女子美の「なんでも質問会」レポート
大昔の私立女子中、高校偏差値
下記は406027から大昔の中学入学偏差値を拝借してきました。
<昭和53年版・私立女子中学偏差値>
69 桜蔭 雙葉 女子学院
67 東洋英和 聖心
66 学習院女子 白百合 立教女学院 日本女子大附属
65 跡見
64 大妻
63 山脇 三輪田
62 昭和女子 晃華
61 共立 光塩 恵泉 田園調布雙葉
60 東京女学館 桐朋女子 実践女子
58 普連土
57 女子聖学院
56 頌栄 女子美
55 和洋九段
54 香蘭 武蔵野女子
53 川村 十文字 トキワ松 淑徳
52 東京文化 吉祥女子
51 豊島岡 鴎友 聖ドミニコ
50 目黒星美 戸板
一方、別の板で、今や偏差値60前後となった豊島岡、鴎友、頌栄などは大昔(20-30年前?)は最下位レベルの都立高校にすら受からなかった人の滑り止め高校(偏差値で40台?)であったかの記述をよく目にします。
とするとこれらの学校は中学受験では偏差値50以上なのに高校入試では偏差値がもっと低いことになるのですが、どういうことなんでしょうか?
当時の事情 ご存知の方いっらしゃいましたら 教えてください。
上記3校というより、当時の私立中学入試偏差値と高校入試の関係(今なら高入偏差値のほうが断然上) に興味があってお聞きしします。
>どさくさに紛れて嘘を言ってはいけません。
>本郷は下町です。
本郷台地を下町と言うならもうそれで良いわぁ。
嘘とか言われても私は郷土地誌専門家でもないし・・・
祖父母が生きていた頃の話のニュアンスから
感じてきた事なので、江戸っ子さんには敵いません!
下町でも山手でもなんでも良いわぁ。
弥生出身。 さんへ:
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> >どさくさに紛れて嘘を言ってはいけません。
> >本郷は下町です。
>
> 本郷台地を下町と言うならもうそれで良いわぁ。
>
> 嘘とか言われても私は郷土地誌専門家でもないし・・・
> 祖父母が生きていた頃の話のニュアンスから
> 感じてきた事なので、江戸っ子さんには敵いません!
>
>
>
> 下町でも山手でもなんでも良いわぁ。
>
>
本郷は立派な下町です。こんなこと常識です。
逆に本郷を下町でないなどと言うと笑われますよ。
学校説明会のおり、桜蔭の生い立ちの説明の中で下町で育った学校との説明がなされていましたけど、下町ということに誇りさえ感じていらっしゃったように感じました。
それだけこれまでの学校の成長の過程を大切にされているのだと思います。
江戸っ子(後の) さんへ:
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>> 本郷は立派な下町です。こんなこと常識です。
> 逆に本郷を下町でないなどと言うと笑われますよ。
>
>
>
だからね、戦後、世田谷や杉並あたりに越してきた人たちにとって
江戸情緒が残っているところはみんな下町って言っているだけで
もとからこの土地に住んでいる人たちは、ある程度、山の手と
下町の区別がつくの、感覚的なことだけどね、もともと訳のわからん
田舎者が作ったホームページをそのまま信用するのはどうかと思いますね、
同じ品川区でもプリンスと海岸近くの土地が違うように
山の手と下町の区別はあるのですよ・・・・
山の手線とか、山の手通り、とかの名称の反対に下町と言う言葉があるとすれば
本来の意味で言う区別は、次のようなこと。
本義は、「低地に向かって、多数の谷の浸食を受けた台地が入り込んだ地形を持つ地域」についてを指す言葉である。
東京においては、武蔵野台地の東端を「山の手」と呼び、この地域を走るJR東日本の山手線(やまのてせん/正式な線路名称としての区間は品川駅〜代々木駅〜田端駅)や、都道環状6号線の通称山手通り(やまてどおり)などの名称の由来となった。
この地形から転じて、山手線や山手通りが走る地域の市街地を指して使われることが多く、「山の手のお嬢さん」、「山の手のおやしき」のように用いられ、下町と対をなす。
明治時代の山の手は、旧江戸市街地の範囲内で、地形の山の手(武蔵野台地の東端)の武家地あとに成立した住宅街である。地理的には現在の新宿区・文京区の高台(武蔵野台地の延長である豊島台・淀橋台・関口台・小日向台・小石川台・白山台・本郷台)から千代田区番町・麹町地域までが山の手にあたる。町境や住居表示の変更により現在の町名では正確には示し難いが、大雑把には旧東大久保村や牛込区・四谷区(現新宿区)にあたる地域、小石川区(現在の新宿区と文京区にまたがる)、本郷区(現文京区)、麹町区の番町・麹町地域(現千代田区)。山の手では多くの幕臣が去り、武家地を接収した維新側大名家とその家臣団、財閥関係者、文化人など当時の中流から上流の人々が集まって住んだ。住民の多くが入れ替わったため、言語や文化の面で江戸時代と明治時代の間に大きな断絶があると言われる。
一方で商工業が集積した町人町であった下町は、江戸期に集積された伝統文化を維持しつつ、新たなサービスの対象を受け入れたため、江戸期の文化と明治期の文化に連続性が見られる。典型的な例は神田・日本橋・本所・深川など。ほぼ住宅に特化した山の手は独立した都市としては成立できなかったが、谷が入り組んだ地形のため、山の手から坂道を降りれば商業サービスを提供する下町が存在し、利便性は高かった(東大久保・牛込と新宿駅界隈、番町・麹町と九段・神田地区の関係がその典型)。また、主要な街道などは山の手の尾根の中心を通っていたため交通の便はよい。
>戦後世田谷や杉並あたりに越してきた人たちにとって
世田谷区や杉並区は、信じられないかもしれませんが、畑がかなり残っていて、山手線内の地域に比べたら、郊外そのものだったです。今では高級住宅地になっているところだって、のどかなもの。
東京といったら、中央線、総武線、丸の内線、銀座線で出かけていくところというニュアンス。
水道橋といったら、子ども達の一番行きたいところ。みんな巨人ファンだったから、後楽園球場のある水道橋は、憧れの場所であり、それよりも後楽園遊園地に行きたくてしょうがなかったのですよ。東京ディズニーランドがない時代。
1980年代のバブルで東京の町が変貌してしまったのです。地上げで追い出された山手線内の人が、どっとよそへ越して行ってしまったのですね。
中央線に乗って さんへ:
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> >戦後世田谷や杉並あたりに越してきた人たちにとって
>
>
> 世田谷区や杉並区は、信じられないかもしれませんが、畑がかなり残っていて、山手線内の地域に比べたら、郊外そのものだったです。今では高級住宅地になっているところだって、のどかなもの。
そうですね。10年前私が主人と結婚して最初に住んだ街が祖師谷(世田谷)なのですが、祖父に、「世田谷とは田舎に住むことになりましたね〜」と言われましたっけ(笑)。祖父はその前の代から(その前から?)文京区でしたから。。
なるほど、本郷の辺りも、今は下町って言われるんですね。
父が昔、友人に「原宿の土地を買ってくれないか」と頼まれたそうです。困っていたらしいので、助けてあげたいが「あんな何もない田舎の土地は買えない」と、断ったとか。時代時代で土地柄もその価値も変わるもの・・・、そんなことを争ってもくだらないと思いませんか?ましてや、その土地の上にある「学校」の価値が、いかにも下がるようなことを言ってる方って、情けないなあ〜。




































