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【3971321】わたしたちはどこからきたの?

投稿者: 日本人のルーツ   (ID:bzOpi3KTOsU) 投稿日時:2016年 01月 25日 11:35

日本人の成り立ちを5回に渡って放送したNHKスペシャル
学校の教科書では教えてもらえない神秘的な海洋稲作文化人であることが
この番組を通して理解できました。
稲作は弥生時代からと教えてもらっている我が子
今や数々のDNA分析により縄文時代より稲の栽培がはじまったとされている。

あちらの国から歴史修正主義とお叱りをうけるかもしれませんが
個人としてすごく興味があります。

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  1. 【3971966】 投稿者: ミトコンドリアDNA  (ID:x4/A/SvtAdA) 投稿日時:2016年 01月 25日 20:27

    ① 茨城県の中妻遺跡の縄文人のmtDNA がバイカル地域に住んでいるブリアート人と同一しているらしい。(篠田謙一と金井理より)

    ②アメリカのフロリダの7000年前のミイラ化したヒトのmtDNAを解析したところ、日本人5人と共通するタイプ。(モンゴロイドの地球3の第4章より)

    ③ 埼玉県浦和で発掘された縄文人の頭骨からmtDNAを解析したところ、マレー人とインドネシア人と一致した。(モンゴロイドの地球3の第4章から)



    ミトコンドリアは母親から遺伝するDNA

  2. 【3971990】 投稿者: ブリヤート人って誰?  (ID:x4/A/SvtAdA) 投稿日時:2016年 01月 25日 20:38

    ブリヤート人はモンゴル族の一部で、モンゴル先祖はバイカル湖から形成し始めてから草原地代へ進行したとされる。
    バイカル湖周辺が人類文明の一原点であり、アルタイ諸民族の発祥地だとされる。
    日本において、日本人のルーツの一つとして近年注目を集めている
    「日本人バイカル湖畔起源説」を参照

    ブリヤート人が住むブリヤート共和国の国旗には、モンゴルの国旗にも歴代採用されてきたソヨンボから取った天体を表すシンボルがあったり、ウスチオルダ・ブリヤート自治管区の旗にも、三脚巴(argabarと呼ばれる紋章)の周囲に天体のようなものが描かれていることは興味深い。

    またアガ・ブリヤート自治管区の紋章には、まさに太陽が描かれている。


    太陽!へ〜そうなんだ

  3. 【3972024】 投稿者: ナムガル  (ID:x4/A/SvtAdA) 投稿日時:2016年 01月 25日 21:01

    http://www.harmony-fields.com/a-namgar/profile.html

    ナムガル
    世界で最も古い湖 “バイカル湖” の文化。 蒼き狼たちの歌声。


    お琴も使われるし、アイヌのひとたちがつかっていた楽器トンコルも使われている。
    ロシアの中で自治区を保って中国のように迫害もなく音楽が
    楽しめる。
    顔はまるっきり東洋系だ

  4. 【3972055】 投稿者: アルカリ性  (ID:bzOpi3KTOsU) 投稿日時:2016年 01月 25日 21:24

    火山灰が多い日本の土壌(酸性)において茨城県の中妻遺跡の人骨がみつかったのは貝殻と一緒に捨てられて土壌がアルカリ性だったかららしい。

    恐るべし火山大国日本

  5. 【3972072】 投稿者: 日本人のルーツ  (ID:x4/A/SvtAdA) 投稿日時:2016年 01月 25日 21:35

    狩猟遊牧型とどんぐりなどを主食としていた定住集落型に縄文人は
    分かれていたのかもしれない。
    稲の栽培は縄文末期いや弥生時代と思っていたがそうでもないみたい。


    大矢遺跡 天草市本渡町広瀬
    土器に稲もみ圧痕
    時代は縄文時代中期(約5000年~4000年前)だ。
    中期にはジャポニカ米を栽培していたってこと?

  6. 【3972209】 投稿者: ジャポニカ米の歴史  (ID:/IKoQg18TlE) 投稿日時:2016年 01月 25日 23:07

    イネ科植物が枯れたとき、有機物は分解されて土に還る。
    しかし珪酸体というのはガラス質であるため腐ることがない。
    その珪酸体をプラントオパールと呼ぶ。
    土中から検出されるプラントホールを分析すれば、原産地が判明する。
    大陸のどのあたりから日本列島に伝わったのか?

    岡山県の難崎町にある彦崎貝塚の縄文前期(約6000年前)の地層から、
    イネのプラントオパールが大量に発見された。

    世界最古級の稲作遺跡はどのにあるのか?
    近年、長江下流の河姆渡遺跡が世界最古の稲作遺跡とされている。
    おそらく川があるということは船をつくって日本列島に縄文時代からたびたび
    やってきたのでは?と想像する。
    遺跡の所在地を見ていくと、岡山、有明海、が多い。
    長江下流域の江南人が海を渡って有明、瀬戸内海とやってきたのでは?
    実は河姆渡遺跡の出土品と、日本の鳥浜貝塚(福井県若桜町、12000年~5000年前)や、三内丸山の遺物に、共通性があるようです。
    河姆渡村を含む江南地方から縄文前期(6000年前)に直接文化が流れたのではと考えるのですが如何でしょう。
    しかしなぜ弥生人(渡来人)が稲作を伝えたと間違った歴史になったのか?
    つまり縄文人は稲作にそんなに興味がなかったのでは?
    その理由を考えてみました。
    稲作農耕を営まなくても縄文人は狩猟・漁労・採集生活で豊かな暮らしを実現しており、手間のかかる稲作農耕を行う必要がなかった。
    縄文社会は、貧富の差のない社会であり、稲作という初期農耕社会は生産性が低く、収量不安定で、全ての人々が豊かで平等な生活を保障するものではなかった。

  7. 【3972217】 投稿者: 次はなぜ  (ID:/IKoQg18TlE) 投稿日時:2016年 01月 25日 23:12

    次はなぜ爆発的に稲作が流行ったの考えたいと思います。
    渡来人説が大量にやってきた?
    いやいや
    縄文人は稲を知っていた。そして天候不順によって食料不足の危機感に芽生えた
    縄文人は稲を寒冷でも栽培できるものに改良しどんぐりの不作とともに爆発的に水田がはやったのではないだろうか?

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