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【347944】たとえばお子さんのクラスに

投稿者: 本音   (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 17日 16:55

ここにいらっしゃる方々はみなそれぞれ、考え方も、教育方針も
とりまく環境も異なっていらっしゃるので、あえてお尋ねします。

塾をのぞく習い事や、学校の同じクラスに
たとえば、ある父兄から
「うちの子供には少し障害があり、普通学級で
すごすには若干のハンデがあるかもしれません。ご迷惑をかけることも
あるかもしれませんが、その辺を少しご理解いただいたうえで、
それでももし、気になることがあれば私の方まで
遠慮なくおっしゃってください」
というような告白があったとします。

家で、それぞれみなさんのお子さんに話をきいていただいても、
やはりその障害を持つ子供は若干動作が鈍いとか、
コミュニケーションで変なところがあるとか
思い当たるとお子さんが話された場合、どのように思われますか?

塾をのぞく・・と申しましたのは
塾は実力重視の世界で、しかも授業の遅れを生じるような子供が
いた場合、もしも学力が同じであっても困るとおっしゃるのは
わかるからです。
ですが、教育の場として、クラスなどやクラブ活動的なものに
居た場合は迷惑ですか?


ほかのお子さんに攻撃していくような乱暴ではない子供ですが、
一緒に遊んでほしくて、気が引きたくて、ランドセルに手をのせたり、
好きなお子さんに抱きついたりしてしまうところあるので、
それを相手のお子さんが必要以上に「嫌がらせされた」と受け取られないためにも、
あらかじめ事情をお話すべきかどうか迷っています。
また、教室の移動や、プリントの提出物など、
口頭で簡単に説明された言葉への理解がおそく、
時に移動先を間違えたり、宿題や提出物を理解していないこともあります。

ですが、ゆっくり説明すると、すべてこなすことができます。
文字を書くのは大変ですが、読むのは難しくて習っていない漢字もよめます。
計算はほかの方より早いのに、文章題の理解は遅いです。
ゲームのルールの理解がにぶくて、遊びについていけないけれど、
人に迷惑をかける遊び方はしません。

学校の先生からは「理解を求めるために保護者会で一言説明を」と
いわれました。ですが、ほかの教育者の方や、習い事の先生などからは、
「差別があって、理解してもらうための行動が逆に出る場合が多いから
やめておいたほうがいい」といわれています。

一見、普通です。でも複雑な会話のききとりや、友達とのやりとりは
やはりうまくいかず、喜ぶところの反応も人とは違うので、
女子からは排除されたり、男子からも攻撃をうけたりしています。

カミングアウトというほどのことでもありませんが、
事情を話すことは抵抗はありませんが、
今よりもっと差別の目でみられるのであれば、
それはやるべきことではないとおもっています。

障害に気づかずに、人とのコミュニケーションが下手だったり
成績が極端にのびないお子さんを育てていらっしゃる親御さんが
たくさんいます。
そのぐらい判断が難しい障害なのですが、障害である以上、
やはり多少は人のペースをくずすような迷惑がかかっています。
障害だと気づかないからこそ、容赦ないいじわるも受けます。


教育といいながら、やはり自分のお子さんとは近づいてほしくないと
おもわれますか?また、特別扱いを申し出るようなことになると、
あつかましいとおもわれるでしょうか。
ご意見をおきかせください。

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  1. 【350423】 投稿者: これからのために  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 21日 10:49

    幼児期から さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > うちの場合、地域の幼稚園に入る事も叶いませんでした。
    > こういう日本の教育・保育制度から優しくなって(ハンディキャップを持つ子ども達に)
    > 貰わなければ好奇心の眼差しは、将来いつまで経っても無くならないと思います。


    ウチの子は、保育園、学童、小学校(低学年)で
    つねに障害を持ったお友達と一緒のクラスでした。
    しかも、一人二人ではなく。
    保育園は約20人のクラスで4人障害を持つお子さんがいました。

    みんな自然と仲良くなり、自然とどう接すれば良いのか学んでいきます。
    しゃべれない子、排泄がうまくいかない子、乱暴な子
    子供達はそれぞれ、その時々で上手に遊んでいます。

    幼児期からフツーに一緒にいるので
    なんの抵抗もなく、のろい子には待ってあげる、
    しゃべれない子には通訳のように先生に伝えてあげる、
    おもらしをしちゃった子は手を引いて先生のところに連れて行ってあげる、
    乱暴な子がパニックになったときには”逃げる”。


    自然に身についています。
    でも、子供同士ですから”してあげている”ではなく
    フツーなんです。
    してもらっていることも多く、持ちつ持たれつ、お互い様に生きています。
    ここが、肝心なところだと思います。
    お互い様なんです。
    ウチの子も体が小さくて、不器用なので、周りのお友達に手伝ってもらってばっかりでしたが
    そのおかげで、「ありがとう」がスラっと言える子に育ちました。


    子供の世界は、なんの差別もなく、色々な子がいることで全部がプラスになると思います。
    幼児期から”みんな違ってみんないい”でいることがなによりすばらしいことだと思います。

  2. 【350430】 投稿者: 正解はわからないけど  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 21日 10:58

    どの子の存在も尊いですよね。
    いろんなタイプの人間がいる社会だからこそ、
    いろいろと学べるのですよね。
    いいことも悪いことも含めて、全てが学びの機会ですよね。


  3. 【350445】 投稿者: 幼児期から  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 21日 11:25

    -これからのために-さまへ


    >自然に身についています。
    >でも、子供同士ですから”してあげている”ではなく
    >フツーなんです。
    >してもらっていることも多く、持ちつ持たれつ、お互い様に生きています。
    >ここが、肝心なところだと思います。


    ほんとその通りです。幼い頃から育つ環境なんです。
    うちは幼稚園こそ入園が叶いませんでしたが、
    保育園で2年間お世話になり、現在は小学生です。
    同級生達はうちの子どもに対して、とても自然に接してくれています。
    母はそれをとても嬉しく思い、時には感激してしまい、つい「いつもありがとう」と
    同級生に対して言ってしまします(我が子の代わりに)。その時「えっ?」という表
    情が帰ってきますが、お友達にとっては、何でもない事なのかも知れません。


    -これからのために-さまの様な心温かい方や「みんな違ってみんないい」環境が、
    大半を占める世の中になってくれる事を切に願います。

  4. 【350448】 投稿者: 十人十色  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 21日 11:24

    私には、髪で隠れるか微妙なところに、生まれつきアザがあります。
    その事では、特に虐められた事も無かったので、別に隠す事無く生活しています。
    しかし、子供には時々怖がられたり、親しければ「どうして?」と、尋ねられます。
    って事は、大人は大抵、気付かないフリをしてるんですね。

    似た様な立場でも、感じる事は各々異なると思いますが、
    私は、いちいち説明して歩くのも面倒なので、気付かないフリ大歓迎です。
    でも、見慣れない物を(危険が無いか)観察したくなるのは、生物の本能だと思うので、
    たまにジロジロ見る人が居ても、それはそれですし、
    そんな人が理由を聞いて来たら、理解しようとする好意的な人と解釈し、喜んで説明。
    意を決した様に、治療情報を話し掛けて下さる方に出会うと、
    同情だろうが何だろうが、その勇気に感謝します。

    そして、私のアザを見て、自分の美貌を再確認する様な視線を投げかける人と出会って、
    喜んでいられる程、人間が出来てはいません。
    人間性を暴露する、無意識な優越感に要注意!ってトコでしょうか。
    (逆の立場を思い出して、自分自身に言い聞かせてます)

    微妙なアザだから言える、気楽で無責任な意見だと、不愉快に感じられたらスミマセン。
    でも、私の親にとっては、気苦労の種だったらしく、
    少しでもアザが見える様な髪型をすると、小さな頃から注意されていました。
    自分が出産した時に知った事ですが、
    私が生まれた産院では、帽子を被せて(新生児室で)隠す様に言われ、
    祖母は、日本髪を結う時代でなかったのが、せめてもの救いと言ったとか。
    世が世なら私、かなり哀れまれ、嫁に出せない存在だった様です。

    実際には、アザ以外の事で悩みの尽きなかった青春時代を思い出して、
    後で、笑っちゃいました。

    優れ過ぎても、及ばな過ぎても、ボリュームゾーンから外れるとハンディになって、
    集団生活上、困る事が起きるのだと思います。
    でも、どれくらい困るかは、世間に因るところが大きいのでは無いでしょうか?
    何人もの方がおっしゃっている様に、ハンディの有無に関わらず一緒に過す場が増え、
    持ちつ持たれつが自然に出来る世の中になって欲しいと思います。

  5. 【350951】 投稿者: 環境が大事  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 22日 07:09

    これからのために さんへ:
    -----------------------------------------------------
    > ウチの子は、保育園、学童、小学校(低学年)で
    > つねに障害を持ったお友達と一緒のクラスでした。
    > しかも、一人二人ではなく。
    > 保育園は約20人のクラスで4人障害を持つお子さんがいました。
    >
    > みんな自然と仲良くなり、自然とどう接すれば良いのか学んでいきます。
    > しゃべれない子、排泄がうまくいかない子、乱暴な子
    > 子供達はそれぞれ、その時々で上手に遊んでいます。
    >






    本当に、その通りだと思います。
    我が家の娘が通っていた市の保育所も、
    障害児受け入れ対象保育所、と市で定められていた数少ない保育所のひとつでした。
    同じ学年に、4人、いろいろな障害をお持ちのお子さんがいました。
    保育所全体では、多い時には20人近く、障害をお持ちのお子さんがいました。
    他の保育所と何が違うのかというと、
    障害のあるお子さんに柔軟に対応出来るよう、保育士・看護士さんの数が、他の保育所よりも多かったようです。


    今考えても、とても普通でしたよ。
    子供達は、ごくごく当たり前に遊んでいましたし、
    自分達で対処出来ないことが起こったときには、先生をすぐに呼びに行くなど、
    本当に自然に、対処法も学んでいましたね・・・。


    ですので、今でも、
    街で、ちょっと変わったお子さんを見かけたりしても、
    (たとえば、パニックになっているお子さんなど)
    「あの子、きっと何か障害があるんじゃないのかな?」と、驚くほど冷静に感想が出ます。
    決して、卑下して見ている、とか、好奇心で見ている、のではなく、
    あくまでも、ひとつの個性として捉えているようです。


    小さい頃から、周囲に、ごく自然に、いろんなお子さんがいて、
    それが、当たり前、の世の中になるのが、一番良いのでしょうね。




    我が家の近所には、療育センターという、障害のあるお子さんが定期的に通われる施設があります。そのほか、養護学校があります。
    そのためか、障害をお持ちのご家庭がお引越ししてくる、ということがよくあります。
    また、街が起伏が少ない土地のせいか、車椅子の方をたくさん見かける、という街です。
    近所のショッピングセンターに行くと、車椅子の方がごく自然にお買い物をしています。
    上の棚の商品を取りたい時も、車椅子の方は、側にいる他のお客さんに頼んで取ってもらっていますよ。私も取って差し上げたこと、あります。
    こんな環境のためか、障害をお持ちの方を見かけても、いっさい、何も思わなくなりましたよ。
    ジロジロ見るなんて考えられませんし、逆に、見ないようにする、というのもありません。


    やはり、環境でしょうね・・・。

  6. 【350987】 投稿者:  環境が大事2  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 22日 08:39

    こちらに引っ越してきて、とても住みやすいです。
    ベビーカーで歩いていて、小さな優しい親切をたくさん受けました。
    それと共通するのでしょうか、生活のゆとりを感じる場所で
    車いすの方にお会いするんですよね。


    でも、実家近くは違いますね。ベビーカーででかけても
    どなたかに親切を受けるということはないです。
    同時に車いすの方にお会いすることもめったにない。
    きっと出かけづらいのだろうなあと思います。


  7. 【351171】 投稿者: 迷惑って・・  (IP Logged) 投稿日時:2006年 04月 22日 14:35

    「人様に迷惑をかけなければ」いいと言うご家庭ありますよね。
    そもそもこの考えは間違っています。
    どこかで道徳の最低ラインを引き間違ったとしか思えません。
     
    そもそも人として「自分で恥ずかしい行動をするべきでない」という良心に問うものがモラルだと思います。
     
    そして、「迷惑」とはなんでしょう。
    協調性、社会性、という言葉が近年とみにもてはやされてきました。
    「個性」などというものは所詮この二つの物の下に位置する価値しか置かれてないようです。
    「迷惑」とは「その社会」における大多数が正しいと思うことをしない人と言う意味になるのでしょう。
     
    「変わった人」という基準も然り。
    何から変わっているのか。
    その集団の正規分布の真ん中から遠い行動をすればするほど「変わった人」です。
     
    迷惑とか、社会性の欠如とかは要するにその周りの人々によってどうにでもなることなのです。
    迷惑だと思う人が自分の周りに多いところはその人自身の了見が狭いか、いる場所が間違っているのでしょう。
    このことは良くも悪くも今の世の中をあらわしていると思います。
    非常識な大人が増えればそれが非常識でなくなるのです。
    不親切な人が増えれば親切な人は変わっている人になってしまうでしょう。
     
    何が正しい事なのか、所詮自分自身の心に問いかけなければわかりませんね。
    そしてその子とは今までの人生で学んでなければいけないことです。

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