在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
MARCHより下の旧帝大に進学するメリット
今の若者が、地方国立ではなく、マーチにこぞって進学してしまうのを忸怩たる思いで見ています。
やはり地方に行くということは負けなのでしょうか?
アメリカでは、フォーブスのシニア・コントリビューターのウィンガードがはっきりこう述べている。
「大卒が採用の保証だった時代は終わった。
多くの企業が、採用要件から『大卒』を外す。名門私立8校の学位ですら価値が揺らいでいる。」
インテリジェント・ドット・コムの調査ではアメリカの中級職の半数以上、上級職の2割近くが既に学歴不問だと。
理由は明快で、大学が生み出す学士号と現場で要求されるスキルの乖離が限界点に達したからです。だからこそ、欧米はスキルベースの採用へ移行している。
フォーブスの記事の結論はこう述べている。
「学位は決定打にならない。
自分のスキルや能力を、どう伝え、どう価値化するか。そこで勝負がつく。」
これが国際潮流で、現場の感覚です。
だから、大学名で人を並べて騒いでいる声程、社会の現場から遠い。距離が近ければ近いほど、学歴論争はどうでもよくなっていく。肩書ではなく、成果と伝達能力だけが残るから。
結局、学歴の話題に固執する人たちが証明しているのは「自分はその外側で何も語れない」という全力アピールでしかないという事。
社会はもっと先に進んでいますよ。
日本もアメリカを追従する流れになっていくと思います。
結論
この文章は
「一部で起きている採用トレンド」を
「アメリカ全体の確定した現実」にすり替えている。
事実の断片は含むが、結論は不正確。
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①「大卒が採用の保証だった時代は終わった」→ 過度な一般化
間違いポイント
アメリカでも多くの職種・企業で大卒要件は依然として有効
特に
管理職
専門職(金融・法務・研究・医療・エンジニア上位層)
では学位は依然として重要なスクリーニング条件
正確に言うなら
「一部職種では大卒が“唯一の条件”ではなくなった」
→ 「保証が終わった」と言い切るのは誇張。
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②「名門私立8校の学位ですら価値が揺らいでいる」→ 事実として不成立
明確な誤り
アイビーリーグ等の学位は
初任給
管理職到達率
転職市場
で依然として圧倒的に有利
「価値が揺らいでいる」ことを示す
統計
賃金データ
採用実績
が提示されていない
論評者の感想を、事実のように引用しているだけ
③ Intelligent.com の調査の使い方が雑(論理破綻)
> 中級職の半数以上、上級職の2割近くが学歴不問
問題点
「求人票に学位必須と書いていない」
≠
「実際に非大卒が採用されている」
実際には
学歴要件を外しても
採用されるのは大卒が多数派
というデータが存在する
制度変更と実態を意図的に混同している
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④「乖離が限界点に達した」→ 根拠なしの断定
> 乖離が限界点に達したからです
間違い
「限界点」という
定義なし
指標なし
比較なし
これは分析ではなくレトリック。
正確には
「一部職種で、学位だけでは技能を測れない場面が増えた」
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⑤「欧米はスキルベース採用へ移行している」→ 主語が大きすぎる
問題点
IT・デジタル系では進行
それ以外では限定的
ヨーロッパはむしろ学位・資格主義が強い国も多い
「欧米」という括りは雑すぎて分析になっていない。
⑥ 最大の論理ミス:学歴不要 ≠ 大学無価値
この文章は終始、
学位が万能でない
↓
学歴論争は無意味
↓
大学名で語る人は現場から遠い
と勝手に話を拡張している。
しかし現実は:
学位は
足切り
初期配属
信用シグナル
として依然有効
その上でスキルが問われる
「両立」を「排除」にすり替えている
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一文で致命点を突くなら
一部職種のスキル採用事例を、
アメリカ全体で学位の価値が崩壊したかのように語るのは、
事実ではなく印象操作だ。
子供の通う大学の動向を見ていて、優秀な生徒か、家がお金持ちで沢山寄付をしてくれる親を持つ生徒が欲しいのだろうなと思っています。
これは私の推測ですが、一般入試で学力の高い生徒を取り、推薦入試で裕福な家庭の生徒を取ろうとしてるのかもしれません
かなり現実を突いていますし、その推測は外れていないと思います。
大学側の行動原理を冷静に見ると、もはや一枚岩ではありません。
一方で研究力やブランドを支えるために、一定数の学力上位層はどうしても必要。
他方で、運営費交付金は減り続け、寄付・授業料・外部資金への依存度は年々高まっている。
この二つを同時に満たそうとした結果が、入試の多層化です。
一般入試で学力の担保をしつつ、推薦・総合型で資金力や国際経験、付加価値を持つ層を取り込む。
これは陰謀論でも堕落でもなく、制度疲労を起こした大学が生き残るために選んだ合理解です。
ただし、ここで重要なのは、それが学歴の価値を高めているのではなく、寧ろ逆に空洞化させている点です。
大学名が示すのは、その人がどんな能力を持つかではなく、どのレーンを通過したか、どの資源にアクセスできたか、という履歴に近づきつつある。
だからこそ、アメリカでは学位要件が外され、日本でも水面下では同じ圧がかかっている。
学歴が万能なシグナリング効果として機能しなくなったから、大学自身が学力と資金を別ルートで集め始めているわけです。
要するに、金か学力か、という対立ではありません。
大学という装置が、知の評価機関から選別と資金調達を同時に担う組織へと変質している。
その歪みが、入試の現場に最も露骨に表れているだけです。
だから学歴論争に固執するほど、話は現実からズレていく。
今起きているのは、学歴の格付け競争ではなく、
学位というラベルそのものが信用を失っていく過程なのです。
その整理も半分は当たっていますが、少し短絡的です。
専門性が重要なのは事実です。ただし、得意芸を1つ持てば勝ち、という話ではありません。今価値があるのは、どの文脈でその専門を使えるかを自分で判断できる力です。専門性そのものより、専門性をどこに接続できるかが問われています。
ここで誤解されやすいのがジェネラリストです。病院で今、全身医や総合診療医が脚光を浴びているのは、何でも浅く知っているからではありません。むしろ深く広い守備範囲を持ち、初期判断と全体最適を引き受けられるからです。専門外を排除せず、専門同士をつなぎ、責任を持って振り分ける。この役割は高度に知的です。
一方で、過去に量産されたジェネラリストが空虚だったのも事実です。それは広く知っていたからではなく、意思決定や価値判断を避け、調整役に逃げたからです。得意がないのではなく、責任を持つ領域を持たなかった。
つまり今起きているのは、専門か汎用かの対立ではありません。自分の武器がどこで機能し、どこで通用しないかを理解し、更新できる人間だけが残る構造に変わってきている。
大学が専門性を売りにし始めているのも、その流れの一部です。ただ、大学名や学位がそのまま専門性を保証してくれる時代は終わりつつある。だからラベルではなく、中身を示せる人だけが評価される。
得意芸を持てば勝ち、ではありません。深さと広さのどちらかではなく、その両方をどう引き受け、どう使うかを語れない人から順に脱落していく時代です。




































