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投稿者: 40台 (ID:RipQv2o8L0k) 投稿日時:2008年 04月 21日 00:28
小学生の頃からずっと優等生でした(昔の学級委員タイプ)。
周りの友人が地元の短大にいくような環境の中、
東京の親の希望で受けた有名大学に思いがけず合格し、
親の希望で進みました。
その大学は就職に強ぅ、女性の採用はほとんど無い時代でしたが
運よく総合職で就職しました。
その後は、やはり20台で親の希望の時期に結婚し、30台で子供も2人産みました。
(仕事は転職をしましたが、子育てと両立できず退職)
30歳ごろから、次第に、心に幸せ感がないことに気がつき、
自分は心の底からやりたいこと、専門職の仕事があったが、
親の反対でその道をはずされ出来なかった、あきらめてきてしまった。
そして、子育てで、完全に勤めをやめたとき、
ものすごくむなしい気持ちになり、戻れるものならば、
家族なんてもたなくてもよかった、
本当は仕事だけにかけたかった、とすら思うようになりました。
親はずっと、私をカタにはめようとし、
親の見栄(成績、進学先、就職先、夫の勤務先)の材料と
しました。親が親戚、近所に自慢話をする声のトーンが
たまらなく嫌でした。
若いころは、親が第一には私のために考えていてくれて
いるとと思いこんでおり、見栄っ張りで100点満点じゃないけど、
親にはまあ感謝、といった気持ちでした。
40台に入り、遠方ですが、親の世話に帰省することもでてきて、
その中で、自分がこの親にはどこか感謝しきれない
気持ちがある、と思うようになりました。
私の幸福より先に親の見栄(親自身のため)だったではないか、と。
今、自分が親になって、子供のことを思うとき、
そう感じるのです(何をしたいか、自分は親に尋ねられたことが
ありません、私は常にこどもの本当の希望を考えます。)
だれも100%すばらしい親にはなれないのだから
とは思いますが、今時分、もう年齢も中年も中年、
人生半ばもすぎ、と思うとむなしさでいっぱいです。
30歳ごろからは、自分なりに、積み上げてきたものを
いかしながら、かつ自分の元の希望と相容れるような
道で努力をしましたが、大学選択で間違ったという気持ちが
抜け切れませんでした。(親にとっての学歴コンプレックス
を晴らすには恰好の大学だったようです。)
親の面倒をみるようになった今、
どういう気持ちの整理をし、どう接したらよいのでしょうか・・・
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【909337】 投稿者: 私もです (ID:TbzEKyLdUCo) 投稿日時:2008年 04月 23日 09:24
このスレは、これからの母親と自分との距離を見直す、教訓が沢山ありそうですね。
思えば、私たちの母の世代は、なんといっても嫁姑の確執が最大の悩みで、実家に帰るのは、ほっとくつろげる貴重な時間。娘の苦労を知ってる母親は、温かく迎える。
そんな関係も珍しくなかったと思います。
サザエさんに象徴されるように、実の母と娘の同居なら、むしろ平和で幸せな環境で、
まわりから羨ましがられた時代も、それほど昔ではないはずです。
多分私たちの母親世代はその価値観をそのまま持ち続け、娘と一緒にいる事は、娘にとっても楽しい、憩いのひと時だと思ってないでしょうか?
親子なのだから、本当の気持ちを伝えて親離れ、子離れしたいです。
でもそんな年老いた母に、とても言えず、母の前ではなるべく楽しそうに、世間話をして仲良く過ごしてます。ご近所や母の友人たちの間では、仲良しの親子で羨ましがられてます。
でもいつも家に帰ると、あ〜疲れたとため息がひとつ。
ここまできたら、最後まで仲良くして、見送ってあげようと思ってます。
親に感謝しろって・・感謝してるけど、子供の頃からいつも十字架を背負っていた気がするのは何故でしょうか?いまでも複雑な気持ちを持ちつつ、無理してます。
この性分、いまさら正直に素直になれと言われても、変えられません。
母は昔から私のことは何でもわかると思っていたようですが、本当のことを一番話せないのは、昔も今も母に対してでした。
こんな気持ちは、次の世代には味わってほしくないです。
私もこのスレの皆様と同じように、上手に子離れしなくては・・と思います。
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【909539】 投稿者: daijyoubu (ID:2qYwMlPcWiA) 投稿日時:2008年 04月 23日 13:06
私もです さんへ:
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> このスレは、これからの母親と自分との距離を見直す、教訓が沢山ありそうですね。
> 思えば、私たちの母の世代は、なんといっても嫁姑の確執が最大の悩みで、実家に帰るのは、ほっとくつろげる貴重な時間。娘の苦労を知ってる母親は、温かく迎える。
> そんな関係も珍しくなかったと思います。
> サザエさんに象徴されるように、実の母と娘の同居なら、むしろ平和で幸せな環境で、
> まわりから羨ましがられた時代も、それほど昔ではないはずです。
> 多分私たちの母親世代はその価値観をそのまま持ち続け、娘と一緒にいる事は、娘にとっても楽しい、憩いのひと時だと思ってないでしょうか?
>
> 親子なのだから、本当の気持ちを伝えて親離れ、子離れしたいです。
> でもそんな年老いた母に、とても言えず、母の前ではなるべく楽しそうに、世間話をして仲良く過ごしてます。ご近所や母の友人たちの間では、仲良しの親子で羨ましがられてます。
> でもいつも家に帰ると、あ〜疲れたとため息がひとつ。
> ここまできたら、最後まで仲良くして、見送ってあげようと思ってます。
>
> 親に感謝しろって・・感謝してるけど、子供の頃からいつも十字架を背負っていた気がするのは何故でしょうか?いまでも複雑な気持ちを持ちつつ、無理してます。
> この性分、いまさら正直に素直になれと言われても、変えられません。
> 母は昔から私のことは何でもわかると思っていたようですが、本当のことを一番話せないのは、昔も今も母に対してでした。
>
> こんな気持ちは、次の世代には味わってほしくないです。
> 私もこのスレの皆様と同じように、上手に子離れしなくては・・と思います。
>
>
>
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【909559】 投稿者: 大丈夫 (ID:2qYwMlPcWiA) 投稿日時:2008年 04月 23日 13:31
私もです さんへ:
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> このスレは、これからの母親と自分との距離を見直す、教訓が沢山ありそうですね。
> 思えば、私たちの母の世代は、なんといっても嫁姑の確執が最大の悩みで、実家に帰るのは、ほっとくつろげる貴重な時間。娘の苦労を知ってる母親は、温かく迎える。
> そんな関係も珍しくなかったと思います。
> サザエさんに象徴されるように、実の母と娘の同居なら、むしろ平和で幸せな環境で、
> まわりから羨ましがられた時代も、それほど昔ではないはずです。
> 多分私たちの母親世代はその価値観をそのまま持ち続け、娘と一緒にいる事は、娘にとっても楽しい、憩いのひと時だと思ってないでしょうか?
>
> 親子なのだから、本当の気持ちを伝えて親離れ、子離れしたいです。
> でもそんな年老いた母に、とても言えず、母の前ではなるべく楽しそうに、世間話をして仲良く過ごしてます。ご近所や母の友人たちの間では、仲良しの親子で羨ましがられてます。
> でもいつも家に帰ると、あ〜疲れたとため息がひとつ。
> ここまできたら、最後まで仲良くして、見送ってあげようと思ってます。
>
> 親に感謝しろって・・感謝してるけど、子供の頃からいつも十字架を背負っていた気がするのは何故でしょうか?いまでも複雑な気持ちを持ちつつ、無理してます。
> この性分、いまさら正直に素直になれと言われても、変えられません。
> 母は昔から私のことは何でもわかると思っていたようですが、本当のことを一番話せないのは、昔も今も母に対してでした。
>
> こんな気持ちは、次の世代には味わってほしくないです。
> 私もこのスレの皆様と同じように、上手に子離れしなくては・・と思います。
>
お母様に対して、そういうやさしい気持ちでいられるのなら、もう十分親離れしている
と考えていいと思いますよ。母もまた一人の個性ある人間ですもの。
母のお腹から生れてきたのは、もう40年も前なんです。違う個性のある一人の人間です。
他人様と同じで、気持ちが通じ合う人もあれば、気を遣わないといけないような相手も
います。私もです様とお母様とは、ツーカーと言う立場でなく、母親と言う強い立場に
スレ主様が、合わせていかなくてはならないと言う関係だったのかもしれませんね。
でも、スレ主様が、その母の子として生れて来た意味があるのだと考えてみたら
違う感覚も生れるのではないでしょうか?
私事ですが、私は、とても厳しい母に育てられました。20も後半頃、その母に
今までの思いを打ち明けた所、母は、「親は謝る事をしない。お前は何を期待するのか?」
と逆切れされてしまいました。
その後、私は、主人の母、姑女ととても気が合い、同居していますが、姑女とは、
前世から、親子だったのでは?と思えるほど気もちが通じ合います。
ですが、思うに、私がもし今の姑女の子として生れて来たら、精神的には楽で幸せだったかも
しれませんが、それ以上でもそれ以下でもなく、私の成長は今ほどしてこれなかったのでは
とも思うのです。厳しい母に育てられ事が、私には必要で、心の成長になったと今は
思えます。
人生に意味のない事は何ひとつない。その母を選んで生れたのは私。そう考えると
母に対して、本当に感謝の気持ちがわいてきて、育ててきてくれて有難うと言う気持ちに
なれました。
ですが、今でも、姑女の方が私は本音でいろんな話が出来ます。出来た姑女にこんな風に
出会え、可愛がっていただけるのも、実は、母のお陰と感じるようになれました。
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【909748】 投稿者: わたしは思います (ID:2Wtmahhmh46) 投稿日時:2008年 04月 23日 17:21
親は自分の都合いいように
子供が自分の思いどおりになるように
自分の価値観を子供に植え続けてきて、
子供があたかも自分で選んだようにしくんでいるけど、
実はちがう。
子供の選択に、親の考えがまったく反映されていないって言えますか。
子供の物の考え方は、親の影響をまったく受けないのでしょうか。
人が、誰からも何からも影響を受けず、純粋に自分自身の考え方ができるなんて、ありえない。 -
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【909769】 投稿者: それは (ID:UQdEkWtt49Q) 投稿日時:2008年 04月 23日 17:53
わたしは思います さんへ:
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> 親は自分の都合いいように
> 子供が自分の思いどおりになるように
> 自分の価値観を子供に植え続けてきて、
> 子供があたかも自分で選んだようにしくんでいるけど、
> 実はちがう。
> 子供の選択に、親の考えがまったく反映されていないって言えますか。
> 子供の物の考え方は、親の影響をまったく受けないのでしょうか。
>
>
> 人が、誰からも何からも影響を受けず、純粋に自分自身の考え方ができるなんて、ありえない。
人間が生まれた時、全くゼロと言う考えであるならそれもあるかもしれません。
ですが、私は、人間は持って生まれた個性があると思います。
生まれた個性によって、同じように育てられても、結果が違うと言うこともまま
あるように思います。
また、出会いと言うものもあります。母親と言う呪縛から逃れられるほどの恋も
一つの自立のきっかけを与えてくれると思います。そういう縁も親とは別のもので
自分のもった縁のように思います。
親の影響が全くないとは言えません。ですが、その親から自立する時は、やはり
あると思います。
自立できないように育てられたとまた言われるでしょうが、それもまた考え方による
と思います。
そこに生まれてきた意味を深く考えるなら、自立できない自分が、はやり自分の中にこそ
潜んでいると思います。
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【909907】 投稿者: 40台 (ID:DLeYJ0bb.GI) 投稿日時:2008年 04月 23日 21:06
旧教えて 様
スレ主です。
ふっと昔、中学1-2年くらいのときに
自分を消そうとしたことを思い出しました。
自分の存在があまりにも自分の意思とは
かけはなれてきた状態のなかで
自分自身でいることが許されない、苦しさがありました。
それで、体中を何かテープのようなもので
全身で巻いて水びたしにしたことが
あります。
自分でもどうしてそうしたかわかりませんが、
そうしたらちょっとすっきりした覚えが
あり、とりあえず本当に死んじゃうのはやめよう、
と思った記憶があります。
そしてそこから後は、益々、優等生の道を
歩んだのでした。
何人かの方が、母親と私との葛藤のように
書かれておりますが、
私の場合父親も母親も両方、子供の教育に
同等程度かかわっており、
とくに父親の意見が家では絶対的でしたので、
本当に意見をいえなかったのです。
母も同様に父には逆らいません。
威圧的ではなく、真綿で首が
絞められる感じでしょうか
(経験はありませんがイメージとして。)
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【910407】 投稿者: 旧教えて (ID:g1opVeOrd9s) 投稿日時:2008年 04月 24日 11:28
40代さま
思い出されたことを読んで・・正直驚きました。
無意識にされた事だと思うのですが
それだけに苦しさが伝わってくるようです。
しかしスレ主さまは冷静に書かれています。
をれを見つめる事が出来る時なのでしょうね。
必要があればプロ(カウンセリングなど)に頼るのも手だと思います。
私も一時期お願いしました。
今思うと話す内容そのものより
困ったときや不安になった時に共感してもらう体験
の刷り込みが必要だったのかな・・と思っています。
人が生きていくには安心する体験も必要ですしね。
とにかくパンドラの箱は開けられたのです。
進める所まで進むしかないのでしょう。
今は自分というものに向き合う絶好のタイミングなんだと思います。
(そういう自分も向き合う事にジタバタしてますが・・・)
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【910537】 投稿者: 40台 (ID:ocB0xXyf2Jw) 投稿日時:2008年 04月 24日 13:58
旧教えて さんへ:
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> 無意識にされた事だと思うのですが
> それだけに苦しさが伝わってくるようです。
ありがとうございます。でも精神的に助けてくれた恩師が
おりまして、もう、小さな出来事です。
旧教えてさんの質問にはこの出来事が該当するかなあ、
と思いました。
> 人が生きていくには安心する体験も必要ですしね。
はあ、自分の子供をみていてそう思います。
うちは進路については自由はなかったですが、
衣食住については、完璧にやる両親だったので、日常生活は
安定してました。だからこそ、おおむねは感謝、なんですね。
でも、やっぱり考えてみたら、大学のときにも、自分には
勇気がなかったのだと思います。みんなが知っている有名大学に
いって褒められたいという気持ちが自分自身に潜んでいたのだと思います。
仕事への覚悟が、その当時、甘かった。ただ、本当に大学入ってから反省しましたね、
やっぱりこの大学ではどの研究室も、アカデミックで、実務系のものは
なかったです。専門学校へのダブルスクールもしました。(そのうち流されて挫折)
>
> とにかくパンドラの箱は開けられたのです。
> 進める所まで進むしかないのでしょう。
はあ、そうですね。アプローチは未来志向でいきます。
しかし今は、親はクチをださないので(嫁にだした娘は他家のものという
考え方、かつ、夫への信頼が厚いため)、まあ、本当、皆さんが
おっしゃるように、書いたことは過去のことなんです。
まあ、中学受験を通して、12歳の未知数の子を前にどの中学を選ぶのが
ベストか、本当に考えて考えているうちに、自分の辛さを思い出したんです。
私は中学受験はしなかったのですが、男の子なら灘中学にいけたのにね〜、
とか、父親の会社をつげたのにね〜
とかいわれて、ああ、男の子だったら楽チンだったのに、とも思っていて。
私は父親には父親の若いころの夢(有名大学進学)、と、母親からは良妻賢母(りっぱな
だんなさんと結婚しりっぱな子供を育てる)を両方しょってきちゃったな、という思いがあります。
いずれにせよ、ぜんぶ、昔、昔、その昔、のこと。
私の価値観は、まず仕事だなあ、と子供をもってもずっと
一貫して感じているので、やはり仕事を仕切りなおすことに
致します。私の性格は男が7割、女が3割という感じで、
父親の影響のほうが大きいです。
今回のこのスレで
親をうらむより過去の自分を恨むこと!
とどなたかが書かれていましたが、そう致します。
ありがとうございました。
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