日大の学部訪問で広がる将来の選択肢
甲陽一強の兆し
YouTubeの再生数の変化率から、関西の中学受験では甲陽学院の人気が一強です。
2024甲陽は更なる難化が見込まれます。
関西中学受験の甲陽卒業生の多さや資本主義世界における甲陽学院卒業生の華々しい活躍(アストロスケール、マネーフォワード、ベースフード、イノカ、ナレッジワークなど)が反映されたのでしょうか。
ちなみに、今年の東大理一首席は甲陽でした。
また、先日、甲陽学院卒業生の柄谷さんが哲学のノーベル賞ことバーグルエン賞を受賞しました。日本から「思想」が生まれた瞬間です。
元々、甲陽の方が上位の進学校だった。更にその上に甲南があった。灘中卒業生が甲南高校に進学する流れも有り、その頃の名残で今も灘甲戦という定期戦も行われている。灘甲戦の甲は甲南だよ。
戦後すぐに灘が進学校への転換を図り、公立高校の学区制の導入に合わせて神戸中出身者の無試験編入を導入して、目標に「東大日本一」を掲げた。この過程で灘は兵庫ナンバーワン私学になった。
甲陽は「いつまでも2位」では無くて、「昔から2位」で1位になろうと考えたことは無い。1位が甲南から灘に変わっただけです。
旧制時代、甲南は高等学校(7年制)甲陽灘は中等学校。
神戸、兵庫、長田等は公立中等学校。
高等学校を卒業すると帝国大学への進学が事実上保証されていた。
エリートコースとしては、中等学校から旧制高等学校(一高など)を経て帝大に入るコースと7年制高等学校から帝大に入るコースの2つ。
当然だが、小学校卒業時点で帝大進学が確実である7年制高校の方が経済力を考えなければ人気が高い。
このため、甲南高等学校、公立中等学校、私立中等学校の順で難易度が高かった。
灘も甲陽も甲南が無理で公立もダメだった子たちが進学する学校だった。
まあ進学校と呼べるレベルではなかったんだよね。
昔から2位というのは勘違いだよ。
旧制三高(現・京大)入学者 1914~1918 ランキング
1位 京都一中(洛北) 116人
2位 神戸一中(神戸) 69人
3位 京都二中(戦後府立洛南高校となり米軍の校舎明け渡し命令により廃校)65人
4位 北野 54人
5位 天王寺 50人
6位 膳所 38人
7位 今宮 30人
8位 市岡 29人
9位 徳島(徳島城南)27人
10位 京都五中(山城)24人
神戸二中(兵庫)24人
この時点で甲陽は設立されたばかりの新設校で卒業生はおらず、灘はそもそも設立前。
旧制三高(現・京大)入学者 1936~1940 ランキング
1位 京都一中(洛北) 296人
2位 北野 71人
3位 神戸一中(神戸) 63人
4位 京都三中(福知山)57人
5位 京都二中 52人
6位 神戸二中(兵庫) 25人
7位 桃山 21人
8位 膳所 20人
住吉 20人
10位 高松 13人
11位 高津 12人
灘 12人
参考 甲陽 4人
灘は神戸一中、神戸二中に落ちた者が行く学校だったし、甲陽も全く大したことがない。
こうして見るとやはり関西の三大名門校は洛北、北野、神戸高校でしょう。






























