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国公立医学部は何故西日本に多いのか

【4065673】
スレッド作成者: レジデントキラー (ID:1yzpS1N6h/Q)
2016年 04月 07日 15:38

なぜ西日本に医学部が多いのかは理由がある
明治にさかのぼるんだよ
医学部というのは研究もあるが医師養成が命
医療は患者相手だから地域割りがある、地盤があるんだな
人口構成は今でもそうだが西日本>東日本なんだ
首都圏は例外で、北海道、東北、北関東、甲信越はスカスカ
明治時代は西日本をヨーロッパとすると東日本はアラブだよ
東京(江戸)はドバイというわけ
明治政府は東京に帝大医学部つくればいいだろうと考えた
もともと薩摩、長州、土佐とかの人間だから西日本を大事にするのは
当たりまえ、天皇だって京都の人間だ、話はあうんだよ
臨床医学は徒弟制度だから親方(教授)と弟子(市中病院、開業医)は
切れない関係にある、それが延々と引っ張ってるわけです
首都圏の人口増加は、私立の医師養成機関で対応していったわけですな
じゃあ、なぜ私立で対応したか?
実はそれも理由があるんだが、荒れるから言いません。

【4071757】 投稿者: あの〜   (ID:56hRptMAlB.)
投稿日時:2016年 04月 13日 00:23

医科歯科大が明治にできたみたいに書いてるけど間違い
医科歯科大はもと歯科専門学校ですがな
旧制医大じゃないんだよ
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
かい摘んで書いてるからね、
丁寧に書けば数回に分けても、、、
帝都だから2校目が設立された、敗戦直前だけど。
周辺県ではなく首都にね。

それと、旧制医大のみを言ってるんではない。
現国立医学部前身は旧医科大学、医科専門学校が多い。
国立医学部遍在は旧医大、医専が遍在していたから、
何故遍在していたかは、医専の前身藩医学校が西日本に多かったり、明治新政府が維新に貢献した地域を厚遇したから、て言う説もある、と言うこと。
を言っている。

【4072010】 投稿者: む   (ID:YTiZHh9RMsE)
投稿日時:2016年 04月 13日 10:31

私は西日本にも東日本にも住んだことがありますが、やはり人口の問題は大きいですね。

東日本は、人口が一極集中しています。東京圏はもちろん、東北では仙台が、北海道では札幌が。それぞれの第二の都市との間に圧倒的な差があります。

仙台市105万、いわき市34万
札幌市191万、旭川市35万

西日本は比較的分散しています。40~100万あたりの都市はごろごろある。

戦後仙台や札幌に人口移動が起きたとはいえ、かなり昔からその傾向はあったのでは? 江戸時代は寒冷な気候だったので、米を作るには適していなかったのかも。

エデュでも東京の人はすぐ田舎が、とか地方とか、などとディスりますが、やはり西日本との感覚とはかなり異なる。大学を作るのには、やはりそれなりの人口が周辺にないと難しいのでは?

ある意味、北海道東北地方は、地方再生の先進地域かもしれません。

【4072341】 投稿者: あの〜   (ID:mLM1fJCVQsE)
投稿日時:2016年 04月 13日 16:37

>ある意味、北海道東北地方は、地方再生の先進地域かもしれません

その通りです。
北海道帝国大学、東北帝国大学設立当時の人口は当時は金沢、岡山、広島、熊本より小都市だった。
北海道、東北振興の為あえてその地を選んだ。
確か福岡も熊本より人口が少なかっなと思うが、、、熊本ではなく福岡に九州帝国大学設立された。

その後岡山医科大学、金沢医科大学を中核として中国帝国大学、北陸帝国大学設立計画があったが敗戦により実現しなかった。

【4072357】 投稿者: 医学部鑑定団   (ID:H8TRP/lyuXI)
投稿日時:2016年 04月 13日 16:54

 なかなか興味深い! 旧帝大が作られたところは非常に発展を遂げている。
 
 

【4072408】 投稿者: あの~さんへ   (ID:1yzpS1N6h/Q)
投稿日時:2016年 04月 13日 18:08

>帝都だから2校目が設立された、敗戦直前だけど。
周辺県ではなく首都にね。

またまた恥の書き塗りですがな
東京歯科専門学校に医学専門学校が併設されたのが1944年ですよ
大学になったのは1946年戦後ですがな
帝都じゃなくても、京大医学部と京都府立医科大学は大正時代から2つ
ありまんがな
医科歯科は偏差値こそ高いが伝統は駅弁医と同じですわ
旧六以下のいわゆる新八いいます

【4072541】 投稿者: む   (ID:YTiZHh9RMsE)
投稿日時:2016年 04月 13日 20:24

まあ、医科歯科に関してはお二人のウンチクはそれほど異なっていないということで、、、

最近は医局制度が崩れてきたらしいけど、すこし前までの関連病院の分布をみていると面白かったですね。京都に昔から医学部が二つありましたけど、京大の関連病院は京都に少なく、西日本に散らばっています。神戸、倉敷、姫路、島根、和歌山、小倉など。

特に変わっているのは、倉敷中央病院、、公立でもなく民間の病院ですけど大原財閥が設立して京大系です。台湾の李登輝元総統が心臓病の手術をしたので、地方の民間病院に入院したと話題になりましたが、ランキング上位に顔をだす有名な病院のようです。

スレ主さんの「医療は患者相手だから地域割りがある、地盤があるんだな 」は、京都に関しては、人口が二つの医学部を必要とするほど明治大正時代は多くなかったのかも。

他にも、四国の人から、四国では難しい手術は岡山大学でやる印象がある、、と聞いたことがあります。旧六っていうのは、意味があるのかも。

しかし、なぜ東京では私立、とくに私立御三家が早くに作られたのですか?東大と慶応だけでは足りなかった??

【4072628】 投稿者: びっくりぽん   (ID:bzw9Fptrto2)
投稿日時:2016年 04月 13日 21:55

 わての先祖たちはほとんどみんな日医や慈恵など東京の医大

 にいっとるで!

【4072635】 投稿者: 人口過多   (ID:NG7cm2Y3QWE)
投稿日時:2016年 04月 13日 22:01

関東は人口過多だったために、国立だけでは多くの学生を受け入れらなかったためでは?

医学部以外でも、国立大学を作る構想があっても、予算等の問題があってそれが実現できず、代わりに受け皿を作ったのが日大だったりしました。
日大に医学部があるのも、そうした流れの一貫でしょう。

人口が多いから、私学に頼る必要があったということだと思います。
ネットでは、私学(特に私学助成金)を叩く風潮がありますが、戦後の国も貧乏だった時期に、国の力が足りない部分を私学が補完したのですから、特に関東の古い私学は国に対する貢献度は大きいと思いますよ。

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