女子美の「なんでも質問会」レポート
関西最難関中学のスレ
<男子>灘、東大寺、西大和、甲陽、洛南、星光、洛星
<女子>西大和、洛南、神女、四天(医志)
上記 最難関校以外でも大いに語ろうではありませんか。
かつて少子化で廃れゆく荒れた低偏差値高校の再建策として、附属中学を設置して高校定員数を中学と分散したのです。つまり、高校定員数の輪切りです。高校偏差値をバブル化させて、見映えのよい大学の入りやすい学部学科に団体戦で誘導しながら管理型スパルタ教育を推し進めてきました。それが全国に点在する新興進学校の歴史です。新興進学校の附属中学は高校存続のための実績底上げとしての役割があるわけです。ですから、高校全体が学校の実像であり、社会的評価の対象になりますね。先ずは、新興進学校の歴史から学びましょうか。輪切りで切り取るのが新興進学校の戦略ですからね。輪切りしないと見映えがしないのです。
blog.goo.ne.jp/wandaer7/e/2feb6dda9127cf3804289642bb39e35e
附属中学が設立されたのは1985年。
その前年の京大合格者数は60人で4位。
2位の洛星69人、3位の甲陽62人に迫る実績。
当時既に京都で1、2位を争う進学校。
京都市民でその名を知らない人はいない。
低偏差値高でもないし、荒れてもいなかった。
再建の必要もなし。
歴史の誤認って怖いなぁ。
輪切りの見栄えは入り口でしょ。
出口見ましょうか。
いつまで古い感覚のままなのでしょうね。
エデュ親世代の大学時代にはすでに洛南卒の同級生が多く身近にいた世代なので、あなたのような古い感覚に非常に違和感を覚えます。
なんだWikipediaの情報が頼りの情弱のかたか。
またWikipediaをきちんと読みこなせていないし、京都にも縁のないかたですね。
洛南が学校改革を行なったのは1960年代初めの話。
それ以前のトラブルを持ち出すのはナンセンス。
進学校化を図って京大合格者数2桁になったのが1977年。
ちなみに1950年設立の星光が2桁になったのは1974年であまり変わらない。
以降ほぼ京大合格者数は洛南の方が圧倒的に多い状況。
洛南が新興進学校なら星光も同様と言える。
以前にも書いたが、中学設立が1985年なので中入りが初めて卒業したのが1991年。
1988年、1990年には京大合格者数100名を超える関西屈指の進学校になっている。
京大合格者数1位にもなっている。
既に1980年代には、洛星が高校募集をした数年間を除いて、優秀な京都の男子中学生は洛南高校に進学している。
これまで高校からまともな進学校を受験できなかった公立中学生にとって渡りに船の進学校となったわけ。
だから京都人は洛南高校にネガティブなイメージを持っていない。
中学設置時点で取り繕う必要のない立派ない高校になっていた。
中学設置後洛星以上の進学実績を叩き出す年が多くなると洛星洛南両方に受かった場合洛南に進学する方が多くなっている。
父が洛星卒でも子供が洛星を蹴って洛南に行くケースも多い。
京都人は合理的な判断をするので、進学先も合理的に判断する。
現在も多くの生徒は京都から通っており、遠くから通う生徒が多いというのは、京都に無縁のあなたの思い込み。
多分灘落ちで洛南に通われている近所の人を見ての想像でしょう。
スパルタ時代や塾への営業が節操がなかった
という時期を知っている世代はまだまだ現役なんで
全く気にしない人や知らない人も多いけど
京都ではネガティブなイメージを持つ人はゼロではないですよ
それと
京都市内の人の中には積極的には南の方に行きたがらない人も少数いるかと思います
>女子の増加は医学部進学者の増加に繋がりそうです。
そんなわけないよ。
西大和は学校ぐるみで医学部より東大、というシフトをしてるんだから。
校長自ら言ってるよ。
↓
――関西の私立進学校というと、ガリガリの理系で、しかも医学部志望者が多いというイメージが定着しているようにも思えますが。
飯田校長 うちは文系の子どもたちが多くて、ちょうど半々くらいの学年もありました。
――それは珍しいですね。
飯田 中1の頃には、毎年結構な数の医学部志望者がいます。6年間、「なんのためにその大学に行くのか」と、いろいろな先生がいろいろな話を子どもたちとしていく中で、医学部ではなく他の進路に切り替えていく子どもがいます。




































