在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
大学受験国語を考える
現代文の題材に選ばれるような文章はポエムに過ぎないだとか、
古文や漢文はいらないだとか、
いろいろ言われていますが、
大学に入ったら嫌でも文章を読んで書かないといけないので、
おそらくは小論文などとともに残るであろう、大学受験国語。
これについて考えていきましょう。
「困らない」理論って、昔からありますね。
よく知られているのが「曽野綾子さんは二次方程式の解の公式を知らないが人生で困ったことは一度もない」というやつです。
ヨタ話としてはいいのですが、これが教育審議会などでしつこく語られ、そのままあるいは応用形を放言して問題になった例も多々あります。
三浦朱門さんや曽野綾子さんは思想行動すべて怪しいことばかりですが、この部分については同意できるかどうか、二俣川さんにはぜひ見解を伺いたいです。
私の見解は既にありますので、少々待ちたいと思います。
>私立文系の学生の多くは、高校の途中で理数系を捨てているから、理数系の教養のなさは致命的だよ。
この文章に問題があったね。
ここではどの事柄に対して理数的教養がないことが致命的であるかを論じなければならない。
ある事柄に対して理数系の教養が必要であり、致命的であったとしても、私大文系学生に関係のない事柄ならばどうでもいいことですので、私大文系学生全般的に言えるようなことでありません。
理数系の論理的思考があるとは思えない文章です。
世の中は理系も文系も足りない部分を補って社会を構成しています。
どちらかを選んで致命的なんてないのです。
学歴さえない人たちもいますが、それぞれの特技など能力を生かして社会貢献していけばよいのですよ。
理数系ができない人間を致命的などとこき下ろす論調は看過してはなりません。
人を差別するような教育者がいないことを望みます。
>理科的センスがないと猫をレンジに入れてチンしたり燃えるオブジェを制作して人を焼き殺したりすることがありますからね。数弱よりも理科離れの方が危険かも。
酷いね。
理系センスがあるゆえに起こしてしまう犯罪もあったのに・・・
これはまずいぞ。




































