女子美の「なんでも質問会」レポート
【現実と】ノー勉でも6割以上取れる共テが本日開催されます【虚構】
9割 東大医学部レベル=早慶
8割 地方旧帝レベル= MARCH
7割 上位駅弁レベル=日東駒専
6割 下位駅弁レベル=大東亜帝国
それ、間違っていますよ。しかも論点が二重にズレています。
理系=「誰にも整えてもらわず進む世界」ではありません。
理系研究は個人の根性論ではなく、研究テーマの設定、研究費・設備、指導教員、研究室という組織、、制度(入試、進振り、助成、ポスト)、
これらはすべて、誰かが「進めるように整えた状態」の上で初めて成立しています。
理系研究の現場ほど、制度と環境依存です。
「誰にも整えてもらわずに進める人」など、研究者としてはむしろ例外的です。
また、「未知の追求」と「入口の支援」を混同していますね。
未知の追求が求められるのは、入口に立った後の話。
入学前、進路選択前、最初の一歩の段階
ここで必要なのは「覚悟」ではなく、
機会へのアクセスと、スタートラインの是正です。
入口の不平等を放置しておいて、「未知の追求なんだから整えるな」は、話の順番が完全に逆。
それに「そんな人、要らない」は自己矛盾。
もし本当に、誰にも整えてもらわずに進める人しか要らないのなら、研究費、指導、奨学金、大学制度、を含むあらゆる制度を全部否定しなければ一貫しません。
しかし実際には、成果は制度の中で評価し、支援は当然の前提として享受し、その上で「踏み出せない人はいらない」と言っている。
これは典型的な後出し強者論です。
・理系は「誰の支援も要らない世界」ではない
・未知の追求と入口支援を混同している
・自分が制度の上に立っている事実を見落としている
つまり、あなたの主張は、理系理解としても、支援論としても不正確です。
何度も書いているけど。
理系労働者は大きく2層。
一般労働者。これは指示された内容を実施していく層。
努力=時間で評価されてOKだと思うよ。
リーダーなど研究労働者(新しい分野を切り開く)。これは
成果で評価される事が多いね。
なので研究者は成果が大事。実力があり、前に推進させていく力がある人。強者の〜というならその通りでそれが資質の重要部分だよ。文系でもそうだと思うけどね。この層は裁量性で評価されるかな。時間や努力が成果になっているから。成果のない時間や努力は評価対象ではない。辛い時もあるよ、でもそういう職務だから資質のあるなしが本人にとっても重要。だから最初の一歩くらい自分で踏み出せるくらいの人じゃない後で辛くなるよ、と何度も書いています。
成果のない、時間を使っているから評価してね、という理系研究者もいるけど、それは職務と合わない。
(この辺が難しい。やってるけど成果が出ないけど方向性は正しい、もう少し時間が欲しいという場合もある。だから支援は必要だとは思うけどどの研究は待つべきものでどの研究が待ってもしょうがないものなのかは誰にも分からない。)
考え方の違いだね。
イニシエーション。
私は何かをやると決めた、進むと決めた人はその後辛い事もあるけど乗り越える意思があるなら支援していく必要があると思っている。
あなたは本人の強い意思を確認するなんて厳しい事はいわずにまずはやらせて上げて、手取り足取り支援して進めるようにして上げましょう。
わかりやすくいうとあなたは数学のできない人増産型ね。
数学ができなくても大学に進学したい人を進学させてあげましょう。支援に支援をすればその道で歩けるようにきっとなるでしょう。
私は大学に進学したいなら共通テ数学くらいやりましょう。やったならその道で行きていけるように支援しましょう。
結果論というならその通りだけど使える人材を育成する方法ですよ、本丸は。実力も覚悟もない博士増産ではありません(ゆとり教育の失敗と同じ道を歩んでいますよ?)
また、また、また…論理破綻してますね(溜め息)
主に「話のレイヤー混同」と「すり替え」が致命的。
あなた自身が、すでに結論を否定しています。
「どの研究が待つべきもので、どれが待っても無駄かは誰にも分からない」「正しい方向性でも時間が必要な場合がある」「だから支援は必要」と書いていますね。
これはつまり、成果や資質は事前には判定できないと認めている、ということです。
にもかかわらず、あなたは入口段階で
「最初の一歩を自分で踏み出せない人は要らない」
「覚悟や実力のない博士は不要」
と切り捨てています。
成果も資質も事前に分からないと認めながら、入口ではそれが分かるかのように選別する。
この前提と結論は両立しません。
さらに言えば、「最初の一歩を踏み出せたか」は研究資質の指標ではありません。
それは家庭環境や経済条件、情報格差に強く依存する変数であり、研究者としての能力とは別物です。
あなたは「成果は後でしか分からない」と認めつつ、無関係な指標で入口選別を正当化しています。
要するに、
・成果は事前に分からない
・方向性が正しくても時間が必要な研究はある
・支援は必要
と認めた時点で、
「入口では覚悟で切る」というあなたの主張は論理的に崩れています。
これは考え方の違いなどではありません。
あなたは自分で「分からない」「判定できない」と書きながら、次の行でそれが判定できる前提に立っています。論理が成立していません。
え~と。
使える理系進学者を増やす事、その助成について私は一貫して書いています。
理系大学院、博士、ある程度の経験者には理解できるものだと思います。
あなたは家庭の経済の事情などそもそも大学進学が難しい人への支援について書いています。
この辺の事情は理系文系関係なく存在する問題ですのでそれはそれでやれば良いのではないでしょうか?
あなたは「女子枠は不要で、覚悟のある人だけを支援すればよい」と主張しています。
しかし、この考え方には大きな矛盾があります。成果や能力は入学前には分からないと自分で認めながら、「覚悟がない人は不要」と入学時に選別する論理を押し通しています。
指摘されると、「家庭の経済事情などは別問題」と話をすり替え、論理の穴を隠し、また、自分の思考だけを基準に「理系大学院や博士なら分かる」と決めつける点も典型的な文系的思考です。
現場の多様な人材構造や制度上の制約を無視し、理想化された二層モデル(一般労働者と未知を切り開く博士)に当てはめ、「覚悟」というあいまいな言葉で議論を終わらせている。
結局のところ、あなたの主張は、現実の理系人材育成や大学制度から遊離した、妄想と感想に偏った支離滅裂な論です。




































