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【138540】やはり×なのでしょうか

投稿者: ひまわり満開   (ID:7UxkywFqcpg) 投稿日時:2005年 07月 23日 15:15


今年受験予定の娘がおります。
数週間前、ある幼児教室で模擬試験を受けましたところ、
行動観察で○△×の3段階評価の所を「×」がつきました。
ペーパーはそこそこの出来でしたが、
行動観察の評価が低かったせいか、
志望校(都内カトリック校)への合否判定は「否」でした。
担当の先生に伺いました所、娘は
「他のお子さんに自分の意見が伝えられない」との事でした。
(大きな積み木で何を作るか、数人で話し合いをして決める、
という課題でした)テーマがいったん決まれば、
それはそれは楽しそうに参加しているそうなのですが、
事前の話し合いでは、ほとんど意見を述べなかったのが
×の理由とのことでした。

確かに娘は控えめな子で、自分の意思はあるものの、
それを積極的に他人に伝えるよりも、まずは様子を伺うタイプです。
我が家では、そういう娘の性格を評価し、
これまで自信をもって育ててきました。
大勢の中で上手に自分の意見を上手に主張するという事は、
10年、20年の歳月をかけて養われる力だと思っています。
また、自分の意見を言いたくない子に対して、
受験だからと言って「言えるようになろうね」と伝えるのも、
これまたおかしな話だと感じていました。

しかしこのような考えでは、受験における行動観察では
やはり「×」なのでしょうか。
行動観察では、我の強い子や、つい悪知恵が働いてしまう子を
スクリーニングするものだと思っていましたが、「意見を
述べない子」もスクリーニングされてしまうのでしょうか。

今回の「×」は正直、こたえました。
自分の子育てへの自信が揺らいでしまっている程です。
皆様からのご意見にすがりたく、投稿致しました。
よろしくお願い致します。

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  1. 【140885】 投稿者: ご参考になれば  (ID:DG3mrq68G/I) 投稿日時:2005年 07月 27日 20:33

    行動観察系のお教室、あるいは各幼児教室の行動観察の授業では、そういった場面での声かけなどを指導していただけます。

    「お友達と一緒に○○をしてください」と指示されたら、自分から「一緒にやろう」「何をする?」と声をかける。
    お友達に「一緒にやろう」と言われたら、むっつりうなづいたりせず「いいよ」とちゃんと返事をする。
    グループ内で意見が言えず、しょんぼりしている子には自分から声をかけてあげる。
    運動系のテスト中は、自分が終わったら終わりでなく、お友達がやっているのを応援してあげる。
    等々・・・

    「そういったことは自然に学ぶことであって、教え込みたくない」というお考えもあるとは思いますが、どうしても自分から声をかけられない子には、最初のきっかけ(やり方)を教えてあげるのも良いのではないかと思います。本当は自分でも言いたいのに言えないと思っているかもしれませんし。
    また、そういった行動観察系のお教室では、先生方が楽しい雰囲気を盛り上げてくださるので、「刷り込む・教え込む」と言う感じでもありません。少し自分を表現できるようになるかもしれませんよ。

  2. 【140894】 投稿者: ひまわり満開  (ID:7UxkywFqcpg) 投稿日時:2005年 07月 27日 21:04


    うーん様、
    親身になってお考え下さって本当にありがたいです。
    この時期では、もう遅いのかも知れませんが
    私の方からも、上手く働きかけてみようという気持ちになりました。

    ちなみに娘が「人前で歌える」と言いましたのは、
    決して恥かしがりやではないからではなく、
    逃げ場のない状況に置かされたからで、
    そういう場合は力を振り絞って歌うのです。
    自分から進んで歌う、という程ではありません。
    一方、「お友達と相談」の場合、何となく待っていれば、
    自然と意見がまとまる、という「逃げ」があるので、
    それに甘えているだけなのかも知れませんね…
    何となく娘の心理が見えてきました(汗)。

    受験というものは建前様
    受験の世界に踏み込んだ以上は、割り切りも必要ですね。
    試験官の目にもとまらないほどオクテでは、確かに損です。
    飴と鞭…確かに必要かも知れません。

    ん!様、
    優秀なお子様を更に上手に指導されたのですね。
    私も前向きに進んで行こうと思います。

  3. 【140973】 投稿者: 上辺だけのものじゃないでしょう  (ID:lqmrCpJvvrc) 投稿日時:2005年 07月 27日 22:31

    受験というものは建前 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > やはり受験というものは「建前」で行われるものですよね。たった数十分ではその子の本質を見ることはできません。どうしても受験時に自分の意見をきちんと言えてリーダーシップを取れる子供に軍配が上がりますよね。それがその子の本質ではなくお教室で叩き込まれたものであっても。
    >
    > これは割り切るしかないと思いますよ。合格するためには飴とムチで導くしかないと思います。結果を求めるならば。


    数十分あれば、子供の性格や適正を判別することは可能でしょう。
    両親面接でも、巷間いわれている通り入室から着席までで評価は済んでいると思います。

    時間をかけても評価が変わることは稀でしょうし、残りの時間は直感で出した結論を補強する
    ことに費やされるのだと思います。

    数十分で100%適正な評価をすることは無理でしょうけど、かなりの精度で評価することは
    可能だと思います。
    飴とムチで訓練しても、たかが知れているのではないでしょうか?

    両親面接で受け答えを一生懸命練習しても、そのご家庭の底は透けてみえるものだと思います。

  4. 【141019】 投稿者: 受験というものは建前  (ID:E7Y7BZ0R8C2) 投稿日時:2005年 07月 27日 23:13

    上辺だけのものじゃないでしょう さんへ:
    >
    > 数十分あれば、子供の性格や適正を判別することは可能でしょう。
    > 両親面接でも、巷間いわれている通り入室から着席までで評価は済んでいると思います。
    >
    > 時間をかけても評価が変わることは稀でしょうし、残りの時間は直感で出した結論を補強する
    > ことに費やされるのだと思います。
    >
    > 数十分で100%適正な評価をすることは無理でしょうけど、かなりの精度で評価することは
    > 可能だと思います。
    > 飴とムチで訓練しても、たかが知れているのではないでしょうか?
    >
    > 両親面接で受け答えを一生懸命練習しても、そのご家庭の底は透けてみえるものだと思います。
    >

    あなた自身で考えてみてくださいよ。あなたが初対面の人と1・2時間話してその人の全てがわかりますか?

    反対に言うと、あなたのことを1・2時間で初対面の人が「全てわかりました」と言ってそれに納得できますか?

    試験というのははっきりと基準があるのですよ。それに基づいて判断されるのですよ。それは皆平等ですよ。たとえば、ペーパーで○点以上、グループ遊びで発言○つ。点数化された基準があるのですよ。それが全てですよ。

    試験に受かりたければその基準通りに動くしかないですよ。それが現実ですよ。

  5. 【141029】 投稿者: 上辺だけのものじゃないでしょう  (ID:lqmrCpJvvrc) 投稿日時:2005年 07月 27日 23:26

    受験というものは建前 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > あなた自身で考えてみてくださいよ。あなたが初対面の人と1・2時間話してその人の全てがわかりますか?
    >
    > 反対に言うと、あなたのことを1・2時間で初対面の人が「全てわかりました」と言ってそれに納得できますか?


    初対面の人であっても、その方がこちらに評価してもらうという姿勢があれば短時間で評価可能ですよ。
    1〜2時間もいりません。入室時の30秒での印象と、一時間かけて面接した結果とは、ほとんど齟齬は出ません。

    毎日児童と接している教師、多くの父母と接している校長・教頭、それぞれ短時間で評価できると思いますし、出来るからこその試験官・面接官なのでしょう。


    あなたの周囲にいらっしゃる面接する側の立場にある方に、質問してみてください。
    評価がその方の業務であるならば、私と同様のことを述べると思いますよ。

  6. 【141038】 投稿者: 受験というものは建前  (ID:E7Y7BZ0R8C2) 投稿日時:2005年 07月 27日 23:39

    上辺だけのものじゃないでしょう さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 毎日児童と接している教師、多くの父母と接している校長・教頭、それぞれ短時間で評価できると思いますし、出来るからこその試験官・面接官なのでしょう。
    >
    >
    > あなたの周囲にいらっしゃる面接する側の立場にある方に、質問してみてください。
    > 評価がその方の業務であるならば、私と同様のことを述べると思いますよ。
    >

    違いますよ。短時間でチェックポイントシート通りに評価できるからこその「試験官・面接官」ですよ。人間の本質は決して短時間ではわかりません。数年・数十年つきあってもわからない場合もありますよ。

    「この子は一言も発しなかったけど活発なはずだ」なんて理由は合格不合格会議では持ち出せませんよ。

    小学受験も所詮「受験」なんですよ。いかなる場合でも誰が聞いても納得する「基準」がありそれに沿って点数化されるのですよ。

  7. 【141049】 投稿者: 上辺だけのものじゃないでしょう  (ID:lqmrCpJvvrc) 投稿日時:2005年 07月 27日 23:51

    受験というものは建前 さんへ:
    -------------------------------------------------------
    > 違いますよ。短時間でチェックポイントシート通りに評価できるからこその「試験官・面接官」ですよ。人間の本質は決して短時間ではわかりません。数年・数十年つきあってもわからない場合もありますよ。


    顕在化していない特性は多くの場合、評価対象とならないでしょう。
    数年・数十年つきあってもわからないことは、評価できません。
    (書いてもいないことを反論材料にされても議論にはなりません)



    > 「この子は一言も発しなかったけど活発なはずだ」なんて理由は合格不合格会議では持ち出せませんよ。


    理由を補強するための、残り時間です。
    (これは【140973】で記述しました)



    > 小学受験も所詮「受験」なんですよ。いかなる場合でも誰が聞いても納得する「基準」がありそれに沿って点数化されるのですよ。


    人物評価および非ペーパー評価の永遠の課題ですね。
    (定性的項目を比較・得点化することの困難さは、業績評価制度を巡る議論の主要テーマですね)

  8. 【141057】 投稿者: 受験というものは建前  (ID:E7Y7BZ0R8C2) 投稿日時:2005年 07月 27日 23:59

    上辺だけのものじゃないでしょう さんへ:
    >
    > 人物評価および非ペーパー評価の永遠の課題ですね。
    > (定性的項目を比較・得点化することの困難さは、業績評価制度を巡る議論の主要テーマですね)
    >

    試験というのはドライですよ。受験者側(親)が思うほど子供の本質など見ません。もしかしたら小学校側は本質も見るというかもしれませんがそれはすべてチェックシート化されたものです。つまり作法です。発言です。

    試験というのは小学校側からすれば単なる年中行事なんですよ。

    親側もドライに考え小学校側が欲している年長児を演じさせるしかないのですよ。

    試験勉強に「将来性・有益性」を求めてもしょうがありませんよ。私はドラゴン桜の信望者ではないのですが試験については小学受験も大学受験も手段でしかないということでは同じですよ。

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