在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
関西学院大学のここが凄い!
関西私学の名門・関西学院大学のここが凄い!という自慢話や最新ニュースをお教えください。
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プレジデント2012.10.15号
【有名私立大学別平均年収】
慶應義塾841万円
早稲田大809万円
上智大学801万円
関西学院774万円
法政大学765万円
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立教大学765万円
学習院大759万円
明治大学759万円
青山学院758万円
同志社大757万円
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中央大学755万円
成城大学754万円
成蹊大学752万円
★ フジテレビ女子アナの出身大学(最新5年間) ★
(敬称略)
2010年
細貝 沙羅(慶應義塾大学総合政策学部)
山崎 夕貴(岡山大学経済学部)
2011年
竹内 友佳(早稲田大学文化構想学部)
三田 友梨佳(青山学院大学国際政治経済学部)
2012年
久代 萌美(首都大学東京都市教養学部)
宮澤 智(早稲田大学文化構想学部)
2013年
内田 嶺衣奈(上智大学文学部フランス文学科)
三上 真奈(早稲田大学商学部)
2014年(内定者=非公式情報です)
小野寺 結衣(慶応義塾大学総合政策学部)
★ 永島 優美(関西学院大学社会学部)★
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早稲田大学 3人
慶應義塾大学 2人
関西学院大学 1人 ★
上智大学 1人
青山学院大学 1人
首都大学東京 1人
岡山大学 1人
★ フジテレビ女子アナの出身大学 ★
2013年
内田 嶺衣奈(上智大学文学部フランス文学科)
三上 真奈(早稲田大学商学部)
2014年(内定者=非公式情報です)
小野寺 結衣(慶応義塾大学総合政策学部)
永島 優美(関西学院大学社会学部)
>>
ここ2年では上智・早稲田・慶應義塾・関西学院ですね。
さすが日本のトップ私大4校の出身者ですよね。
日本経済新聞の連載「私の履歴書」にオリックス会長兼CEOの宮内義彦氏(1958年関西学院大学商学部卒)が執筆しておられます。さすがに関学OBらしく、母校・関西学院の話題が満載です。著名なOBがメディアで母校を紹介するのは、母校への最も大きな貢献の一つといえるでしょう。(以下、抜粋して紹介します。)
「学制改革の翌年、1948年の春、わたしは関西学院の中学部に入った。関西の難関校のひとつだが、受かれば大学までの10年間をエスカレーター式に上がってゆく。受験に明け暮れてほしくないという親心だった。わたしにとっての入試体験は生涯でこの1度だけだ。佐用小学校の成績は1、2番の常連だったが、関学生になったとたんにビリから数えたほうが早くなった。ショックだったが、しだいに低空飛行に慣れてくる。よくできる仲間のなかにいることに、居心地のよさを感じるようになっていた。関学中学部は学制改革を機に、イギリスのパブリックスクールをモデルにした学校をめざすようになっていた。アメリカ人の先生が何人もいたし、キャンパスは日本一美しいといわれていた。」
「(所属していた)関学グリークラブは日本最古の合唱団だ。大先輩に山田耕筰や津川主一、作家の今東光がいた。聖路加国際病院の日野原重明先生もいる。中学部グリークラブは末弟だ。1年生のとき、西日本代表としてコンクールに出演し、NHKのラジオを通じて競ったのだが、慶応普通部に敗(ま)けてしまった。十数年前に週刊誌の掲示板コーナーで「かつてのライバルだった方々は現在でもコーラスをつづけていらっしゃるのでしょうか」と呼びかけた。たちどころに往時のメンバーから連絡があり、50年ぶりの初顔合わせ合唱会を慶応三田で開いたのは楽しい思い出だ。」
「(関学高等部の)3年になって大学進学を意識するようになると『一貫校ならではの不安』が頭をよぎるようになった。10年間を伸び伸びと、という親心はありがたい。しかし受験競争をかいくぐってきた他校の猛者連中についていけるだろうか。不安が膨らむ中を商学部に進んだのは、やっと貿易業に復帰していた父の影響だ。中高時代の反動だろう、講義には心を入れかえてのぞんだ。英会話は若かりし頃の父と同じパルモア学院の夜学にかよいつづけた。英語が必要だという思いは、ずっと強くなっていた。出席をきびしくとる夜学だったので、食事もとらずに通った。それとは別にグリークラブの練習だ。全国一位が常連の大学だけに、練習は高校時代より格段にきつい。(中略)ケインズ経済学の和田繁教授のゼミに所属し、経済を基本からきっちりと教わった。卒業前には、和田先生から大学にのこったらどうだと声をかけていただくまでになった。ただ、わたしにはアメリカ留学という目標があった。留年しても致し方なかったのに、4年で卒業できたのはうれしかった。中学でビリから数えたほうが早かった成績は、大学卒業時には大変よかった。」




































