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【1423350】不登校の子供も親も

投稿者: うさぎ   (ID:jLBBgkvLdAQ) 投稿日時:2009年 09月 10日 02:31

悩んでいます。苦しみます。明るい裏には泣いている涙があります。

学校=生きる はイコールではなく 子供=学校もイコールになりません。

ありのままの子供をみることに気づいたとき、
何かが変わり始めます。
親が子供を認めてあげれるようになります。

学校うんぬん 勉強うんぬんではなく
生まれたての赤子のように。

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  1. 【1423406】 投稿者: ストレス社会  (ID:gOTK6jv7vI6) 投稿日時:2009年 09月 10日 08:03

    きょうびの学校は、子供たちに優しさや思いやり
    正義と卑怯の区別が欠けているので
    大変なストレス社会になっていると感じます。
    昔は家で兄弟げんか、外では仲良しだったのが
    今や家でおとなしく、学校でウサ晴らし。
    不登校になる子は、炭鉱のカナリヤみたいなもの。
    他の子より敏感なだけ、と感じます。
    うちの子は不登校どころか皆勤賞ですが
    すぐキレル友人や、自分勝手な友人に苦労してますよ。

  2. 【1423581】 投稿者: 何も悪くない  (ID:GmETYB8Kyx.) 投稿日時:2009年 09月 10日 10:19

    不登校ってそんなにいけないことですか?
    特に小学生のころって学校で必死に勉強しないと大人になって困るようなこともないし、勉強面なら親が見れますよね。
    社会性って言うけれど、小学校に行かなくたって社会性は身に付けられますよ。うちなんて兄弟多いし、習い事も集団のものもあるし…。
    学校に行かない、という選択肢もあっていいと思います。

    うちの子も学校には行ってますが、本当にすごい子沢山いますよね。しっかりしているけれど、自分の価値観しか認めない子、とかね。
    くだらないそういう子のルールに付き合わされて疲れている我が子をみると、学校、行かなくていいよ。って言いたくなります。兄弟が多いから、適当にスルーできる、という特技があるのでなんとか持ってますが…でもスルーすると無視したって責められるんですよネ。
    スルーしたくなるようなこと言う子の方が問題だと思うのですがね。

  3. 【1423645】 投稿者: あんのん  (ID:1SZeYcC2Syw) 投稿日時:2009年 09月 10日 11:12

    不登校にもいろいろな事情があるとおもうのですが、新聞の精神科医によるコラム、子育て本等の画一てきな情報に、当事者でないだいたいの方々は洗脳されていると思います。ホント周囲ってこちらの心情も考えず勝手なこといいますね。それが余計に当事者を苦しめるのです。ただ学校に行ってるってだけの子の親がこのときばかりはと勝ち誇ります。当事者のことを考えたら無責任なことはいえないと思います。
    大変なことも多いかと思いますが、集団や外の価値観に属さない分、お子様の本質を真に受け止めることのできるチャンスだと思います。なにもごまかす必要がないのですから。

  4. 【1423653】 投稿者: ↑そこです  (ID:ST1yMIuqpHM) 投稿日時:2009年 09月 10日 11:18

    社会性という言葉を使うとわかりづらいですが、そういういろいろな子が居るということを経験することも一つの社会性なんじゃないですか?家族の愛情だけで育ってしまったら大人になってきっと挫折してしまうでしょう。みんなが自分を理解してくれるわけではありませんから。不登校は否定しません。うちの子も中3時半分欠席、保健室登校をし、今は高校ですが毎日学校に通っています。小学生の間は確かに長い目で見守ってあげることもできますが、学年があがるとそれも難しくなってきます。少しずつでも外の世界に触れさせて自分に自信を持たせるよう環境を整えて…否定はしませんが肯定してあげるほど世間は甘くないんです。辛いことです。

  5. 【1445346】 投稿者: 雑種  (ID:Xmc4lOKuQ2o) 投稿日時:2009年 09月 29日 09:22

    不登校の方の悩みは如何ばかりか‥と思います。
    理由も状況もそれぞれなので単純に○○だから××といった風に割り切れないと思います。


    ただ一つ思うのは、『今の子が思いやりない』みたいな事、よく言われますが、本当にそうでしょうか?
    自分が子どもだった四十年くらい前から子どもって本当に残酷でした。
    しね・きえろなんて言葉は今みたいに言ってませんでしたが、それは流行りの言葉じゃなかっただけで、本質は一緒だったと思います。
    当時は連合赤軍の事件などあり、リンチごっこなんてとんでもないモノが流行ってました。

    こどもって身勝手で我がまま、酷い事を平気で言う、そういう存在だと思います。
    と、同時に非常に美しい心や優しい気持ちも一緒に持っています。
    混沌とした其々の気持ちをどのように整理して秩序だてて『自分』という人間を作っていくのか‥の過程にある存在なのでしょう。

    その秩序だてていく学びの過程が今は欠けているのではないでしょうか。
    昔は非常に小さい頃に子どもだけで遊べる時間・空間があったので全く親の手の入らない・目の届かない、子ども同士のエゴがぶつかり合う、結構、いじ悪で残酷な世界がありましたよね。
    何処からが良くてどこからが悪い・危ない、などの難しい問題を孕んでいますが、やはり子どもが自分自身で傷つけたり傷ついたりという経験があまりに少な過ぎるのではないでしょうか。

    同じ事が現代の日本で出来ないのはわかっていますが。

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