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【512655】周りと違う発想を持ってもらうには、どうすれば?

投稿者: 母歴7年   (IP Logged) 投稿日時:2006年 12月 05日 08:26

まとまりの無い件名で申し訳ございません。


先日、道徳の授業参観がありました。
今月は人権月間という事で『いのち』についての話し合いでした。
みんなで話し合った後、標語を書く事になりました。


うちの子も含めて、ほとんどの子ども達が「いのちは たいせつです」の中
一際キラリと光る友達2,3人の子が、人とは違ったとってもいい事を書いたのです。
うろ覚えですが
「ちいさなむしも いのちがあるので かんたんに ころしてはいけない」
「みんなのいのちも たいせつにしないといけない」
「はなにも いのちがある」
「いのちは たいせつなので しんではいけないと おもいます」等。


どのような生活環境を整えたら、このような素晴らしい発想ができるものでしょうか?
もっと、子どもを肯定的な目でみると良いものでしょうか?
宜しかったら教えていただけないでしょうか?
お忙しいとは思いますが宜しくお願い致します。

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  1. 【512740】 投稿者: 鏡  (IP Logged) 投稿日時:2006年 12月 05日 09:52

    『へんな人』と『よくいる人』どちらも授かった親です。

    『へんな人』の方はよくいる人と違い、
    発想も、表現方法もユニークで、
    作品に他人の手が入ることをキライ、
    書き上げるものは、テストの自由記述、俳句から校外学習のレポートまで、
    いつもこの子ならでは、といった感じです。
    自由研究や、作文コンクール等で賞を頂くこともあります。
    が、『かわってる』ゆえに本人は生きることがたいへんそうです。

    『よくいる人』の方は、よくある発想、表現しかしないので、
    賞を頂いたりすることはありません。
    なんでも『ふつう』です。

    「ほかの子と違う子」より、
    「よくいる子」の方がラクです。

    『へんな人』も授かった親からすれば、
    正直な所、スレ主様の気持ちがうらやましいです。

    『できすぎの人』の親御さんからのレスも付くといいですね。

  2. 【512754】 投稿者: 小論文が得意でした  (IP Logged) 投稿日時:2006年 12月 05日 10:00

    日頃から日常生活のこまごまとした出来事や目にしたり耳にしたニュースについて
    家族がなんだかんだとおしゃべりするのがいいのかも。
    頭の中にないことは書けないので、いろいろ(ここが大事。ただイヤよね〜とか一言で
    終わらせずに言葉にする)考えて口に出してみる。作文のときそれを書くようにする。
    私の場合こんな感じの家庭で育ち、母が作文はそう書けと言っていました。
    年がら年中おしゃべりしてました。
    書き始めの視点を、いいとか悪いとかの価値判断から始めずに、できれば身の回りの
    自分の暮らしから始めるというのがポイントだと思います。

  3. 【512769】 投稿者: 目線を下げて  (IP Logged) 投稿日時:2006年 12月 05日 10:12

    今頃、ガーデニングが趣味の私が花の植え替えをしていると、興味深げに子供が傍に寄って
    来ます。(小学校低学年です)
    この季節、土の中で冬眠している幼虫がいるんです。
    昔は気持ち悪い方が先でしたが、子供は興味津々。


    土いじりをしていると、目先をいつも上にしている私達も小さな生き物と遭遇する機会が
    たくさんあります。
    この間、「小さな虫も生きているんだね。」とポツリ。


    別に言葉で教えたことは無いのですが、都心の真ん中にありながら、夏などは小さな
    カマキリが花びらにちょこんとつ乗っていたことも。
    「あっ、カマキリの赤ちゃん!この辺にお母さんが卵を産んだんだね。」と。


    こう言う些細な出会いが、命の大切さを知る機会になるのかな〜っと感じる今日この頃です。
    お母さんの小さな生き物の命も大切に思う気持ちって、おのずとお子さんにも伝わるもので
    ないでしょうか。


  4. 【512805】 投稿者: たぶん、  (IP Logged) 投稿日時:2006年 12月 05日 10:32

    「良い方へ」まわりと違う発想を持って欲しいな、、ということだと思います。
    でも、上の方も書いておられたように、周りと違う発想というのは、作文の表現だけではなく、日々の行動がすべて違ってしまうわけなので、普通に暮らさなければならない場面では、本人の苦労もあると思います。

    それがあっても、自由なおもしろい発想をするような子に(大人に)なって欲しいならば、家庭生活そのものを変えていくのがよいのではないでしょうか?
    子供本人の中にそういうある意味「突飛な」部分がなく、親がそれを望むとすれば、親が家庭全体を心から自由な雰囲気にして、親が望むような周りと違うことをし続ければ、その子にとっての普通が、徐々に世間の普通とずれていき、普通に考えているつもりなのに、学校では「周りと違う発想」になるかもしれません。

    でも、それが表にあらわれる迄には、長い時間を要すると思います。
    もし、授業参観などで、ちょっと目立つ部分があればいいのになあ、、という程度のことであれば、本(特に詩)や映画や、ミュージカル、個性的な子の集まる習い事、等に触れさせれば、その真似から、考え方の幅が広がっていくような気がします。

    なんて書いていますが、私は何もしたことがないです。
    そんな気がするだけです。
    ですから、うちの子はふたりそれぞれ、その個性により、目立ったり目立たなかったりです。

    たしかに、授業参観などで、きらりと光るものを発するお子さんは、まぶしく、うらやましいような気分になることもあります。でも、それはそれ。
    おとなしいけど天性の優しい目をしている子、じっとしているのが辛いけど我慢してるやんちゃな子、大人ぶって悪い態度をとってる子、一歩一歩誠実に歩んでる子、、、、。
    子育ても終わりに近付き、そういう様子のほうが目にとまります。
    たしかに、一瞬のきらめきも素敵。また、静かに続く確かな営みも頼もしいと思うのです。

  5. 【512823】 投稿者: たぶん、  (IP Logged) 投稿日時:2006年 12月 05日 10:47

    いくつか他の方の投稿を拝見しました。
    私は、タイトルから返信しましたが、ちょっと勘違いだったかもしれません。
    スレ主さんは「愉快な個性的な作文」を書くような発想を持たせたいのではなく、本質的に周りとちょっと違う「深い発想」を持たせたいのかな?
    年令にしては、思考力や作文能力が高い、、というような、、、。
    だったら、私の書いたものは違いますね。失礼しました。
    家族との会話、ガーデニング、を例にあげてのアドバイス、適していると私も思います。
    的外れな投稿、失礼しました。

  6. 【512877】 投稿者: 母歴7年(スレ主です)  (IP Logged) 投稿日時:2006年 12月 05日 11:37

    早々のお返事、有難うございました。
    やはり、日ごろの行いですね。


    参観日では、鋭い表現を書かれたお子様が眩しく羨ましくて
    どうすれば、大人が唸ってしまう意見を考え付くのかと
    考えさせられてしまっていました。
    我が子ときたら、平凡な意見しか思い浮かばないようで
    じれったくて仕方ありませんでした。


    たぶん、さん。
    充分なアドバイスです。有難うございます。
    共感して頂けて嬉しい限りです。
    そうなんです。
    きらりと光るものを発するお子さんが眩しくて羨ましかったんです。
    なぜあのような光る発言が出来るのか、と。
    家でどのような環境を整えておられるのだろうか、と。
    気になってしまったんです。


    でも、ここで相談させて頂いて、少し分かった気がいたします。
    お忙しい中、本当に有難うございました。

  7. 【512892】 投稿者: 命の重さ  (IP Logged) 投稿日時:2006年 12月 05日 11:51

    スレ主さんのたとえにある「いのち」であれば…。
     
    昔、娘が保育園からおたまじゃくしをもらって帰ってきました。
    足が生え、手が生え、もうすぐカエル?というところ、親子で成長を楽しみにしていましたが、水を入れ間違えて死んでしまいました。
     
    そのときの娘の発言。
    「死んじゃったね、かわいそうだね」
    …まではよかったのですが
    「でも、またもらってくれば大丈夫!」
    …娘なりにフォローしたつもりのようです。が。
     
    ショック、でしたね。
    4歳じゃ、そんなもんかもしれない、理解できなかったものを叱っても仕方ない…。
    命の大切さなんて、そう簡単に理解できないものなんだなぁと、がっかりしました。
     
    しかし、その1年後、一緒に暮らしていた祖父が急逝しました。
    子供好きで毎日楽しく遊んでくれていた私の実父でした。
     
    しかし急逝だったため、娘はすぐには理解できず。
    泣いている私たちを見て「大人なのに泣いてる」なんて言っていました。
     
    しかし、「おじいちゃんがいない」ということが数日続いた夜。
    とつぜんボロボロと涙を流し始め、「おじいちゃんがいなくなっちゃった…」。
    その後しばらく、毎晩泣いていました。
     
    死ぬとか生きるとか、そう簡単に理解はできないですよ。
    誰かを失うと言うことがどれだけ辛く悲しいことか、
    生きていると言うことがどれだけ有難いことなのか。
     
    たくさんの人たちから、たくさんの愛を受けて、育つことだと思います。
    そして、愛をくれていた人を失ってしまうことも、多くのヒトと触れ合っていれば、逃げられない経験であり、大切な経験です。
    時代的に、とても難しいですが、良くも悪くも多くの経験をし、たくさんのヒトと触れ合うことがよいと思います。
     
    しかし、それがすぐにそういうコトバとしての表現につながるとは限りません。
    あとは、たくさんの本を読み、ボキャブラリーを増やして、表現する能力を身に着けていくことではないでしょうか。
    経験による理解に表現能力が加われば、グッとくる文章が書けるようになるかもしれません。
     
    しかし、これは、大人でも難しいと思います。
    私でもあれこれ考えた末に結局「命は大切です」ぐらいしか書けないかも(笑)

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