在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
地元の旧帝大より東京の有名私立大学
早慶、上智、MARCH etc...など東京の有名私大が旧帝や神戸大などの地方難関国立よりあらゆる面で勝っています。
これは残念ですが事実です。
賢い人は地方に都落ちはしませんし、地方の人は東京の私大へ来ます。
その証拠に有名企業就職率、大企業役員、政治家などあらゆる分野で地方旧帝は東京有名私大にノックアウトされています。
賢い人が多いからですね。
我が国の首相も、世界のトヨタの社長も早稲田卒です。
地方旧帝で活躍してる方って思い浮かびません。
地方のナンバーワン進学校である灘や西大和学園も大挙して東大や早慶にやって来ます。
君のお相手で時間を浪費しつつ、昨夜から昼までに4冊の単行本(専門書)を読み終えた(途中、家人の買い物に帯同しつつ)。総頁数は2、800頁程度か。なお今後、明日中にさらに5冊程度の読書を予定している。目標は、とりあえず2日で10冊。週末には学外でのセミナー講師の仕事もある。新学期になると、やはり忙しい。おかげで、神宮での野球応援に行く時間がとれなかった。
毎度おなじみ、使い古されたコピペ。
お答えする必要すら有しないが、とりあえず(以下、転載)。
「君は谷岡一郎著『「社会調査」のウソ』(文春新書)をご覧になったことはあろうか。そこで著者は、世に蔓延る安直な世論調査や意識調査につき、手厳しく批判している。そのうえで著者は、この国ででたらめな調査データが横行する原因として、社会科学の方法論につき生半可な知識しか備えていない人々が当該調査に携わってきたことをその理由に挙げている。さらに、故意にルール違反を行う例さえあるという。/私もかねがね、科学哲学の見地からそうした「データ」のいかがわしさ-観察の理論負荷性-を指摘してきた。ところが、学問的訓練に乏しい人々は、そうした出所・出典自体怪しい-しかも都合よく切り貼りされた-「データ」擬きを盲信する。その結果、君のような学問の素人が専門家に「説教」をする。SNSや匿名掲示板が生み出した負の側面だが、本当に奇妙な現象だと思われる。/私は当掲示板上でも「政治とは経済であり、法はその表現に過ぎない」としばしば指摘してきた。したがって、ご指摘の島根大学等に関わる卑見も、それを前提にしたものである。しかも、朝日紙によれば、同県に大学はわずか二校しかないとの由。まさに、(失礼ながら)過疎化、少子高齢化の象徴のような地域である。/そして私も、専門外とはいえこのような人口経済学の知見から学ぶために『経済統計の活用と論点』(東洋経済新報社)といった定評ある文献を熟読した。したがって、君のご指摘になる卑見についても、そうした学問的観点から導き出された見解だということを申し上げておく。そして、それは現在においてもなんら訂正する必要を認めない。/当掲示板上で横行する「データ」もいかがわしい。これも再三指摘してきたが、数値データや統計的手法というものに対する盲目的な信仰である。たしかに、調査結果がもっともらしい数値で外形的に表現される。だからこそ「客観的」で、「信頼が保障されている」と資料批判の訓練の乏しい層には歓迎されるのであろう。/もともと、そうした調査やデータは調査対象(者)との関りが浅薄なものになりがちである。それゆえ物事の込み入った事情について検討する技法としては制約が多いとの限界がある(単純機械的に、他国の大学との形式的な比較に終始するなど)。また-既述のように-調査結果の解釈においても、調査者本人の主観が介在、反映する余地が極めて大きいということを理解する必要があろう。ハンソンの観察の理論負荷性の問題である。/しかも、先述のように、数字はいったんパソコンに入力してしまえば、すべて数字は同じように信頼できるかの如くに映じる。かくて情報は混乱し、自分に都合よい数字を容易に見つけることを可能にする(当掲示板上でのコピペは、ほとんどがその類だろう)。当然ながら、それでは自らの考えの論証足りえず、単なる装飾に過ぎなくなる。だからこそ私は、資料批判(訓練)の必要性ならびに統計学における非標本誤差の研究の不足を指摘するのである」
たとえ私の論理に批判があるとしても、そのことが私学発展への道のりを迂回し、その動きをディスターヴすることにはならないであろう。再三考察したように、事実を踏まえた「議論」と「意見交換」は国立大学に比べ不当な私学の在り方の解消へと向かう学問的な王道であると思われるからだ。そしてなにより重要なことは、われわれの存在であり、観念ではない。そしてわれわれのー不当な差別撤廃へのー実践こそが、われわれの存在態様を決定するはずである。私は、それを信じて疑わない。ゆえに今後も闘い続ける。




































