今年入学した高1生が語る青春リアル
褒めて褒めて育てたら
ちょっとしたことで、「僕ってすごいでしょ?」
やって当たり前のことをしても、「賢いでしょ?」
最近は褒めても「わかってるって」「言うと思った」
あほかーと思うことを言います。いいんでしょうか?????
外でもやらかしてないか心配です。
しつけは厳しくしているほうです。ほったらかしではありません。
かまい過ぎかも。よく一人でできると怒られます(汗)
本当に褒めて育てて、賢くよい子に育つんでしょうか?謎です。
6歳です。
辛口ですいません様、ありがとうございます。
恥ずかしいです・・・
根底の考えは、ご一緒ですよね。きっと。
今はまだ小6なのに受験生ということで、スケジュール管理など、どうしても干渉してしまいます。
終わったら、過干渉にならないよう、意識しなくっちゃ。と思いました。
でも、これからもずっと
・あなたは宝物であること
・人はみな誰かの宝物であり、身も心も傷つけてはいけないこと
・いつでも、どんなときでも、あなたを受け入れ、全力で味方になること
など、伝え続けたいと思います。
「うざっ」って言われそうですけどね(笑)
褒めて育てるって…全部大人目線ですよね。
私は、幼稚園のころから褒められるのが嫌で、褒めてくる大人は軽蔑していました。
子供によるのだと思いますが、3歳ぐらいから、無理して褒めているのは解るようになると思います。
褒めて育てて意味があるのは、そういう子供ではない場合だけでしょう。
必要以上に褒められるのって、子供にしても居心地が悪いことを、大人は理解すべきだと思います。
うちの親は、小さいころからそのことに気付いていたので、本気で褒めたいときにしか褒めなくなりました。
だから、親に褒められた時にはうれしいと思いました。
でも、小学校に上がった頃、少し考えが大人になったので、「褒められてあげる」事を覚えました。
褒めてくる相手を軽蔑しながら、ニコニコしたりはにかんだりできるようになったのです。
私って褒められ上手、と思って成長しました。
面白いのは、子供が出来たら、自分の子供もそういう子供だったことです。
褒められたら、怖い目で相手を睨みつけていました。
子供の気持ちがとてもよく分かっていたので、子供がして欲しいようにして育てました。
自立させて、干渉しない。です。
私も本当に褒めたいような時だけ、思い切り褒めました。
そのうち、子供も褒められ上手になりました。
私よりちょっと早かったかもしれません。年長の頃には、もう大人でした。
前にも書きましたが、みなさんの言う「褒める」ってどんなものなんでしょうか。
私は前にも書きましたが、「認める」と思っていましたので、「褒める」は意識して褒めることではないと思っていました。
私は自分が賢くありまぜんので、子供を褒めたり叱ったりすることで子供を躾けたり子供をコントロールしたりすることはおこがましいことと思っていますので、子供を一人の人として普通に自然体にその場その場で自分の気持ちに素直に接してきただけです。
折り紙に熱中していた子供が「出来た」と嬉しそうに持ってきたら、「すごい!」と素直に達成感に共感すること、こういうことが私なりには「褒める」の意味かと思っていたのですが、どうもみなさんの言う「褒める」の意味がわからなくなってしまいました。
ハンドル忘れてしまい、すみません。
確かプロセスを褒める褒め方に変えた方がいいのでは?と、レスをしたものです。
混同していけないのは、
「あなたがどんな悪い子でもお母さんはあなたが大好きよ。」
という愛情表現と、
「こんなことができたの?すごいね、頑張ったね。」
という褒めとは別のものとして、二つともあるべきということです。
つまらないことで褒めてくる大人を軽蔑していた、と上の方がおっしゃるように、子供は本当にその辺はちゃんとわかっていて、これはただ口だけで褒めている、というのは見分けます。
そして大人を馬鹿にするようになるのだと、いくつかの育児書で読んだことがあります。
ですから子供を褒める時には本当に子供自身が達成感を持っている時に共感する形で褒めるのがベストな褒め方だということです。上の方の折り紙の例はとてもいい褒め方だと思います。
また、努力の結果は失敗だったとしても、よくここまで頑張った、努力した。こんなことを手伝ってくれてママは本当に助かった。嬉しい。ということを具体的に褒め、子供自身が納得できる褒め方をした時、親子ともに満足感が得られ、認められたという思いが子供に残り、自己肯定に繋がります。
それと、愛情表現はまた別にあっていいと思います。可愛いねとかかっこいいねとか、そういう言葉も本当にそう思ったら口に出していいとおもいます。
いつか子供は自分が可愛くもかっこ良くもないということをわかって行きます。それでも親は可愛いと言い続けていいと思います。「全くうちの親は馬鹿親なんだから」と言いつつも
絶対的な味方がうちにいるという事実が子供をいつも勇気づけ、外へと立ち向かう元気を与えてくれるでしょう。
そう思います。
間違っているでしょうか。
逆さまのおっしゃる「認める」と、私の書いた内容は、同じだと思います。
例えに書いた、上手じゃなかったときの「色使いがきれい」などは、褒めるというより、認めることじゃないですかね?
その場その場の素直な気持ちで接する。親も人間ですから、それでいいのではないでしょうか?
子供が満足そうな表情をしているからこそ、気持ちを代弁してあげる共感の言葉が出てくるのだと思います。
親が心から思っていないのに、上手だねと言っても、子供には、わかりますからね。「また言ってる」くらいな感じでしょう。
子供自身が納得いかないという表情をしているのに、「すごいね-」と言っても、むしろ「自分のこと全然、わかってない」と思うでしょう。
なので、子供の表情を観察する。と思ったわけです。
これは、褒めるだけでなく、子供が悩み顔をしているとき・いつもと違う感じなどのときにも、同じですよね?
表情を見て、「いつもと違う感じだけど?」と声をかける。
いつも親がきちんと自分を見ていて、理解してくれているという安心感が、自立へ向かわせるのではないかと思っています。
息子が幼稚園の頃、クラスに乱暴な男の子がいました。
殴る蹴るが日々エスカレートしてきて、遂に押し倒した息子の顔を蹴るような勢いで5~6回も踏みつけました。
ほんの2、3秒ほどでしょうが。
近くで見ていた私が「何やってんの!そんなことしちゃダメでしょ!」とやめさせたのですが。
翌日、その子の母親に言われたんです。
「うちは褒めて育てようと思っているのに・・・うちの子を怒るなんて」とクレームを言いにきました。
そのお母さんの中では、褒める=叱らない、らしいのです。
褒める、って行為は人によって様々な解釈があるんだと思っていますので、興味深く読んでおりましたが、
褒めることは良い事、どんどん褒めなくては!褒めてたら良い子に育つはず、といった短絡的な流れでなく、
叱ることも大切、というご意見もあり安堵しております。
褒められるようなことをしたからといって、叱られる行為が帳消しになるわけじゃない。
叱られる行為をしたからといって、褒められる行為を褒めずに済ますのは間違っている。
だから親はどちらもの行為も見逃さないようにして、その都度それに応じた対応が必要だと思います。特に幼児期は。




































