女子美の「なんでも質問会」レポート
【現実と】ノー勉でも6割以上取れる共テが本日開催されます【虚構】
9割 東大医学部レベル=早慶
8割 地方旧帝レベル= MARCH
7割 上位駅弁レベル=日東駒専
6割 下位駅弁レベル=大東亜帝国
以下は、二俣川さんか「地方国立大学は、数年経たずして実質全入だ!」と主張されていた時に引用したものです。
↓以前の投稿者より
興味深いレポートを読みました。
エデュを活用する為の参考に〜
【理系の論理と文系の論理】
◆理系の議論
ある事柄に関して、abcdという事実が分かっているとする。
理系の定説(仮説)Xは、abcdの事実すべてが説明できるものでなくてはならず、それが当然とされる。
やがて新しい事実eが発見され、それがX説では説明できない場合、X説は厳しい議論の対象になる。議論の判定基準ははっきりしており、abcde全部が説明出来るかどうかである。
X説は、新事実eを否定するか、eを説明できるようにX説を修正してX2説にするしか、生き残る手段はない。修正で間に合わなくなれば、X説は亡び、abcde全部を説明できる新説Yに置き換わる。
この仮説と検証の繰り返しで学問が確実に前進し進歩していく。
◉文系の議論
X説を唱え、その論拠としてabを挙げる。(cdは無視)
Y説を唱え、その論拠としてcdを挙げる。(abは無視)
①場合によっては論拠がなくても構わないらしい。
論拠になっているaやbが、実は事実ではなかったことが証明されても、X説は少しも動じない。
もともと事実の上に立った説ではなく、自説をもっともらしく見せるためだけの状況証拠に過ぎないのである。
②上図の構造では「X説とY説は中味の議論をすることが出来ない」。
両者は全然違うことを言っており、明確な判定基準もないから、議論しても罵り合うだけで、「声の大きい方が勝ち」というだけの結果になる。
③新事実eが発見されてもX説は少しも動じない。もともとcdの事実を無視した説であり、それが一つ増えただけである。新事実eを否定する必要もなく、だた黙殺すればそれで済む。
簡単にまとめると、
■ 理系の議論
・仮説は、既知の事実・データをすべて説明できることが要求される
・都合の悪いデータも含めて説明できなければならない
・新たな反証事実が出た場合、仮説を修正する
それでも説明できなければ撤回する
結論は暫定的であり、常に更新される前提
→結論よりも 整合性と再現性が最優先
■ 文系的議論
・まず 本人の価値観・結論ありき
・結論を補強できるエピソードや一部事実のみ採用
・それ以外の事実や矛盾は無視
・論点ずらし
・「それは別問題」で切り離す
・新しい反証が出ても、結論は基本的に変えない
→ 議論の目的が
「正しいかどうか」ではなく「納得させること」
先の投稿【理系の論理と文系の議論】の視点より、
二〜さんの結論は一貫して
「地方は少子化 → 受験生減少 → 地方国立大は全入」という結論先行型でした。
その根拠として挙げられていたのが、「島根大学の合格者数トップ10校が、島根県・鳥取県の高校に限定されている」
というデータだった。
しかし、そのデータが示しているのは、「トップ10校に限った一部の分布」にすぎなかった。
それを指摘しても無視(理解てきなかった可能性もあるが)
実際に、島根大学全体の合格者数より地元高校出身者の占有率を確認すると、地元占有率は約25%程度であり、「地方国立=地元全入」と結論づける根拠にはならなかった。
つまり二〜さんは、
①先に結論を置き
②その結論に都合の良い一部データだけを採用し
③それ以外の反証データは無視する
という、典型的な文系的議論を行っていました。
つまり二〜さんは、
①先に結論を置き
②その結論に都合の良い一部データだけを採用し
③それ以外の反証データは無視する
という、典型的な文系的議論を行っていました。
これに対し、
「地元占有率は25%程度」という主張は、
●全体データを確認し結論が事実と整合しているかを検証する
という理系の議論。
両者の議論が噛み合わないのは当然で、
文系の議論では
「自分の思考で導いた結論」そのものが絶対視されるため、反証が出ても結論は修正されません。
その象徴が、
「数年後に、検証!」に対して
二〜さんは、「望むところだ」という返信。
理系の議論であれば、 今あるデータで仮説を検証し、誤りがあれば修正する。
この構造は、今回の保護者さんと私の議論とも同一です。
どれだけ私がデータや制度設計の現実を示しても、あなたが、「女子枠は覚悟がない人材」、「女子枠は、能力を下げた枠」との「自分の結論ありき」である以上、議論は更新されず、同じ主張が反復されるだけです。
「何がわからないのだろう?」とあなたはボヤいていますが、それは不思議でも何でもありません。
二俣川さんの件と同様、保護者さんは【文系の議論】、私は【理系の議論】をしている。
前提が違えば、話が噛み合わないのは当然です。
保護者さんの議論は、結論を先に置き、それを補強する説明を後付けで積み重ねる構造。
一方で私は、制度・データ・前提条件の整合性から検証しています。
文系者の感想文と、理系の検証型議論が噛み合うはずがありません。
そして保護者さん自身が、二俣川さんと同様に
「自分は文系の議論をしている」という自覚を持っていない。
その「ボヤき」は、二俣川さんの「望むところだ!」と同じ心理…
結論ありきの議論が反証と噛み合わない時に生じる、典型的な反応でしょう。




































