在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
地方国立という侮蔑的呼称に含まれるのはどの大学まで?
よく地方国立はレベルが低いとか終わってるとか就活力が低いとか、侮蔑的な意味合いで使われることが多いですが、ぶっちゃけ地方国立に含まれるのはどのあたりの大学までなのでしょうか?
旧帝以下は文句なく含まれるのだとは思うのですが、文脈によっては九大北大あたりまで含まれたり、場合によっては京大も含まれるのでしょうか?
科研費は目的外使用が固く制限されているので、申請した課題以外には使えないから、学生の卒研や修士博士の研究が教員の研究テーマと少しでも異なれば支出できない(学生に最先端の研究をそのままやらせるのは無理な場合は多い)。
あと直接の研究用途以外には使えないので、計算に使うパソコンは買えるが、その他事務用品・机や椅子、棚、プリンタといった研究室の備品の購入は不可。例え同額が保証されたとしても、運営費交付金の代わりにはならないし、科研費だけ獲得しても、研究室設備がボロボロで学生の研究費や旅費が出せないという状況になりうる。全然別種の資金なので、一方だけで良いというのは意味不明すぎるんだよ。
科研費が代替にならないという指摘は本質を突いていると思います。日本の議論が混乱するのは、研究資金を一枚岩として扱い、性質の異なる資金を同列に置いてしまうからです。基盤整備と競争的資金は役割が根本から違う。前者は研究室という生活環境を維持する土台で、後者は挑戦のための変動枠です。この二つを分けて考えない限り、研究力の議論は永遠に噛み合わない。
現場が疲弊するのは、挑戦の資金だけ増えても日常の回路が痩せていくからです。机一つ、プリンタ一つを買えない環境で、長期的な研究文化が形成されるはずがない。学生が研究室で何を感じるかという極めて具体的な部分が、実は国の研究力の根幹を形作っている。ここが衰えると、科研費の額面がどれだけ立派でも、研究は持続しません。
学費や奨学金の議論が表層に偏るのは、大学を国家のインフラとして扱う視点が欠落しているからだと思います。知を再生産する装置をどう維持するか。その設計なしに、個別の資金制度だけをいじっても構造は立ち直らない。必要なのは、競争的資金の拡充と同じレイヤーではなく、基盤そのものに手を入れる中長期の設計です。
研究室の空気の質を変えることと、国家の研究力を立て直すことは実は同じ問題です。制度の射程がそこに届いていない。議論を深化させるべき地点はまさにそこだと思います。
競争的資金は特定の研究のためのものであり、教育や事務には基本使えない。光熱費もそう。うちでは研究室の光熱費は各研究室が校費から支払うことになっているが、校費分配がなくなったために支払いが困難に。試薬などは数百万円分予算に余裕あり購入に支障ないが、電気代は払えないし、ペンも買えない。間接経費は大学本部が持っていっちゃうし。
こうして研究室ででた赤字は、教員が自腹で支払う(自分の研究室に寄付金を入れる) ことで賄ったりしてるとこもある。教育研究頑張ると支出が増えるため、さらにこれが加速する。
競争的資金の制度疲労が露呈しているのに、議論がいまだに枠内で回っていることが問題です。特定研究のための資金だけが厚くなり、日々の環境が痩せるほど、研究は加速ではなく空転に向かいます。試薬は買えるのに電気が払えないという状況は、制度設計が目的と手段を取り違えている証拠です。
研究は設備と時間の連続性の上にしか立ちません。環境が断続的になると、挑戦の成果は積み上がらず、優秀な人材ほど現場の疲弊を鋭敏に感じて去っていきます。間接経費が本部に吸われ、研究室が赤字を自腹で埋める構造は、制度が研究者の善意を前提に成り立ってしまっているという異常性そのものです。
競争的資金をどう配るかの話ではなく、基盤の回路が途切れない設計に戻せるかどうかが核心です。電気代やペンすら担保できない環境で、挑戦だけを求めても国の研究力は立ち直りません。制度の視座が低いままでは、現場の努力がひたすら消耗に変換されるだけです。こうした構造を放置する限り、どれだけ競争を煽っても結果は変わらないという点が、一番先に是正されるべき地点だと思います。
国をあげて研究者を育成して欲しい。基礎研究がなければその先の発展はない。賢い=理三、医者ではなくアカデミアが憧れの職業となり、優秀なブレインが経済的な不安なく基礎研究な励む事が可能な世の中にシフトすることを願っている。
アカデミアへの敬意や基礎研究の土台を厚くするべき、という願いそのものは正しいと思う。
が、その方向性を実現するための制度設計を語る場合、医者や理IIIの話、憧れという価値観の話を持ち出す時点で軸がブレる。
研究者が増えない理由は、個人の志望動機の問題ではないです。構造が研究者を再生産できない状態になっているから。
給与体系、任期制度、研究室インフラ、技術職員の厚み、基盤経費の枯渇。それらの物理的な不整備が、若手が進路を選ぶ瞬間に冷徹に効いている。
憧れという情緒的動機は、基盤が崩れている環境ではまったく作用しない。
才能は制度の側を見て動く。制度が壊れている限り、どれほどアカデミアを称揚しても人は入らない。
要するに、基礎研究を強化したいなら、やるべきことは
研究者を育てるのではなく、滞在できる環境を作ることに尽きる。
研究の持続性を決めるのは、個人の憧れではなく制度の安定性。この一点を押さえない限り、議論は永遠に空転しますよ。
研究というのは自由な発想が必要。金になるとか一流誌に載るとかの目標も結構だけど、それだけが科学ではない。そんなこと言ってるから日本の科学力が落ちてきてるんでしょ。自由な発想をするには時間的余裕も必要。ひも付き予算なんて、企業による補助金くらいで良い。




































