インターエデュPICKUP
91 コメント 最終更新:

◆愛知万博のおもひで

【7664699】
スレッド作成者: 行ってない (ID:TJpHEalpDjE)
2025年 04月 18日 14:07

私はああ、やってたね、くらいの記憶。
ところが、当時5歳以下だったはずのウチの20代スタッフ、行った子はみんな覚えてるって。

当時2歳だった子までも「◯◯館で食べた◯◯がー」とか。正気?私、ほぼそんな頃の記憶ないけど?
愛知万博に行かれた地元の皆様、20年前のおもひでをシェアしませう。

【7666811】 投稿者: ほないこか   (ID:L8Xaxmyio22)
投稿日時:2025年 04月 25日 14:21

大阪万博、じわじわと混み始めたようで。
思い出されるのは愛知万博。あれも終盤にかけて客が増えた。
「そのうち行こか〜」が「もう行かなアカン」に変わるのは、万博あるある。

ただ、ここは日本。
6月に入れば梅雨。空はドヨンと、足元はヌルンと。
そのあとは、はい酷暑。まっ昼間に歩こうもんなら、自販機の影でも取り合いになります。
秋? 昼間30度で夜20度切る、服装迷子の季節ですやん。

そう考えると、「今ちゃう?」ってなるわけです。
まだ快適。まだ余裕ある。まだ“気持ち”が届く距離感。

平安時代の恋愛も、じつはそんな感じでした。
男は夜に女の元へ通い、朝が来る前にそっと帰る。そして朝になったら、すぐに手紙を送る。これが「後朝(きぬぎぬ)の文」。
届けば「好きですよ」の意思表示。届かなければ「それっきり」。

で、この文がまた粋で。
ある日、怒って何も言わずに帰ってしまった男がいて、女は「もう終わりや…」と脱力。
ところが翌々日、大雨の夕方に手紙が届く。たった一言「水増す雨の」。

たったそれだけで女はキュン。
“ああ、想ってくれてたんやな”と。長文なんて要らんのです。

このエピソードを『枕草子』に書いたのが、あの清少納言。
で、ここで変なリンクが脳内で発動してしまうわけやけど……

そう、大河ドラマ『光る君へ』で清少納言を演じてたんが、ファーストサマーウイカ。ファッサマですやんw
関西弁バリバリの、あのウイカさんがですわ。
清少納言のくせに「あのオトコ、雨の日にズブ濡れで来るとか、恩着せがましゅーてかなわんわぁ〜」とか言い出しそうで……

なんか知らんけど、万博のミャクミャクの横で、「水増す雨の」とか言いながらぬいぐるみ渡してそうな気配すらある。

結局のところ、清少納言も、万博も、
“このタイミングで来てくれる人”を大事にしたかったんかもしれません。

だから、行くなら今。
ちゃんと読み取れる“言葉”がそこにあるうちに。
そして、ウイカちゃんの影がちらつかないうちに 笑

【7666837】 投稿者: スレ主   (ID:kYcOURJyTrY)
投稿日時:2025年 04月 25日 16:50

書き込みが減ってますね。

目障りな書き込みがあったとしても是非削除依頼はされません様に。

荒れてると見なされ書き込み停止やスレッド削除に繋がってしまうので。

ミスや図星など、都合の悪い書き込みを鬼の削除依頼で消したい本人以外はぜひ削除依頼をされません様に。

ぜひよろしくお願い申し上げます。。

【7666907】 投稿者: 森伊蔵と   (ID:HZKOpzXBXhE)
投稿日時:2025年 04月 25日 20:39

三河の小さな古びた喫茶店。
ふと目をやると、窓に、色褪せた一枚の旗が飾られていた。
もはやモノクロに近い布地の中央には、かすかに微笑む二つの緑のキャラクター。モリゾーとキッコロ―2005年、愛・地球博の公式マスコットだ。
その下には、四つの国の旗。

〜市は4つの国を応援します

デンマーク、コートジボワール、アメリカ、オーストラリア。今では判別もおぼつかないが、確かにそこに並んでいた。

「応援国」という言葉があったのを、久しぶりに思い出した。
自治体ごとに割り振られた、どこかの国。縁もゆかりもなかったはずの遠い土地に、にわかに親近感を抱くようになった、あの不思議なしくみ。
子どもたちが描いたその国の国旗、街角に掲げられた横断幕、そして今も壁に残る一枚のポスターのような旗。
すべてが、あの万博のことを忘れまいとする、小さな記憶装置だった。

それから20年。
あのとき思い描いた「未来の日本」と、今ここにある日本は、きっと違う。
だけどそれは、予想外のことではなかったかもしれない。
まさかもう一度、万博がこの国で開催されるなんて。

止まったままの布と、止まることのない時間。
ずれてしまった夢と現実のあいだに、そっと挟まれた一枚の布は、まるで「続きはまだあるよ」と語りかけてくるかのようだった。

【7666956】 投稿者: モリゾーキッコロに見るアランジアロンゾ考   (ID:HZKOpzXBXhE)
投稿日時:2025年 04月 25日 21:16

モリゾーとキッコロを描いたのは誰だったか、正確に思い出せる人は、もうあまり多くないのかもしれない。

けれど、あの丸くて愛嬌のある二人を見れば、ふと脳裏に浮かぶ名がある。
アランジアロンゾ。

名前の響きは外国人のようでいて、実際は日本人女性ふたりによるユニット。
無邪気だけどちょっと毒がある。かわいいけれど決して媚びない。
あの絶妙な線の加減と色の温度で、90年代から2000年代にかけてのカルチャーを確実に形づくった存在だった。

愛知万博の公式キャラクターを任され、続けて中部国際空港では「なぞの旅人フー」をデザイン。
一時代を象徴する“顔”を次々と生み出し、アランジアロンゾの名前はまさに“時代の寵児”として輝いていた。

それから20年が過ぎた今、その姿を見ることはほとんどなくなった。

時代が彼らを置いていったのか、彼らが時代に背を向けたのか。
あるいは、互いに気づかぬふりをして通り過ぎたのかもしれない。

しかし、真に象徴的だったのは、やはり大阪・関西万博の公式キャラが発表された瞬間だった。
みゃくみゃく。。。あの、不穏な赤と青に塗られた、脈動する眼球の集合体のような存在。
もはや「気持ち悪い」という感想すら、コンセプトのうちに含まれているのではと勘ぐってしまう。

アランジアロンゾが大阪を拠点に活動していたことを思い出せば、これはただの世代交代では済まされない。
本拠地で、まさに「地元開催」の万博で、あの気味の悪い何かに主役の座を譲ったという事実。
あれほど空港で旅人たちを見送ってきたフーの眼は、もう何も見ていないのかもしれない。

もちろん、時代は変わる。
ゆるキャラの柔らかい輪郭は、いつしかコンテンポラリーアートの棘に道を譲る。
愛らしさや親しみより、バズや炎上が重視される世界で、モリゾーとキッコロの静かな緑はあまりに無防備だった。

けれど、みゃくみゃくを見たときに、無意識にわきあがる「これはちがう」というパトス。
あれは一過性の拒絶ではない。
多くの人が言葉にできないまま抱えている、“共通の本音”だ。

そう考えると、アランジアロンゾの線は、まだ完全には終わっていない。
あのまなざしを懐かしむ誰かがいる限り。
そして、あの目を避けるように顔を背けたあの日の感覚が、誰かの胸に残っている限り。。。

【7667136】 投稿者: 雑感   (ID:lcQDyZZTOKU)
投稿日時:2025年 04月 26日 13:41

大阪万博が開幕してしばらく経った。
それをきっかけに、愛知万博の記憶が自然と浮かび上がってくるものだと、どこかで思っていた。
だが現実は、それほど甘くないらしい。

20年前、日本が世界に向けて掲げた“愛・地球博”という名の希望。
モリゾーとキッコロが森の精として親しまれ、「自然の叡智」が未来を語るキーワードになったあの半年間。
忘れがたいはずの祭典が、思いのほか静かに扱われている。
それは驚きでもあり、少しだけ、悲しくもある。

もちろん、展示の文脈の中で「過去の万博」に言及される場面はある。
けれど、それは“万博の歴史”という年表の中に、淡く記される一行のような存在でしかない。
開催県である愛知でさえ、万博にまつわる記憶を積極的に語り直す気配はない。

あの夏の日の熱気も、行列も、グローバルハウスの長い待ち時間さえも、
すべてが一枚の写真のように、静止したまま、更新されることなく沈黙している。

大阪万博の会場を歩きながら、目に飛び込んでくるテクノロジーと未来の意匠はどこか眩しい。
だが、その眩しさが逆説的に、かつての“やさしい未来”を遠ざけていくようにも感じる。

記憶が風化することそのものは、悪いことではないのかもしれない。
ただ、それが“誰にも見送られない”という静けさの中で進むのだとしたら、どこか寂しい。

あのとき、たしかにあったもの。
誰かが“未来”を信じていた時間。
それを語る声が、もっとあってもよかったと思う。

【7667327】 投稿者: 無駄足   (ID:oeSYSRz5YRk)
投稿日時:2025年 04月 27日 00:25

「藤田屋の元受験生は、二親等以内の該当者? その根拠は?」というツッコミも筋違い。
藤田屋の息子が藤田保健衛生大に落ちたという話自体が根拠不明の噂でしかなく、それを前提に「二親等の有利不利」を論じること自体が意味を持たない。
元の主張は、「制度的に優遇措置が存在するが、それが自動的に合格を保証するものではない」という構造的な指摘だった。それに対して「じゃあ藤田屋の息子は?」と問い返すのは、検証の対象を個人の成否に矮小化して、議論のレイヤーを無理に落としているにすぎない。

【7667330】 投稿者: 無駄足   (ID:oeSYSRz5YRk)
投稿日時:2025年 04月 27日 00:27

完全な話題逸らし。
制度設計や情報の正確性を問う議論に対して、運営方針云々を持ち出すのは、まともに反論できないことの自白に等しい。議論の本筋には何ら関係しない。

要するに、どの反論も本質を突けていないどころか、

論点を個人の周囲や経験にすり替え
議論の対象を矮小化し
本来問うている制度的透明性とは無関係な話を持ち出し
最後は場外乱闘に逃げている

だけ。
反論になっていないどころか、自ら論理破綻を重ねてしまっている。

【7667343】 投稿者: スレ主   (ID:fnOqdzx1wLo)
投稿日時:2025年 04月 27日 00:34

また荒らしが。

ここは愛知万博のスレッドです。
関係のない書き込みはやめてください。迷惑です。人の嫌がる事はしない、最低限のしつけすら学んでいない輩が、受験の話など本当に愚か。

そんなくだらないやり取りはここでしないで、勝手にスレッドを立ててやってください。

話を戻します。

当時、私は関東の小学生だった。
テレビや新聞で愛知万博の話題を目にするたび、「ああ、何かすごいことをやっているんだな」と思っていた。
でも、どこか遠い出来事のようで、身近な友達の間でも「行く」という話はあまり聞かなかった。

モリゾーとキッコロのキャラクターがあちこちに登場して、明るく未来を歌っていたのは覚えている。
「自然の叡智」なんてテーマはあまり共感こそできなかったけれど、何となく、世界中の人が一つの場所に集まっている様子に、幼いなりにワクワクしていた。

それでも、結局、愛知万博に足を運ぶことはなかった。行かないまま、ニュースで見聞きするうちに、いつしか会期は終わり、モリゾーとキッコロも静かに姿を消していった。

いま、愛知にいると、当時小学生だった同世代の地元の方々とは温度感が違うなと感じる。学校から遠足で行ったりしたらしい。
当時リアルタイムで肌で感じた人たちの記憶の重みは、遠くから見ていただけの自分には、きっと完全にはわからないのだろう。

それでも、不思議と愛知万博のイメージは悪くない。
何か、まだ未来に期待できた頃の空気みたいなものが、そこには確かにあった気がする。
小さなテレビ画面越しに見たあの光景は、遠い場所への憧れと、どこか少し切ない諦めとを同時に思い出させる。

たぶん私は、愛知万博を「行かなかった」のではなく、「行けなかった」んだろう。
子ども心に、あの場所で起きていた何かを、ほんの少しだけ感じ取っていたのかもしれない。

スペシャル連載

すべて見る

サイトメニュー