女子美の中高大連携授業
MARCHより下の旧帝大に進学するメリット
今の若者が、地方国立ではなく、マーチにこぞって進学してしまうのを忸怩たる思いで見ています。
やはり地方に行くということは負けなのでしょうか?
そつなくこなせそうな人を選ぶ、という前提そのものが時代のアップデートから取り残されていると感じます。企業が欲しがっているのは平均値ではありません。むしろ平均値こそ、AIとの競合領域に真っ先に飲み込まれる部分です。
高解像度のビッグデータが暴いているのは、適性が直線的でも凡庸でもないという事実です。アニメに深くのめり込んでいた人が開発部門で圧倒的な成果を出したり、アイドルに詳しい人がマーケティングで異常な精度を発揮したり、天体に夢中だった人が経営企画で飛躍する。こうした事例が積み上がって、相関が見える前に因果の片鱗すら見えてしまうのが今の時代です。
多様な特性がどの仕事に結び付くのか、本人ですら気付かない組み合わせをAIが先に見抜く。その世界で、そつなく、平均的、無難という発想は逆にリスクになります。可塑性ではなく希少性に価値が移っているからです。
韓国の推薦入試の説明も同じ構図で、制度の違いを語っているようで、本質は見えていません。高校成績を重視しようが一発勝負に寄せようが、選抜の正当性はシステムの形式で決まるのではなく、結果としてどれだけ正確に人材の潜在能力を拾えているかで評価されます。そこを理解しないまま、日本の推薦入試は高校間格差のせいで信用できない、と並べても、視座が制度の表面に固定されていて、本質的な人材選抜の精度に届いていません。
今問われているのは、誰を選ぶかではなく、何を基準に未来の適性を読み取るかです。過去の偏差値や平均的な万能性では未来は読めない。高解像度のデータが示しているのは、人の可能性は直線ではなく、複雑で予測困難な空間に広がっているという現実です。
その射程に届かず、平均像を基準に語る限り、議論は時代の手前で止まり続けます。
醤油〜コト!
推薦入試を、大学が欲する人材を選抜する入試方法のように言ってるけど、そもそもは、少子化の中で学生を確保するためのものだったのでは。
また、日本の大学は入学したら、勉強しなくても卒業出来るシステムと言ってるけど、だいぶ昔の話なのでは。企業が新入社員研修をやれていた時代は、会社がゼロから育てるので、新入社員は、何のスキルも必要なかった。ただ、潜在的なキャパシティだけ求められた。それが偏差値の高い大学に入学できたということだった。
今は、企業にそんな余裕も無く、終身雇用も当たり前ではなくなった。大学の出席管理も厳しくなったし、就職前の資格取得を頑張る学生も多くなった。
推薦入試が学生確保のために拡大したという歴史自体は否定しません。ただ、その起点だけを取り出して現在の制度を語ると、大学が実際にどう動いているかを読み誤ります。少子化対策として始まった制度が、今は選抜の主軸になりつつある。制度の動機と制度の運用は、時間が経つと別物になります。
入学後の学習が昔より厳しくなったという点も、その通りです。ただ、大学が学生の質をどう確保するかという本題には触れていません。出席管理や資格取得は、内部の統制の話であって、大学がどんな人材をどんな基準で取るかという選抜の話とは別です。
企業が研修で育てる余力がなくなったから大学に期待が移った、というのも一部の事情にすぎません。大学が本当に必要としているのは、統制しやすい学生ではなく、学習経験の質が担保されている学生です。ここを高校側の評定だけで測れるのか、という問題がずっと残っています。
だから、推薦入試をどう運用するかは、過去の動機でも、学生の勤勉さでも決まりません。大学が何を基準に選ぶのか、その基準がどれだけ透明で妥当か、という一点だけで評価されるべきです。ここを外すと、制度の目的と現実がまたずれていきます。
一発試験の一般入試では能力を適正に判定できません。
「学生を確保したい」大学、「進学先を早く決めたい」学生・保護者、「生徒を浪人させたくない」高校の願いも一致し推薦が増えています。
健全な高校生活を送り、その過程で最適な大学に推薦で入ることは、詰込型・一発試験の入試対策から解放され、思考力・コミュニケーション能力を高めるのが良いでしょう。
一発試験が万能だと言うつもりはありません。ただ、ここで話がすり替わっています。
推薦が増えた理由として、大学 高校 学生 保護者の利害が一致したという説明は正しいです。しかしそれは制度が拡大した理由であって、制度が適正かどうかの根拠にはなりません。楽だから広がった仕組みと、能力を正しく測れる仕組みは別物です。
健全な高校生活やコミュニケーション能力が重要なのは同意します。ただ、それを誰がどの基準で測っているのかが曖昧なままです。高校ごとの評価基準の差、評定のインフレ、推薦枠を巡る校内事情。ここを無視して思考力が育つと言われても、制度としての担保にはなりません。
一発試験が不完全なのと同じように、推薦も不完全です。問題は方式ではなく、評価基準の透明性と再現性です。今の推薦入試は、その中身が外から検証できない。だから疑問が出続けます。
詰め込みからの解放を語るなら、なおさら選抜の中身を開示する必要があります。何を評価し、何をもって合格としたのか。それを説明できない限り、一般入試より優れているとは言えません。
結局ここでも、理想論が制度設計を上回ってしまっている。そこが一番の問題です。
高校で推薦基準にも達せず、一般でも希望大学に入れず、不本意な大学に進学する学生がほとんどです。
また大学も、一般もでも推薦でも当たり外れがあるのは百も承知。どちらも不完全な選別。
学生は好きな方、得意な方式を選び、選ばれるよう努力し前に進むのみ。




































