充実した教育環境の日大付属高校
慶應中等部は最強?(女子も男子も)
そもそも募集数が少なく、偏差値が高い割に意外に目立たない。
御三家とは別の立ち上がりで世の中を席巻する人材を産出。
一方では、狭き門をくぐったあと、もう受験なしで学力的には深海魚化?
サピックスでも中等部第一希望はなぜかマイナー感があります。
実際のところどうなんですかね?
現代の民主国家において、人は門閥でなく、個人の人格によって評価され、地位を与えられるべき。
これが天は人の上に人を作らずとした福沢諭吉の思想ですよね。
学校、教育というのは生まれの格差の中で、社会的身分を移動するハシゴとして存在するべきで、大工や運転手の息子でも経営者になり得、医者の娘でも女中になりうるべきであると。
基本的に(大きな枠としては)、難関大学卒、並の大卒、大卒未満というように、職業も地位も、個人の能力努力で分かれていくはずが、この現代において、「主に」親の力で附属小学校に入学してエスカレーターで大学進学し、ホワイトカラーの職業に自動的につける層がいるのはおかしくないか?
それも、難関大学でなく、そこらの普通の公立高校生なら入れるような大学なら構わないが、難関を称するならおかしいよねというところは、中等部志望者はどう合理化するわけ?
それは世の中は元々曲がったものなんだ、曲がった世の中で幼稚舎に入れる権力者におもねって、利益を得ればいいんだと。こういうこと?
慶應って親の力で入る学校なんですか?
日々勉強している我々受験生も見ていることをお忘れでは?(苦笑)幼稚舎受験生も日々勉強していますよ。実態を知らずイメージだけで語っていませんか?
政治家のお子さんや慶應大学の教授のお子さんが幼稚舎や中等部を不合格だったのを目の当たりにしています。
現代にはそういうのはないですよ。古いイメージを引きずっていませんか?
> 慶應って親の力で入る学校なんですか?
アダルトビデオ監督の村西とおる氏がご子息を慶應幼稚舎を受験させ、結果はみごと合格。当時はOBを中心に大変な反発があったと言います。しかし時間が経つにつれこの出来事は「慶應は親の職業で子どもを差別することはない」という事の証左であるとの認識が世に広まり、慶應はますます名を上げました。
親の力で入る学校ではないということです。
私は慶應関係者ではないですよ。
政治家や慶応教授の子供が落ちて、AV監督の子供が受かるのは語り草になるほど、稀なことってこと?
東大じゃ当たり前過ぎて、誰も気づかないだろう。
小学受験が親の受験なんて、常識だが、仮に幼稚舎受験生が頑張って勝ち取ったとして、その6歳の頑張りが大学学歴や時には就職に対して保障を与えるのは公正と言えるのかね?
小学受験に同世代の何パーセントが参加していて、その選抜に意味があると?
> 公正と言えるのかね?
子の学歴が親の社会的地位や年収に相関する事は、慶應に限ったことではない。
世代社会階層の固定化は我国全体の問題で、一中学、一大学がどうこうできる範囲を超えている。
門閥主義の対義語として学歴主義が標榜された時代の思想を、門閥の影響が少ない現代へそのまま無制限に当て嵌める事に無理がある。福沢翁がこう言ったから学歴主義が完全無欠の絶対善である、なんて思っている慶應の学生なんていないでしょ。
現在の入試制度が公正かどうかは、あなたが考えるような丸かバツのような単純な話ではないし、どのような制度設計をしたところで問題は残る。
企業も過去に採用した内部進学者がその後どうであったか、ちゃんと検証してから採用してますよ。
最後の公平が東大入試ってことだよ。
そりゃ、中学受験や大学受験だって、課金ゲームで親の力が左右はするが、最後の最後、脳みその中に収まる知識知恵は、金や権力では奪えない。どんだけ課金して塾や家庭教師をつけても、最後に自分の知識にするのは本人だ。
ところが、小学受験で大学受験自体バイパスできてしまうなんてことになったら、その根本、根っこが何もなくなってしまう。





























