女子美の中高大連携授業
◆ 東海地区の雑談!スレ
エデュ自体が過疎ってはや何十年。
東海地区はそれが顕著。
そこで、東海地区のネタでなんでも話せるスレッドを作ってみました!
雑談スレッドはありますが、こちらは東海地区限定ネタと言うことで!
みんなで書きゃあ。
月、火と行っていますが、平日はさすがにそんなに混んでいないなと思っていたら、入場者数、日曜日の方が月曜より少なかった。
大丈夫?と思うけど、数字上は上々で好調と聞くと、数字のマジック?と思ってしまう。
自分は行かない、行けない、関われない、そういう立場に置かれた人ほど、なぜか万博を過剰に肯定しがちなのかと。
実際に訪れた側から見れば、正直「そこまで褒める要素あるかな?」と首を傾げたくなるような部分まで、妙に熱心に擁護されている。
これは、心理学でいう「認知的不協和(cognitive dissonance)」の典型的な反応なのでしょう。自分が参加できない現実と、そこに社会的価値があるという評価との間にギャップが生じたとき、人間はその不快感を緩和するために、情報の解釈や感情の転換を図ります。つまり、「自分が行かないことは賢明な判断だった」という物語を、自分の中で組み立て直すわけです。
さらに、「順応的自己正当化(adaptive rationalization)」も働いていると考えられます。これは、選択肢が限られた状況の中で、「今の自分が正しい選択をしている」と信じることで、自尊感情を保とうとする心理的メカニズムです。「選べなかった選択」を「選ばなかった正解」として再定義することで、現状の不満をなかった事にして満足に脳内変換するメカニズム。
そこに「国家プロジェクトを支持する自分」という擬似的な当事者感が上乗せされると、もはや疑問や批判すら敵視され始める。行ってもいない場所を擁護し、見てもいない展示を称賛し、それに疑問を呈する人間を「浅い」「感性が低い」と決めつけるようになる。この状態は、自己正当化が過熱した認知バイアスの一種でしょう。
実際にドバイにも大阪にも足を運んだ者からすれば、演出・設計・動線・印象・記憶への残り方、どれを取っても一目瞭然です。ただ、それを素直に認めるには、「自分がそこにいなかった」という事実を受け入れる必要がある。または、「何かを見逃しているかもしれない」という視点に立ち戻る覚悟が要る。それは、おそらく容易ではないのでしょう。自分の「選ばなかった(選べなかった)現実」が正解である必要がある。
私は別に単純否定をしている訳ではなく、現実の分析と叱咤のみ。
それを単なる文句、まして僻みと捉えてしまうその方の立場、現実をも透かして炙り出してしまう万博だと思いますね。
次に来そうなレス、「必死だなw」「乙」とかでしょうか。
そういう反応が出る時点で、もう内容には反論できないってことですよね。中身に返せないから、印象操作で優位感の創作に走る。
議論って本来、言ってることの妥当性や根拠の質で測るものなのに、それをスルーして相手の「態度」や「テンション」を創作でいじる、要は「自分の中に打ち返す材料がない」と認めてるのと同じ。
ちょっと俯瞰して見れば、「効いてないアピール」に必死になってる、イコール自らが必死と言う構図が浮き彫りなんですよね。
自分を守るのに精一杯で、相手の話なんて最初から聞いてない。そんな姿勢で、まともな論点が拾えるわけがない。たまには何か面白いリアクション、来ないですかね?
以前と違い、アナウンスもなく、跡形もなく板を移動させられるスレッドがあります。
オススメバーのスレッドとか、中身が完全に名古屋なのに全国区の「雑談」板へ。
本当にユーザー目線皆無な掲示板へ、加速度を増していますね。ビューワーが減っていけば気づくと思うのだけど、減っていないのかな?




































