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投稿者: 教師 (ID:.7T.kcJuY2U) 投稿日時:2006年 09月 28日 23:19
一教師さんの
>けれども、チャンスを与えなければ、子供の可能性はなくなってしまいます。ですから、教育のありようは、たとえ無駄に終わったとしても、子供にチャンスを与え続けることにあると考えます。
に対して一言申し上げます。
チャンスとは、何でしょうか?
与え続けるとはどういうことでしょうか?
過去の論調から、東邦のよさを語っていらっしゃるようですが、どんなチャンスを
与え続けていると認識されてますか?
いつも明快な、そして確信的な発言をされる一教師さんのご意見をいただきたく。
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【454368】 投稿者: 一教師 (ID:jbS9UA.uXI2) 投稿日時:2006年 09月 30日 16:54
決して確信的な意見などではなく、私個人の心に映るものを、ただひたすら追いかけることを目的に書いているもので、他の人を説得しようとするものではありません。書くことで、ふらふらしている自分の意見をまとめられればと考え、投稿しております。反感を、お感じになったようであれば、申し訳ありませんでした。
それから、東邦大東邦についても、私の息子(常勝志向が弱く、人と較べられ、避難されるとすぐにめげてしまう性格であり、能力的には、きちんと指導すれば、それなりの成果を残せるだけのものは持っている)には、あっていたと考えているので、決してそれを一般化して、「東邦礼賛」しているわけではありません。ですから、東邦に特化して「チャンス」という言葉を使ってはおりません。どなたかの、問いかけに対しての、私の思いを書いたもので、問いかけの内容が、具体的にある特定の個人を対象にしたものではなかったので、「チャンス」の具体的な中身までは、言及できませんでした。
私の考える「チャンス」は、子供の個性により、決定されるべきものだと個人的には考えます。その子供が、自分の性格、好み、適正をよくわきまえた、放っておいても大丈夫な子供と客観的に判断できるなら、親や教師が出来るだけ口出しせず、その子の思いに沿って協力することが、「チャンス」になるでしょうし、能力はありながら、自分というものを分かっていない、または何らかの弱さのために、人生に対して消極的になっている子供に対しては、その子の能力に合う方向に関して、親または教師が、様々な岐路で「チャンス」として様々な選択肢を与えていかなければならないと考えます。
最後に、一番問題となるケースですが、精神的には早熟で、美的審美眼を持ち、しかも、周り(親や兄弟等)に優秀な、自分の理想とする世界を体現している人がおりながら、本人に決定的に能力が欠けている場合です。この場合の「チャンス」は、むごいようでも、本人にそのことを気づかせることだと考えます。それから、幸福のいろいろな可能性を紹介し、ひとつに凝り固まってしまった人生観を広げるよう心を配り、この競争社会での成功だけが、幸福ではないことを知らせることが、長い目で言うとその子の人生での満足につながっていくものと思います。
また、生意気なことを、いかにも分かったかのように書いてしまいました。けれども、私自身このようなことを実践できているわけでは決してなく、心構えとして、常々考えていることです。ご批判等ございましたら、是非伺いたく思います。また、私を啓蒙してくださる意見があれば、大変うれしく存じます。 -
【455260】 投稿者: リアリティ志向 (ID:giUl9O4uaaY) 投稿日時:2006年 10月 01日 23:15
一教師さんへ
お話の内容がわかったようなわからないような。
「常勝志向」の強くない子どもには、渋幕、江戸取は薦めず、駒場東邦、栄光を薦めて
おられましたね。具体的にどういうところがいいと考えてのことだったのか、具体的に
教えてもらえますか。お子さんを東邦に入れ、満足しておられることと合わせて、
具体性が出てくると思うのです。具体性といっても、どの学校を選ぶというのでなく、
何をどのように考えたらいいのかという意味ですが。
子どもにどのように、どのようなチャンスを与えるべきか、私も悩んでいます。 -
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【457363】 投稿者: 揚げ足を取るようで恐縮です (ID:UbW.xIJT1hg) 投稿日時:2006年 10月 04日 12:20
一教師 さんへ:
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> 最後に、一番問題となるケースですが、精神的には早熟で、美的審美眼を持ち、しかも、周り(親や兄弟等)に優秀な、自分の理想とする世界を体現している人がおりながら、本人に決定的に能力が欠けている場合です。この場合の「チャンス」は、むごいようでも、本人にそのことを気づかせることだと考えます。それから、幸福のいろいろな可能性を紹介し、ひとつに凝り固まってしまった人生観を広げるよう心を配り、この競争社会での成功だけが、幸福ではないことを知らせることが、長い目で言うとその子の人生での満足につながっていくものと思います。
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「本人」に能力があるかどうかの判断をする前に、その「判断者」が判断する能力があるかどうかを十分吟味する必要があると思います。(どうしても判断をする必要があるのならば。)
よって安易に能力がないと判断することは如何なものかと思います。芸術や芸術性の高いスポーツ(ダンス、スケート、シンクロなど)の世界などでは、審判の好み、裁量で優劣が決められるため、審判の判断は大きく分かれます。(特に未成熟な分野、競技に関してはその傾向が大きいのではないかと思います。)
歴史に名を残すような学者、芸術家でも学生時代、下積み時代に無能、無才能という烙印が押された方が少なからずいることは周知の事実です。
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【457571】 投稿者: 足揚げ (ID:zSoMwmUb6dE) 投稿日時:2006年 10月 04日 17:06
要するに、素質のない子には、「お兄ちゃんと同じ学校に入りなさい」的なことを言わないようにしなさいということなんではないですか。「お前には別の学校が向いている」とか、「別の道がいい」といってやることだと思うのですが。
そんなに難しく考えなくても、親なら冷静に見れば、だいたいのことはわかるでしょう。それでもどうしても子どもがやりたいというのなら、とことんやらせればいいでしょう。本当に才能があれば、そのうち開花します。
チャンスの与え方は難しいですね。何がチャンスかもよくわからないし。
知人で、悩んだ末に、合格した中学の中で一番偏差値の低い学校に入れた人がいます。その高低さたるや、10以上。さすがに入れてからも悩んでいました。ほとんど勉強しないのに、テストは学年トップ。それでも、「めざせ東大」という学校やそういう雰囲気の中に子どもを入れたくなかったとか。大学進学に向けた学校の勉強以外の機会の多さで選んだと言っていましたが、果たして、どうなのか。レベルの高い子たちと交わるチャンスを失わせたのではないか。 -
【459696】 投稿者: 教師 (ID:ET0TutxBMMg) 投稿日時:2006年 10月 07日 01:12
チャンスを与える、ということに議論を進めても、あまりかみ合わないと感じました。
それより、若い時代には(いつを若いという議論は別として)いろいろ負荷を与え、それを乗り越える力をつけることが大切と考えています。そして、教師に求められるのは、その負荷を与えても生徒がついてくる信頼関係を作る力、その負荷を楽しいと感じさせる力ではないでしょうか?中高の年齢の生徒は、非常に敏感に、教師の魅力、情熱を見抜きます。教える力、情熱、迫力、ずばり言えば魅力がなければ、生徒はついてきません。私が、東邦に求めているのは、「自分探しの旅」という名のもとに放任することではありません。もっともっと夢を与え、負荷を与え、ぐいぐい引っ張っていける魅力のある先生をもっと抱えて欲しい(そうでない先生は去って欲しい)ということです。 -
【461830】 投稿者: 負荷とチャンス (ID:5PPM5Bahlok) 投稿日時:2006年 10月 10日 14:50
「教師」さんは、今の東邦の教師陣とその教育に不満を抱いているわけですね。
あるいは、東邦の方向(自分探しの旅)と、あなたが求める教育が合わないのでしょうか。
負荷を与えるといっても、どのような負荷を、どのように与えるかは、人によってだいぶ
考え方の違いが大きいと思います。
受験勉強一本やりの学校もあれば、「自調自考」を奨励するというかたちの負荷も
あるかもしれません。「足揚げ」さんのように、外からの負荷を与えないで、チャンスを
与えるという考え方もあるかもしれません。
負荷とチャンスの関係がよくわかりませんでした。