在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
大学受験国語を考える
現代文の題材に選ばれるような文章はポエムに過ぎないだとか、
古文や漢文はいらないだとか、
いろいろ言われていますが、
大学に入ったら嫌でも文章を読んで書かないといけないので、
おそらくは小論文などとともに残るであろう、大学受験国語。
これについて考えていきましょう。
> 例えば高校時代に早慶と決めたのなら自分に最も合った科目を選択し、そこに集中して、一般の国立より難しい早慶の問題を解けるようにする方が合理的。
だから物事を表層的にしかみれなくなるんだよ。短絡的にしか物事を考えないから。なぜ高校のカリキュラムが今のような科目、時間、範囲になっているのか考えたことあるかい?それぞれの教科を通して身に付けるべき能力があるんだよ。大学はその土台があることを前提にして、更なる教育を施しているんだよ。その土台がもろかったら、いくら積み上げても崩れるだけだろ。
たしかに、サラリーマンも大変らしい。何度も記したが、高校時代の同級生は東工大を経て有名鉄鋼メーカーに入社したものの、次第に元気が無くなった。鉄不況や近隣諸国からの追い上げにあったからだ。また、私のゼミ仲間も当時の都市銀行に入行した。しかしその後、勤務先は合併を繰り返した。しまいには、「自分が学卒後、何という銀行に入ったか忘れた」と、自嘲するありさま。しかも、かろうじて基幹支店の長まで上り詰めたもののその間、いつも上からの「片道出向」の下命に怯え続けた。その代償が賃金である。
ことほど左様に、サラリーマンの職業人生は、経済などの外的要因にも翻弄される。しかも、それは資本主義経済に不可避なものだ。したがって、仮に現時点での就職で「理系有望」のように見えても、その四年後(六年後)までをも保障するものではない。当然だ。そうであればやはり、月並みながらも進学では、自分の好きなこと、興味ある分野を選択することが最善であると考える。このことを声を大にして、受験生諸氏にお伝えしたい。換言すれば、多少理系科目が出来たとて、そこに興味乏しければ再考もおそれるべきではない。
>経済学部の入試で数学を課すよう文科省が指針を出すようだし、慶應経済のB方式の募集人数が減ったり無くなったりする可能性もあるよ。早稲田も商学部の数学選択での方式の定員を増やす可能性がある。
ですから数学必須というならやるしかないってことでしょ?
出来なきゃ落とされるだけという話でしょ?
合格したければ数学やればいいだけの話で、やらないなら合格をあきらめればいい。
今の状態では数学以外を選択できるんだから、自分に有利な科目を選択するだけ。
合格するための合理的な選択のなにがいけないの?
やはり給料より先に仕事の中身に興味が持てないと、勤務時間長いから辛いよ。基本、家で寝る時間以外、仕事だから。
まあ、仕事に生き甲斐を感じるというのもありっちゃあありだけど、結局、キリがないから、最後、灰になるな。エンドレスに小6や高3を続けるみたいなことになりかねない。
もうね、仕事に嫌なことなんか、上げ始めたらキリないし、代償として給料とか出世も何も感じなくなるから、まあいい会社いい会社っていうほどの夢は持たない方がいい。
ノーテンキな主婦が年収2000万ですとか、しかうまな学生がコンサルで年収3000万とか書き込んでるんで、もういってくれと。どんだけ行きなくない仕事行ってると思ってるんだと。朝から電車を江ノ島方面乗って遊びたいんだと。
>だから物事を表層的にしかみれなくなるんだよ。短絡的にしか物事を考えないから。なぜ高校のカリキュラムが今のような科目、時間、範囲になっているのか考えたことあるかい?
高校のカリキュラムをないがしろにしているのは子供ではありません。
表層的に見れなくなったのは子供のせいではなく何の罪もない。
教育者や国、親に責任があるのであって、子供に押し付けないでもらいたい。
高校教育をないがしろにしてきたのはサラリーマン的な教育者ですよ。
私立に多いですが高校は名声を上げるために学力でクラス分け、私大志望者、国立志望者とクラス分けして科目を絞り少しでも一流大学へと躍起じゃないですか。
今じゃ公立だってそんな感じでしょうに。
子供たちは大人の期待に応えようと頑張っています。
良かれと思って子供は受験を乗り切ろうとしているのに、そんな中でお前は数学やっていないからダメだとかいうのはいい加減にするべきでしょう。
何度も言いますが数学を選択していない子供を非難するのはお門違いですよ




































