが。

    本当にやりたい夢をもっているならば、それにむけて努力なり
    行動なり何かしらのアクションをおこすでのでは?
    口で言うだけなら、誰でも言えるのです。
    これが、したい、でも、出来ないのでやらないんだ、みたいなのは、
    自分に甘えていて逃げ道を作っているだけではないですか?
    言い訳にしかすぎないと思いませんか?

    やるだけのことをやっても、夢を果たせないならば、
    あきらめもまたあきらめられない気持ちもはっきりするのではないでしょうか?

    私自身子供の頃、色々な夢をもちました。
    将来を左右するような夢でしたので、親の反対にあい、反発はしましたがあきらめました。
    (親からすれば苦労や失敗はさけさせてやりたい気持ちでしょう)
    自分でいうのも何ですが、ようは、それだけの夢だったのですよ。
    どうしても、やってみたかったような他のことは、この歳になってやってみました。
    やりたいと思う時がその時だからと自分に言い聞かせて。
    でも、もう、体がついていかず、現実を感じました。
    それでも頑張ればある程度物にすることも出来たでしょうが、それ以上は、
    断念し、楽しみの一部でいいやと言う感じになりました。
    まあ、私の夢も口だけのものだったというわけですよ。

    うちの旦那もそう、苦労してもいいから夢を果たすことを賛同していましたが、
    何らかのアクションをおこそうとしない、楽な方へ逃げているのがわかったので、
    家庭のことを考えて夢を断念してもらい、サラリーマンになってもらいました。
    そうはいえ、興味のある遠い関係にあるような仕事に決めましたが、
    現実の仕事内容は、考えていた事と違いました。
    やめたいという時期も周期的にやってきましたが、それが楽な方に逃げたがっているのか、
    それともいきづまっているのかを見分けながら、あめとムチをつかいわけ、現在にいたっています。

    私が子供たちに言ってやりたい理想は、やりたいならとことんやれ、駄目だったときのことは考えるな、
    駄目だった時に、その現実と向き合ってその先を考えればいいと子供たちには
    言いたいです。
    (今の段階ではまだこう言える年齢ですね。)
    逃げ道ばかりを作って、夢に望んだ所で、夢を現実のものにするのは難しいと思うからです。
    でも、親としては、客観的に判断してしまいますので、
    それがとんでもない難しい夢であるならば、成功する率の方が少ないのがわかります。
    また、子供の夢が子ども自身が経済的に苦労する将来なら、不安にも心配にもかられます。
    私の人生ではないので、子にそういった現実も教え、子ども自身に判断させたいです。
    私が判断することを逃げているだけでずるいかもしれません。
    でも、私にはその責任がとれません。

    その上で、子供が夢を追いかけるならば、陰ながら応援してやりたいし、失敗したときのために、こっそり逃げ道を作ってやろうと思っています。
    し、現実を感じて、夢をあきらめるならそれでもいいと思います。


    大人になって、仕事が出来る環境や状況にありながら、仕事をしないっていうのは、
    甘えてるだけではありませんか?
    まあ、自分を振り返るとそうですよ、だって、親が生活を維持してくれるわけだし、
    遊ぶ小遣いくらいを自分で稼いでいたらいいだけでしょう?
    (精神的に病的な症状がある場合はのぞきますよ)
    私の場合は、決められたことを守るっていうのを継続することが苦痛でしたが。
    縛られている感覚というか。。嫌なことから逃げまくっていたにすぎません。
    それでも、なんら困ることはなかったから・・。

  6. 【149936】 投稿者: ピーターパン  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 12日 00:05


    ssさん、wwさん、めろんぱんさん、レスありがとうございました。

    経済活動することが社会人としてのあかしかどうかと言うことは
    また議論の出るところでしょう。
    私個人は、社会に何かしら役に立つことをしているなら立派に社会人といえると思うのですが。
    経済的に困っていないのなら、無理に経済活動をすることもないかもとさえ思います。
    もっと困っている人に仕事を回してあげたほうが・・・と。
    それより社会の潤滑油・緩衝役として活躍・存在したほうがいいということもあると思うのです。
    みんながみんな忙しい世の中になったら困ることがきっとでると思います。

    今夜、たまたま12チャンネルのニュース番組で「仕事考」という特集をやっていました。
    そこで、ある社会学の教授が、「今の社会は、イストリゲームに負けた人にがんばらなかったダメなやつと非難するようなものになっている」と言っていました。
    また、京大を出たある若い企業家は、
    「一流大学を出て大企業につとめるんだぞ」といわれていた時代と違って、
    今は「何でもしていいよ」といわれるので、
    そういわれて「ハイこれやります」といえる人ばかりではない、
    見つけられない人がいてもしょうがないと言っていました。
    いま、企業に就職した者のうち50パーセントの人が転職、退職の経験があるという内閣府の調査もあるそうです。
    はたから見たら十分な職場でも、本人たちは「自分の力、本来の場所」を求めてそこを出るという現象が増えているようです。

    適材適所ということが今まで以上に、企業、学校教育、家庭でも意識される必要があると番組の最後にコメンテーターがまとめていましたが、親が自分の子どもの才能、向き不向きを見出すことって重要なのかもしれませんね。

    でも親だって、自分の理解の範囲でしか子供を判断できないので、
    私の分からない才能をこの子が持っていたらどうしよう!などと思うこともあります。
    そのために、いろいろな可能性、才能のある大人や子どもの集まっていそうな場所へ子供を置いてやらなくてはと思うのですが。

    でもそれは本人のやりたいことや夢と一致するとは限らないかもしれません。
    得意なことを本人が追求できるように誘導するのが親の役目なのでしょうか。

  7. 【149970】 投稿者: qVp  (IP Logged) 投稿日時:2005年 08月 12日 02:03

    丹念に丹念に親が我が子の才能を探したところで、ほとんどが徒労に終わるだけ。
    万人に才能なんてものはなく、ただただ偏在するのみ。それが才能。

    そして、ほとんどの凡人がいずれ現実と折り合いをつけていける。
    普通に見守っておけばいいんじゃないの。

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