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【957017】愛のムチ

投稿者: 叱り方って難しい   (ID:zzj7D/nhEAU) 投稿日時:2008年 06月 20日 01:17

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080619k0000m010136000c.html


 東国原知事:突然言及「愛のムチ条例はできないか」
 宮崎県の東国原英夫知事は18日の県議会本会議の終了後、
 記者団に「体罰は愛のムチ。昔はげんこつで教えられたが、
 最近はできなくなっている。愛のムチ条例はできないか」と
 発言した。この日は一般質問があり、印象に残った質問を
 問われて、突然「愛のムチ条例」に言及した。


子供の小学校の年配男性教諭は、6年生の反抗期真っ盛りの男子生徒に対して
しょっちゅう頭をはたいたり、ゲンコツしたりします。
子供達はその先生が大嫌いで、先生からも愛を感じられないようなので、
ぶたれても全然意味がないようですけど。


ところで、知事が上記のような発言をするという事は、今はゲンコツ程度でも
何か法律で禁止されているのですか?
何となく最近は体罰はできないと思っていたのですが、今の担任になり
その叱り方を子供から聞いて、やはり素手でぶつ程度の体罰って
今もあるんだと思っていました。


それから、体罰する先生って今はあまりいないのですか?
レアケースなのでしょうか?
(昔は女の先生も定規で思い切りビシッとぶったりして怖かった…。
ぶたれることって私にとっては、あまり良い思い出じゃないです。)










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  1. 【1356325】 投稿者: 反対です  (ID:n3jYXx5tfwI) 投稿日時:2009年 07月 06日 22:27

    嘉悦のスレをみて、ぞっとしました。
    体罰容認派の論理はおかしいと思います。
    体罰の是非を語るのとただ容認するのは少し違うのではないでしょうか。

  2. 【1360311】 投稿者: 体罰は暴力でしょう  (ID:YMRecGRkg.M) 投稿日時:2009年 07月 09日 23:29

    「体罰」なんて言葉でごまかしているだけです。
    親が自分の子供を思わず叩くことはあるかもしれませんが、職業上の立場の教師がしていいなどと言う「容認」をできるわけがない。
    「愛」?
    先生が生徒に持っている愛情って、体罰を容認させるようなものなのでしょうか?

    「思わず」感情が抑えられずに手が出てしまった先生を、それだけの事実で退職に追いやるなどと言うことは賛成できませんが、
    堂々と「体罰」ならいい、などとする社会には決してしてはいけないと思います。
    そんなことよりもっと考えるべきことがあるでしょう。教育には。

  3. 【1360678】 投稿者: 私も同感です  (ID:tzywX2h3M2k) 投稿日時:2009年 07月 10日 10:30

    体罰は暴力でしょう さんの御意見に賛成です。
    自分自身も、高学年の担任が「体罰が激しかった」と記憶しています。
    恨んでいるとかそういうことはありません。
    子どもなりに納得はしていました。
    忘れ物が多くて、慌て者だったので、
    立たされる、髪の毛を引っ張られる、ごつんとやられる…ということは
    けっこうありました。
    でも、それで「忘れ物やおっちょこちょい」が
    「矯正」できたかどうか、というと、
    結局それでは矯正できなかったんだと思います。
    自分がいろいろと困って(叱られることも困るコトの一種ですが、実質的に困って…です)、気をつけることが出来るようになったというのが
    本当のところだと思います。
    ただ、当時は怖かったから、叱られないようにしようと思うばかりで
    「この欠点を直そう」という意識は薄かったと思うのです。
    本当の指導とは、子ども自身に
    「この力を伸ばそう」「この欠点を克服しよう」と自覚させることだと思うのですが、体罰はそれが達成できないと思うのです。
    従って、体罰は指導方法としては、効果が薄いという点でも
    メリットが少なく、デメリットばかりが多い、と思います。


    私の友人は、高校時代、部活動の指導者に
    今なら大問題になりそうなしごき、体罰を受けていました。
    セクハラまがいではないか、と思われることもあったようです。
    でも、彼女は、最近まで
    「それが、その先生の愛の鞭という名の指導であり、そうされても仕方がないような自分だったし(下手、弱いなど)、恨むなんて…」と言っていたのです。
    ところが、ある時、
    「私って、子どもを虐待しているんじゃないか…」という思いに囚われ始め、いろいろと悩み、勉強もし、いろんな人に相談したり診察を受けたりした結果、
    「高校時代のあれって…先生のストレス解消の犠牲者だったんじゃないか…」と
    思うようになったそうです。
    親も殴る、蹴る、髪の毛をとって引きずり回すなどの体罰(虐待)を
    躾けとしてやっていた人だそうです。
    今でも「叱られる」ということに非常に怯えるかと思うと、
    酷い仕打ちをされても、自分がしても、
    「酷い」という感覚が抜けているようなところがあります。
    母親として、一人の人間として、ずっと悩み続けています。


    親からであれ、教師からであれ、
    体罰は「歪んだ支配欲の充足」と「加虐の快楽という暗い快感への耽溺」の「すぐ隣」にあるものだと思います。


    体罰では、子どもを根本的に指導することが出来ないのではないか、と言う疑問と、
    体罰という行為そのものが抱える、加虐者と被虐者の関係性の問題を考えたとき、
    それを「
    【あらかじめ1つの方法をして準備しておくこと】には
    到底賛成できません。


    ただ、現実には
    熱心に指導する先生が、思いあまって「叩いてしまった」などの
    事件には、十分にその心情や状況をくみ取れる事案もあり、
    そういう場合には、事実を確認した上で、
    指導者側を支援するという気持ちもあります。

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