女子美の中高大連携授業
大学受験国語を考える
現代文の題材に選ばれるような文章はポエムに過ぎないだとか、
古文や漢文はいらないだとか、
いろいろ言われていますが、
大学に入ったら嫌でも文章を読んで書かないといけないので、
おそらくは小論文などとともに残るであろう、大学受験国語。
これについて考えていきましょう。
現代文の評論の文章をスラスラ完璧に読みたい、評論の問題でパーフェクトを狙いたい、学者や物書きになりたい、と少しでも思ったことがある人は、恥ずかしながら、自分の乏しい読書体験からだが、内容が高度できれいな文章を書く著述家として、市川浩、岩崎武雄、大内力の三人を挙げたいと思う。彼らの文体なら真似をしても誰も怒らないだろうし、現代文の成績も上がると思う。
君はよくお分かりでないようだ。たしかに「高校生だから」といえば、保護のうえで画一的・平均的だともいえる。それゆえ実際には、並外れに怜悧な18歳のごとき、具体的にみれば別段保護を受ける必要もなさそうな者も保護を受けることができるといった不合理な場合もありうる。
しかしながら、日常においてその都度意思能力の有無といった具体的・実質的な事実の認定は煩雑であり、現実的でもない。そこで、若干の不合理あっても、社会全体の効率に資するとの観点から、あえて具体的な当事者の個別的事情を問わず、一律に「高校生だから」との属性を重視するのである。
お分かりかな。
別に大人でも高校生でもいい。そこは本質ではない。
大学は入学すればあとはサークルやバイトをし放題のところではなく、自ら進んで勉強しにいくところだということは認識してほしいね。高校で教科を絞ったらそれだけ大学で学べる範囲が狭くなるのだから。
横から首を突っ込んできてどうでもいいことを論点にしたのは君だろ。こんなことにしか意見を言えんのか。
論点にしていたのは高校で理数系の教科を履修しないのは誰のせいかだよ。学校なのか、親なのか、文科省なのか。誰のせいでもない。自分で決めて自分で責任をとるんだよ




































