在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
地方国立という侮蔑的呼称に含まれるのはどの大学まで?
よく地方国立はレベルが低いとか終わってるとか就活力が低いとか、侮蔑的な意味合いで使われることが多いですが、ぶっちゃけ地方国立に含まれるのはどのあたりの大学までなのでしょうか?
旧帝以下は文句なく含まれるのだとは思うのですが、文脈によっては九大北大あたりまで含まれたり、場合によっては京大も含まれるのでしょうか?
半分当たっていて、半分外しています。
確かに私大の年内入試は経営上の学生確保という側面が強い。少子化下で定員を埋めるため、早期に囲い込む。その動機自体は否定できませんし、質より量に傾いている大学が多いのも事実です。
ただ、それをもって年内入試=抜け道と一括りにするのは、現状分析として粗い。
本質は入試方式ではなく、大学側が何を評価対象として設計しているかです。
小論文の配点を事実上ゼロにするようなケースは、評価能力を放棄しているだけで、入試の問題というより大学の設計不全。逆に、年内入試でも評価軸を明確に持ち、入学後の教育と接続できている大学も一部には存在します。
つまり問題は、年内か年明けか、一般か総合型か、ではありません。
大学が学生を選んでいるのか、単に集めているのか。そこだけです。
文科省がルールをいじっても、大学側の評価思想が変わらない限り、形だけ別の抜け道が生まれるだけでしょう。
入試の早期化が問題なのではない。
選抜という行為を放棄したまま、入試という名前だけ残している大学が多すぎる。それが今の歪みです。
勉強を頑張るというよりはいかに楽に大学に入るかが競われている気がする。
勉強するために大学に入るのだから
ある程度の学力のある人を合格にしないと…。
先に一般入試で人数確保してから推薦入試の方がいいと思う。
私個人の感覚では、私立は国立の滑り止め以上の位置付けに置いたことはありません。
なので、年内入試が楽か厳しいか、一般と推薦の順序がどうかという議論自体に、正直あまり関心はありません。
ただ、その前提を置いた上でも、今起きている現象はかなり単純です。
私大の年内入試は学力評価の最適化ではなく、経営上のリスク管理として設計されている。
定員を早期に押さえ、数字を確定させ、偏差値という指標を形式的に守る。
まともな人さんの言う通り、推薦で先に埋めるから偏差値が保たれるという構造は事実です。
一方で、推薦さんの違和感も理解できます。
勉強の競争ではなく、制度ハックの競争に見える。
大学で学ぶ前提となる基礎学力が担保されないまま、入学だけが先行している。
ただし、それを順序の問題に還元しても解決しません。
一般を先にしても、大学側が選抜する意志を持たなければ、単に別の形で人数合わせをするだけです。
重要なのは、私立がそうなら国立はどうかという話でもありません。
大学という装置が、学力選抜機関から顧客管理機関へと役割を変えつつある。
年内入試はその最も分かりやすい表層に過ぎない。
だから私は、私大入試の細部をどう設計するかより、
なぜ大学名や偏差値にこれほど人が縋り付く状況が続いているのか、
そちらの方がはるかに深刻だと思っています。
本来、大学は入ることが目的になる場所ではない。
しかし今は、学ぶ中身より入学経路の軽さが話題になる。
その時点で、大学側も受験側も、装置としての大学を既に取り違えているのだと思います。
思い切って、国公立大学は各都道府県に1校、私立は今の10分の1くらいに絞って、あとは廃校にしても良いんじゃないですか?多すぎるでしょ?
少子化で先行き暗い中、需給バランスが崩れてるんだから、それくらいしないと日本の大学の権威や学力水準は低下する一方だと思いますよ。
数を減らせば質が上がる、という発想は直感的には分かりやすいですが、現実の因果は逆です。
大学が多いから学力水準が下がっているのではなく、大学が何を担う装置なのかを定義できなくなった結果として、数だけが残っている。
仮に国公立を各都道府県1校にして、私立を10分の1にしたとしても、大学に入ること自体が目的である構造が変わらなければ、序列への執着はむしろ強まります。入試は激化し、看板価値はさらに神格化され、学ぶ中身より通過点としての価値が肥大するだけです。
権威や学力水準は、供給量の調整で回復するものではありません。どの大学が、どの段階の人材に、何を学ばせ、どこまで責任を負うのか。その役割分担が曖昧なままだから、全ての大学が同じ看板競争に巻き込まれている。
少子化で需給が崩れているのは事実です。ただし必要なのは一律の整理ではなく、機能ごとの切り分けです。研究中心、職業訓練中心、再教育の受け皿、地域拠点。それぞれの役割が明確なら、数が多いこと自体は必ずしも悪ではない。
大学の権威が下がっている理由は、数が多いからではありません。入学がゴールになり、学ぶことの出口が語られなくなった。その状態を放置したまま数だけ減らしても、問題の所在は何も変わらないと思います。
なにか何でも東大か国医、という感じでなければ、私大専願のほうがいい。
受験科目は少ないし、学生数もサークル数もイベントも多い。
就活も、早慶のほうが東大以外の国立より有利。「難関業種に強い大学ランキング」で検索すれば分かるとおり、外資コンサル、メガバンク、商社はじめ、ほどんどの業種で早慶の就職率が東大京大をリードしてる。特にマスコミは席巻。
4年間の学部も大事だけど、40年間以上の社会人生活や生涯賃金も大事だからね。
低所得者向けの学費減免制度が充実する国立大は、もはや貧困層が集まる大学です。人脈は大事。
話がかなり雑。そして間違っている。
私大専願が合理的になるケースがあるのは事実です。ただそれは、受験の楽さやサークル数、就活ランキングが理由ではありません。そこを並べ始めた時点で、議論が表層に落ちています。
就活についても、早慶が強いのは一部業界の初期配属と母数効果です。外資コンサルや商社に何人入ったかという数字は、誰がどこまで伸びたかを何も説明しません。東大以外の国立が弱いのではなく、進路の分散が大きいだけです。
国立は貧困層が集まる大学、人脈が弱いという見方も現実とズレています。研究職、官僚、医療、技術系の中枢は今も国立比重が高い。学費減免は大学の格ではなく制度設計の問題です。
結局ここで語られているのは、どの大学が上かではなく、就活ゲームを早く楽に終えたいかどうか。その価値観自体を否定はしませんが、それを大学選択の一般解として語るのは無理があります。
大学も進路も、目的次第。序列とランキングで一括処理できるほど単純な話ではありません。
加えて、作文でもあるまいに、ネットで不要な一文字セットバックをしてしまっている時点で、あなたがまともに社会に接続していないのが透けている。
文章の内容以前に、画面の向こうの読者や場の文脈を一切意識できていない。その感覚のズレが、そのまま大学観や社会観のズレとして表に出ているだけです。
就活ランキングや人脈という言葉を振り回しながら、実際には社会の手触りを何一つ掴めていない。だから議論も、文字位置と同じで、ずっと一段ズレたままなのだと思います。




































