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投稿者: なぞなぞ (ID:z5ueZfMlouk) 投稿日時:2007年 02月 28日 21:47
ここの大学の学生さんの研究能力はピンキリ。
所謂、駅弁の学生と同等のものが多い。
それでは、中高一貫などでのお勉強が研究に役に立たないのか?
何でそうなるの?
何のための勉強だったのか。
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【583859】 投稿者: 春風 (ID:x3IhoxVGiQU) 投稿日時:2007年 03月 01日 18:51
ということは、「ピン」の方に公立出身の人が多いと思われるのですか。
公立出身と私立出身それぞれの、大学入学以降の能力の現れ方の違いって
あるのでしょうか。あるとしたら、その原因は?
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【584223】 投稿者: @@ (ID:j5X1I94ev2U) 投稿日時:2007年 03月 02日 01:48
なぞなぞ さんへ:
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> ここの大学の学生さんの研究能力はピンキリ。
> 所謂、駅弁の学生と同等のものが多い。
東大でもホントにひどい学生がいるのは知ってます。
そんなのに学位を出しちゃうことがあるのも知ってます。
就職先で顰蹙を買っている人がいるのも知ってます。
でも、東大の学生は、やはり平均的には優秀ですよ。
ホントにひどいのはどうしようもないけど、
その上のレベルになれば東大の学生は優秀と感じます。
他の大学だと、ハズレと優秀の間の層が厚いという印象があります。
春風 さんへ:
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東大の学生が他の大学の学生と違うところは、教官が「やれ!」
といっても自分が納得できるまでは食い下がって質問し、
納得すればこちらの意図したことを確実にやってくるところです。
他の大学の学生さんだと、「やれ!」というとすぐに納得し、
夜を徹してでもやってくる素直さと根性はあるのですが、
「言われたことをやった」だけなので、時として
思い込みによる間違いがある、ということがあります。
指示の出し方が悪いと言われればそれまでですが、
少なくとも博士課程なら、自分で考えて判断して欲しいですね。
まあ、あくまで「平均的には」ということで、人それぞれです。
公立、私立はあまり関係ないと思います。
私が指導した中で最優秀の学生は国立大附属出身で、
4年生の卒業研究が英文原著2報になりました。
その後「他にやりたいことがある!」といって、転進しました。
これぞ天才。もう、一緒に研究の話をするのが怖かった(笑
2番目は私立大附属出身で、修士修了時に英文3報→某大助教授。
3番目は公立出身で、修士修了時に英文2報→二児の母。
彼女ら(3名とも女性)の共通点は、学歴や出身校、職場の知名度
などにこだわることなく、「自分のやりたいことをやっている」
ことだと思います。
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【585320】 投稿者: なぞなぞ (ID:z5ueZfMlouk) 投稿日時:2007年 03月 03日 13:54
私の愚問にお答えくださりまして、ありがとうございます。
東大に入学しただけで、本を出版する奴なんて学生の一部なんだろうけど、
勘違いしている奴が多すぎます。
原著を何報書こうとも、所詮は教授の操り人形。
教官が頭で、手足が学生。
未熟な故?、手足の癖に、自分の頭で考えたと勘違いする。
何を持って優秀なのか?
中学受験が過熱していますが、それは何のための勉強なのでしょうか?
結局、時間と労力のわりに肝心な部分が鍛えられていないような気がしています。
今の世の中、ハングリー精神なんて言っても、誰も相手にしてくれませんね。
数学は暗記では解けないなんて詭弁を使う輩が多いのも、科学教育が発達していない
証拠なんでしょうね。 -
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【585728】 投稿者: @@ (ID:j5X1I94ev2U) 投稿日時:2007年 03月 04日 00:32
なぞなぞ さんへ:
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思ったより(失礼!)まじめな質問だったようなので、
もう少しお付き合いさせていただきます。
> 勘違いしている奴が多すぎます。
私の乏しい人生経験では、勘違いしている人の比率は
特に大学による差はないと感じます。
それは研究能力の問題ではなく、人間性の問題です。
> 原著を何報書こうとも、所詮は教授の操り人形。
> 教官が頭で、手足が学生。
> 未熟な故?、手足の癖に、自分の頭で考えたと勘違いする。
少なくとも修士までは「トレーニング期間」ですから、
そんなものでしょう。他者の論文を引用することもまた、
「他人の知識に乗っかっている」ということだという
自覚は、もっと先にならないと出てこないでしょう。
その自覚があれば、論文の盗用、剽窃などが
起こるはずはないのですが・・・
修士までの学生で、自分のやっている研究の意義
(目先の目的でなく、将来どのように社会に貢献
することになるのかという目的)が判って
やっている人は極めて稀と思います。
上で挙げた例の3名は、そこまで考えていたので、
教官が提案した計画に対しても、それが最終目的に
向かう最善のルートかどうかを常に議論していました。
「この研究を行うことが、本当に社会に貢献できる
最善の方法なのか」というレベルの議論です。
修士課程まででそういう議論が出来る学生には、
私は東大以外で出会ったことがありません。
博士課程であれば、どの大学でも医学系大学院学生は、
研究の技術的な面は粗いことが多いのですが、
研究のポリシーをしっかり持っている人が大半です。
並みのレベルの人は、一度社会に揉まれてこないと、
研究者として大成するのも難しいのではないでしょうか。
名の通った研究者は、少なくとも研究費獲得の手続きで、
しっかりと社会に揉まれています(笑
大学にこもって、浮世離れした研究を続けて大成できるのは、
常人には理解できないレベルの大天才のみであり、
そのような人は東京大学にも多くないと思います。
「でも、各学部に数名はいるんだろうな・・・」と
思わせるところが、東京大学のすごいところです(笑
> 何を持って優秀なのか?
人によって「優秀」の定義は異なると思いますが、
「より多くの人に新しい知識・情報を与えられる」
ものが優秀な研究だと私は考えています。
インパクト・ファクターも、結局はそういう考え方です。
人間社会に影響を与える研究でなければ興味も引かないので、
社会に対する貢献度ともある程度は相関すると思います。
> 中学受験が過熱していますが、それは何のための勉強なのでしょうか?
> 結局、時間と労力のわりに肝心な部分が鍛えられていないような気がしています。
大学入試までの内容は、どの分野に進んでも役に立つような
土台の部分に過ぎないと思います。主要3教科が英数国と
いうことになっていますが、これらはいずれも現実社会で
自分を表現するための「道具」に過ぎません。現実社会を
学ぶのは理科・社会です。東京大学の二次試験科目が
英数国+社会または理科というのは、「土台が出来ていて、
興味の方向に対する基本的な知識があるかどうか」を
試しているのではないでしょうか。
大学入試までは、基本中の基本の、そのまたほんの
さわりの部分を勉強してるだけだと思います。
> 今の世の中、ハングリー精神なんて言っても、誰も相手にしてくれませんね。
そんなこともないとは思いますが・・・
精神論のみではどうにもならないというのが共通認識と思います。
> 数学は暗記では解けないなんて詭弁を使う輩が多いのも、科学教育が発達していない
> 証拠なんでしょうね。
整数の足し算ですら、すべての組み合わせを暗記することは不可能であり、
「位取り記数法」を知っていて、それを応用する能力が必要です。
「位取り記数法による加算の方法」を暗記することは可能であり、
「数字を入れ換えても成立する」ことも暗記可能ですが、
実際にそれを実行する応用力は必須です。
「数字の入れ換えは誰でもできるだろう」と思えば
足し算は暗記可能ということになります。
積分公式も暗記可能ですが、出題された図形を見て
どのように立式するかは応用力の問題です。
「パターンは暗記可能」かもしれませんが、
「出題がそのパターンであると認識する応用力」は必須です。
その認識力が高い有能な人が「暗記で解ける」と言っているのでしょう。
私は頭の回転が良いほうではないので、
「暗記は必須ではあるが、応用力がなければ解けない」と考えています。
そして、たくさん覚えるのは苦手なので、
「できるだけ少ない暗記的知識から、
多くの情報を導きだす能力を身につける」
ような勉強をしてきました。これも、人それぞれでは。
なお、研究レベルで議論をするならば、
「明らかにすべきであるにもかかわらず、未だ明らかにされて
いないことを、自らの力で明らかにして世に知らしめる」
のが研究であり、未知の内容を暗記することは不可能です。
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【585870】 投稿者: 桜坂 (ID:jbN210zTTYU) 投稿日時:2007年 03月 04日 09:58
@@さんへ
からんで、お気を悪くするつもりではないのですが・・・
> 勘違いしている奴が多すぎます。
確かに、大学による差ではなく、人間性の問題ですが
前の方の書かれた、「勘違いしている奴」は、「東大に入学しただけで、本を・・・」
のくだりで書かれており、この部分は私も前の方と同じように感じています。
大学受験の参考書のコーナーの近くには、その手の本が意外と多いですよ。
出版社が他の大学の学生本よりは売れるとふんだからか、他大学生が、うちの大学名では
本にならないと、はじめから書かないか、売り込まないかからか・・・
@@さんの
> ホントにひどいのはどうしようもないけど、
> その上のレベルになれば東大の学生は優秀と感じます。
> 他の大学だと、ハズレと優秀の間の層が厚いという印象があります。
には納得します。でも、
> ・・・修士課程まででそういう議論が出来る学生には、
> 私は東大以外で出会ったことがありません。
これだと、そういう学生は東大以外にはいない(または少ない)と
言われているように受け取られやすいのでは?
(たまたま「私は」出合ったことがないだけ、と言いたかったとしても)
というのは、京都大学、東北大学、その他、研究論文の多い大学では
優秀なごく小数の学生は、本当に優秀で、東大の優秀な層にも
引けを取らないのではないかと・・・客観的事実は持ち合わせてはいないのですが。
(特に関西出身の)私の年代では、独創的な研究をするなら京大へ、という風潮が
ありましたから。
また高校3年間の伸びや中高6年間の伸びと同じように、大学へ入ってから
修士終了までの6年間の伸びも人によってさまざまで、地方国立大学には
大器晩成型の学生も本当にごく数人でしょうが(年によっては0かも知れませんが)
いるように感じています。
「駒場」2005 東京大学大学院総合文化研究科、 東京大学教養学部 という、
平成18年3月発行の年報、(教育・研究活動の紹介冊子、教員名簿ともいえるかな?)
を見て、教官(教授、助教授、講師、助手)の研究レベルでだえさまざまですよね。
東大学部、修士終了で助手に、50過ぎても今も助手のまま、載っている論文2本だけ・・・
の方も。自然科学系ですが、演習を担当されていて、授業も最低なのに必修で、マジ最低〜、
とは息子から。
確かに自然科学系では、学部から院まで東大で助教授、教授という方が多くみうけられますが
それでも、京大、阪大、東北大、名大出身で教授の方々も。そのような方は論分数も多いですね。
一方、社会科学系では、東大卒ではない方が多いのにびっくりします。
院は東大というパターンで。
文系は研究職につく人が少ないからで、研究能力の高低とはあまり関係が
無いからでしょうか?
教授、助教授の出身大学で、その大学の研究能力は測れませんが、東大生のごく一部だけが
研究能力が高い、というように取れる内容は言い過ぎでは、と思い。
以前、ひめに言い過ぎたことがあり、謝るタイミングを逃していて・・・
なかなか出会えなくて・・・
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【586013】 投稿者: @@ (ID:j5X1I94ev2U) 投稿日時:2007年 03月 04日 14:07
桜坂 さんへ:
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> 出版社が他の大学の学生本よりは売れるとふんだからか、他大学生が、うちの大学名では
> 本にならないと、はじめから書かないか、売り込まないかからか・・・
そして、簡単に本が出版されてお金になると、「勘違い」する人が出てくる比率はどこの大学でも差がないだろうと予想します。既に立派な社会人になっている人のなかにも、たくさんいるじゃないですか・・・(笑
> これだと、そういう学生は東大以外にはいない(または少ない)と
> 言われているように受け取られやすいのでは?
> (たまたま「私は」出合ったことがないだけ、と言いたかったとしても)
はい。誤解を正していただいてありがとうございます。
私が学生時代を知っていてかつ進路まで把握している東大卒業生は
1学年定員の1割にも満たない人数であり、その他の大学の出身は
全部あわせてもその程度で、母集団のサンプル数を考慮しておりません。
博士課程レベルで比べると、失礼ながら、東大・京大とそれ以外では、
先に見据えている目標が一段違う印象があります。
しかし、これは本人のレベルというよりは、環境の問題かもしれません。
他の大学でも、世界の第一線で活躍している研究室に所属する学生は、
広い視野をもっているのではないかと期待します。
> 大器晩成型の学生も本当にごく数人でしょうが(年によっては0かも知れませんが)
> いるように感じています。
そういうタイプの第一線の研究者はそれなりにいらっしゃいます。
むしろ、そういう人が少ないのは、本来の力を引き出せない
大学側に問題があるのかもしれません。教員としても、1人だけの
学生を特別扱いするわけにもいきません。
友人や教官に恵まれる確率が高いという幸運に由来する因子も含めて
「優秀」と表現していることを汲み取っていただければ幸いです。
> 自然科学系ですが、演習を担当されていて、授業も最低なのに必修で、マジ最低〜
ご愁傷様です。論文数と授業の質は一致しませんが、
年間授業料を総コマ数で割った1コマ単価に見合わない
授業をする教員は糾弾されてしかるべきと思います。
> 確かに自然科学系では、学部から院まで東大で助教授、教授という方が多く
それは能力のみでなく、悪い言葉で言えば「コネ」の要素も大きいと感じます。
20年近く一緒に仕事をする人を選ぶ場合、よく知っている人を選びます。
世界のトップクラスならともかく、並の教授の選考であれば、英文で100報
以上、研究費獲得額もそこそこあれば、あとは普段の人付き合いが重要(笑
教授なら選挙での選考ですが、助教授以下は形式的には公募でも、基本はコネ。
> 一方、社会科学系では、東大卒ではない方が多いのにびっくりします。
> 文系は研究職につく人が少ないからで、研究能力の高低とはあまり関係が
> 無いからでしょうか?
東大文系では大学院進学は極めてマイナーな進路です。
基本的に実社会での活躍を目指し、就職先も多様です。
その点では、首都にあるということが有利に働いていると思います。
逆に、理系だと文科省だの通産省だのに呼び出される回数が増え、
研究に支障をきたします(なんていっちゃいけないんですけど)。
> 以前、ひめに言い過ぎたことがあり、謝るタイミングを逃していて・・・
なんのことですか?
桜坂さんに対して不快な感情をもった記憶はないので、
きっとそれは正論だったのだと思います。
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【588706】 投稿者: 知りたい (ID:wkIE.wGwr9.) 投稿日時:2007年 03月 07日 15:28
最近、東大生または院生によるメールマガジンなどで東大をブランド面でのみ強調。東大ブランドを手にいれたら郷里でどれだけ鼻が高いか周りの見る目がどれほど違うかといった浅薄な言葉によって東大受験受験を不必要と思えるほど煽る類が目立ちます。研究の面白さなどは全く語られません。まあ学生もピンからキリまででしょうが入学時はまだしも大学卒業時までこんなミーハーも多いんでしょうか。