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投稿者: 30年前の受験生 (ID:CSroH47yu3I) 投稿日時:2008年 11月 06日 18:07
我が子が中学受験の年齢に差し掛かり、自分の中学受験を懐かしく思い出しました。
あの頃と今では環境も勉強法も学校も随分と違うのでしょうね。
今と昔を同じように考えても比較してもいけないと思いますので、こちらで純粋に思い出として自分の受験体験を話せたらな~と思いました。
私の通っていた塾は小規模スパルタでした。
ゲンコツや頬つねりなどの体罰は日常茶飯事。先生、怖かったです。
そんな中で鍛えられて試験に臨みましたが、私の母はボケボケ~。
難関1次をクリアしたK大中等部の面接では、先生「今日はお父様は?」母「会社で仕事をしています」先生「大事なお仕事なのですか?」母「いつもと同じです」
両親面接ということを知りませんでした。入学意思についても「合格できたら考えます」と答えて、当然のように不合格。(涙)私は通いたかったなぁ。
国立付属の試験合格後の抽選も(別のとこが決まってたので)「遠慮しなくちゃ~」と無断欠席。
後日、小学校の校長先生も呼び出しの大目玉となりました。
もちろん、足を引っ張るだけでなく、後押しもいっぱいしてくれた母なので今日の私があるわけですが・・・。私は準備周到な母親になりたいなぁ。
みなさまの思い出話もお待ちしています♪
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【1082183】 投稿者: 30年前の受験生 (ID:CSroH47yu3I) 投稿日時:2008年 11月 06日 19:09
準備周到・・・× 用意周到でした。お恥ずかしい。
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【1082385】 投稿者: よこはま (ID:yPyc7xbdEzc) 投稿日時:2008年 11月 06日 22:15
まだ、日能研が「ノーリツ」とよばれ、KOの校章をパクったマークが堂々と使われていた時代に、中学受験しました(30ん年前)。まだ偏差値も使われていなかった時代、学校見学もなく、面接当日が初めての来校。当時はそんなもんだと思っていたので、疑問も持ちませんでした。今思えば、もうちょっと下調べして、子供(私)の考えもきいてほしかったかも・・・。
でも、昔は選択肢が少ない分、シンプルでしたね。お試しだの、滑り止めだの、そんなのありえなかったですよね。
塾(ノーリツ)は学校とは違った雰囲気で気楽だったので、楽しく通っていました。夜の帰宅にも関わらず、女の子一人で電車のって帰ってました。帰りによる、菊名駅のロッテリアのポテトはうまかったな〜(^^;)。
今みたいに、細かく成績順の席なんかなくて(一応、能力別クラスは3つ位別れてましたが)、親は「女子校だったら超難問なんて必要ない」と考え、栄冠クラスの成績だったけど、その下のクラスで基礎を固める方針をとったようで、この点は賢い親だったと思うし、塾の成績で絶対に叱られなかった(学校のテストや別のことでは、厳しくて鬱陶しいこともありましたが)。だから、受験でイヤな思い出ってありません。でも、自分より成績がいつも下だった子が、F受かってて、私もそっち挑戦してたら、受かったんじゃないの〜?とちょっと複雑な気持ちだったのを覚えています(私はYF)。
子供二人の受験が終わってますが、基本的には昔と変わってない気がします。
過剰な競争と、過剰なテキストと宿題、選べない講習オプションを売りとする大手塾の今のやり方が納得いかず、個人塾にお世話になり、最低限の通塾で納得いく受験が出来たと思います。自分の経験は大いに役立ったと思います。 -
【1082494】 投稿者: 30年前の受験生 (ID:CSroH47yu3I) 投稿日時:2008年 11月 06日 23:43
>よこはまさま
YFなんですね。私はFです。姉妹校ですね~。
私が在学の頃は、「顔のYF、家柄のDF、頭のF」なんて言葉を聞きました。
私は根が勉強嫌いだったので、“顔”と評価されるくらい垢抜けたイメージのYFが羨ましかったです。お嬢様度も相当高いですよね。
他の私立校についても、当時のイメージをそのまま持ち続けているので、これからの我が子の志望校選びの際は最近の情報とイメージに更新してから考えないといけないな~と思っています。 -
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【1082496】 投稿者: 昔の思い出 (ID:hK4NrsXqKCE) 投稿日時:2008年 11月 06日 23:43
うちの地域は一般的に3月が受験でした。
そして2教科の受験。
当たり前のように公立に進むと思っていた我が家でしたが、何を思ったか、母が突然中学受験を決めました。
申し込みはすでに始まっており、締め切り間近。
駆け込みで願書をもらい、その足で本屋へ行き問題集、過去問を購入。
なんと一夜漬けで入試を突破しました。
それほどの進学校ではありませんでしたが、今、子供の受験を見ていましても、いくらなんでも、とんでもないことだったと思います。
受かればラッキーの軽いノリだったみたいです。
田舎者の母は私立を馬鹿にしていたところもありましたし。
時代ですね。
2教科だったから助かりました。 -
【1082580】 投稿者: つもりもないのに受験ばかり (ID:WHgB1ptP44c) 投稿日時:2008年 11月 07日 01:26
ひたすら遊び呆けていた小6の2学期、個人懇談の場で担任から
「もったいない。(国立)附属でも受験しませんか?」と言われたのがそもそもの始まり。
とりあえず受けてみる?ということになった頃、その頃大好きだった男子も同じ学校を受けると知って、がぜんやる気に。
しかし、その学校には給食が無いと知った母からは「お願いだから2次(抽選)では落ちて」と。
生まれてこの方、くじ運全くないから大丈夫だよ!と言ったのに、くじに当たり、件の男子は、はずれる。
当時の中学受験なんて、こんな調子でも受かってしまう程度だったのだ、と今更ながら思います。
その後、同じく特別な準備をしないまま、「力試し」の首都圏国立附属高に合格。
筆記試験当日は高熱が出ていたし、そもそも受かったら一人で上京しないといけない。
2次の面接では落ちろ、落ちろ、と念じるも、こちらもはかなく(?)受かってしまいました。
担任の説得にあい、地元公立高校の願書を取り下げ。行けなくなって、泣きました。
受験は変な思い出ばっかりです・・・。 -
【1082748】 投稿者: ふじがおか (ID:1BVjBKCCD1Y) 投稿日時:2008年 11月 07日 09:21
よこはま さま
ノーリツ!懐かしいですね。私は沿線に新しくできたその校舎を尻目に四谷大塚のテストに通っていました。慶応大学日吉校舎が会場のことが多く、親から「あなたはここの学生になるのよ」などとよく刷り込まれたものです。今でも思い出すとおかしいのが当時の志望校としていたのが女子御三家だったこと。親の思いがひしひしと伝わります。子どもの能力をもっと見極めてよ、と今では思います。滑り止め校を、なんていう概念はありませんでした。
しかし6年生を前に父の海外転勤が決まり、受験そのものがかなわなくなってその後どこにもご縁がないまま今に至ります。
我が子の受験にはあまり関心がなかった(幸い公立校が安定している地域に住んでいるので)のですが最近子ども自身がどこで入れ知恵されたか受験したいと言い出し、重い腰を上げるかといったところです。
ここに集う皆様は完ぺきなフォロー体制の方が多く頭が下がる思いですが、我が家はやはり私自身がしたように滑り止めなしの一発狙いで行くつもり。 -
【1083082】 投稿者: 横ですが (ID:xlfcfK1iRAE) 投稿日時:2008年 11月 07日 14:53
よこはまさんがお書きになったFってフェリスのことではないのでしょうか?
横浜ではFと言えばフェリスでしょう。
それから、顔のYFなんてこと、全然ないですよ~
大学に行って、本家のFの方とご一緒になり、YFってやっぱり田舎者だなあ、と思いました。お嬢様度もセンスも足元にも及びませんでした。私から言わせると「風格のF、家柄のDF、勉強させるYF」だと思います。
でも、Fは姉妹校同士で親近感がありますよね。大学の時はいろいろなFなのに、二重奏で校歌を歌ったりしましたよ。
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