女子美の中高大連携授業
なぜ年配者ほど、地方出身者ほど国立崇拝があるのか?
昔は国立大学は優秀だったのでしょうか?
GDP2030年予想では、トップ10の中の6国がアジア圏。
GDPの落ちていく日本が、今後そのアジアの中でナショナルリーダーとして存在感を示すためには、人的、知的ネットワーク構築が重要と国も以前より策を練っています。
アジア圏交換留学も盛んですよ。
旧帝では、その留学生が母国に帰って政府高官など国家中枢人物となるように育成。
その留学生により現地同窓会が数多く立ち上がって、企業の海外進出の話もスムーズに進でいます。
日本は、中国、インドどころかインドネシアよりGDPが下になる将来予想。
>地方の学生は中国
いつも思うのですが、偏見は視野を狭めるのでは?
戦前は国内大学と言えば、5帝国大学だけで、私立は専門学校的な部分で早慶同志社ぐらいでしたからね。
東大でもほぼ無試験の仏文科とかの分野もありましたし。
また、東大よりも難関な陸軍大学(概ね定員20前後)などという価値観もありましたし。
戦後は駅弁大学もだけども私立大学が雨後の筍のように増えました。
また、敗戦間際に帝国大学に大阪・名古屋が加わり、
敗戦後の約6年間の日本が国として独立を果たすまでにアメリカ占領時代にキリスト教系の学校が沢山増えて今でも幅をきかせてます。
お年寄りの中で「大学」と言えば「帝国大学」と言うイメージがあり、国立の一期校二期校の時代でも、早慶でも国立の抑え校でしたから、お年寄りの国立信奉は仕方ないかも知れません。70年代までは私立は早慶(特に早稲田)や私立医学部はお金を積めば入れる学校でもありましたからね。
帝国大学令に続いて大学令が施行されると、それまで法的には専門学校であった私立大学のなかの有力校が相次いで旧制大学へと昇格を果たした。それまで数十年間、大学の名を冠しながらも法的には専門学校扱いであった有力校にとって大学昇格は宿願であったことから、その認可条件が厳しいものであったにもかかわらず、教学体制の整備を目指す私学が相次いだ。その皮切りは、やはり当時から別格視されていた私学の両雄、慶應と早稲田であった。大正9年2月のことである。それから遅れること僅か二ヶ月後には、認可番号順に明治、法政、中央、日本、國學院、同志社の六つの大学が昇格した。その後も大きなところでは大正十一年五月に専修、立教、龍谷、拓殖、立命館、関西などが大学としての認可を受け、大正十四年には駒澤と東京農大が、元号が改まって昭和三年になると東洋と上智がやはり大学令による大学としての門出を祝った。
東京帝大、京都帝大、東北帝大、九州帝大、北海道帝大の五つの帝国大学に続いて、上記の私立大学以外にも東京商大(現一橋大学)や金沢医大(現金沢大学医学部)などの官立大学が誕生したことの帰結として、大正末期から昭和初期にかけて学生数は大幅に増えた。各私立大学は学部本科の学生や専門部・予科の生徒を獲得するべく大学経営改革に乗り出す学校が多かったが、その過程で個々の大学に独自の雰囲気が醸成されるようになった。
そのような大学の増加は、必然的に志願者層に対する道しるべが必要な状況を招来する。そこに目をつけた出版業界では、旧制中学や師範学校(幾つかの私立大学は高等師範部を併設していた)の生徒を主な対象とする大学案内本を刊行する情勢となった。それらを読むと、現代のような偏差値に代表される指標は存在しなかったものの、それぞれの大学の特色をよく伝えており、現在の各校の立ち位置と照らし合わせて考えると大学史を学ぶ上で有益だと思われる。




































