アートの才能を伸ばす女子教育
慶應中等部は最強?(女子も男子も)
そもそも募集数が少なく、偏差値が高い割に意外に目立たない。
御三家とは別の立ち上がりで世の中を席巻する人材を産出。
一方では、狭き門をくぐったあと、もう受験なしで学力的には深海魚化?
サピックスでも中等部第一希望はなぜかマイナー感があります。
実際のところどうなんですかね?
自分自身は絶対にカタールまで行ってサムライブルー応援するのが人生のハイライトなんて人間にはなりたくないね。スポーツやコンサートで声援送るのではなく、スポットライトを浴びる側。消費者じゃなく発信者になりたいね。
東大落ちて、早慶戦で都の西北歌って一体感に涙流すらしいが、望らくは母校の野球チームのためではなく、自分の東大合格で涙流したい。
慶應中等部には少なくとも貧困層の生徒はいないのでは?
いても庶民層の上位であり、富裕層の同級生との間の
金銭感覚のズレをどのように消化しているのか気になるところです。
面接についても、富裕層ではないことを審査されて落とされるのではないか。
という懸念から、志望校選択から外す方もいらっしゃるのではないかと思います。
このような印象を前提とした場合、
庶民の中層以下からは選択範囲外の学校となってきます。
そこに「最強」というフレーズを組み合わせますと、
あらぬ反感を買うのではないでしょうか。
今はダイバーシティに厳しい世の中になってるから、校風に合わない生徒を面接で落とすというのは、基準次第ではアウトだよ。
障害者法で、大学は障害者の受験や受講に合理的な配慮をしなければならず、障害者を落とすのはもっての他、障害者が受験や受講に不利がないように、合理的な補助をしなければならない。
もし、慶応が組織的に発達障害の生徒を面接で落としてたりしたら、大問題になるだろうね。
面接の審査基準はブラックボックスですからねぇ。
外野から見ていると社会的勝ち組だけを
相手にしている学校という印象が強いかな。
それが悪いというのではないのですが、
富裕層に生まれた時点で「勝ってる」んですよね。
庶民相手に「最強」と銘打って、マウントを取りにいくのは、
些か品に欠けるのではないかと思います。
最強は、「筑駒」「筑波」「小石川」で良いです。
学問のすすめに反して、本人の人格や能力より、親の経済力を重視してると見えるわけだ。それは清原然り、芸能人然り。学校は学問をするところなのに、「偏差値至上主義」と呼んで、軽視し、知名度やら親の経済力を本人の学力より重視する。野球が上手いことと、勉強と何の関係があるのか、日体大じゃないのに。
って辺りの「校風」が公正なものには見えないってことだね。





























