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投稿者: 電子 (ID:YB/7806luIU) 投稿日時:2011年 04月 04日 08:29
連続テレビ小説第84作「おひさま」スタートです!
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【2225019】 投稿者: 天然水 (ID:BYp4iZcRcQ2) 投稿日時:2011年 08月 03日 14:43
日向子ちゃん、熱が下がってよかった。
原田知世さんは、陽子のお母さん役にぴったりだったな、と改めて思いました。
今日の夢のシーンは素敵でした。抱いちゃだめ、と思っていたら、やっぱり首振って
抱かなかった。
陽子の周りには赤ちゃんの世話をする人がたくさんいるけれど、
母乳が問題なんですよね。だから安曇野まで日向子ちゃんを連れていって
昼休みに授乳した。
でも、それならやっぱりもらい乳できる人を探すべきだったし、
見つからなかったら仕事をあきらめるのが普通だったと思います。
または、どなたか書いていましたが、お乳がいらなくなるまで親子三人が
安曇野の実家に住むことを考えてほしかったです。
子どもが肺炎になったら、たとえ回復しても、子どもに負担かけていたのだから
仕事はやめよう、とすぐに決断つかないでしょうか。
丸山家も須藤家もとても思いやりのある家族だし、みんな
賢い人達なのに、どうして、と思ってしまいました。
ドラマなのに、それだけこちらが入り込んでいる、ということなんですね。 -
【2225042】 投稿者: そば好き (ID:B3jicJmhXxg) 投稿日時:2011年 08月 03日 15:09
重体の赤ちゃんと記念撮影…
何を考えているのでしょうか。
岡田さん、だんだん妙な方向へ走り出した気がします。
高飛車な現代の陽子と素直な娘時代の陽子。
ものすごく違和感がありましたが、最近しっくりくるようになりました。
平凡な生活に一所懸命エピソードをちりばめようとしているのかな。
ちゅらさん大好きだったのに、ちょっと残念。 -
【2225097】 投稿者: わからないけれど (ID:zhDIh6fPwjw) 投稿日時:2011年 08月 03日 16:10
死んじゃうかもと思ったから
今のうちに記念撮影をしたのかと。
覚悟してくださいとお医者さんからいわれたのですよね。 -
【2225108】 投稿者: 月子 (ID:PRxNuz0Fj9Y) 投稿日時:2011年 08月 03日 16:23
実は私も赤ん坊の時にある病気で死にかけてました。
お医者さんに覚悟するように言われたそうです。
その時、父方の祖父が
「まだ遺影にするような写真もないじゃないか!」ってつぶやいたそうです。
そして、父と祖父がもしもの時のために葬式の段取りを話し始めたときの事は忘れられないと、後に母が言ってました。
陽子たちも、死ぬかもしれないと言われたら、家族写真の一枚くらい残そうと考えたのでしょうね。切ないですね。 -
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【2225124】 投稿者: でも (ID:7Y/iNwHOhlc) 投稿日時:2011年 08月 03日 16:32
写真なんか撮ったら死ぬ確率がますます上がるでしょうに。
普通なら絶対安静、面会謝絶では?
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【2225126】 投稿者: お初 (ID:LT0Ga1BpocU) 投稿日時:2011年 08月 03日 16:34
ずっと楽しくロムさせてもらっていましたが初めて書き込みします。
私も陽子が仕事を続けるにあたって丸庵の義父母をまったくあてにしないことが不思議でなりませんでした。
振り返って考えているうちにこれは和さんの意向なのではと思い当たりました。
日向子ちゃんが生まれるか生まれないかの頃に名前は陽子が付ければいいという場面がありましたね。
丸庵の両親を思って躊躇する陽子に、この子は丸庵の孫じゃなくて自分たちの子だというようなことを強く言う和さんにイマドキの核家族じゃないんだからと違和感を感じました。
私たち夫婦の子と和さんに強く刷り込まれたおかげで陽子は丸庵の親に頼るという考えがもてなかったんじゃないかと思います。
戦時中も助け合って暮らしてきた同居なのに。
なんか薄っぺらい関係に思えます。
日向子ちゃんの災難は和さんの理想の「自立した夫婦」の幻想のせいなんじゃないかしら。 -
【2225583】 投稿者: 書道 (ID:wxhKiUG0OH6) 投稿日時:2011年 08月 03日 23:16
ドラマの方も、ここも楽しく拝見しています。
作者の岡田さんとしては、若い両親が働きながら必死で赤ちゃんを育てる姿を描くためには
何の心配もない手助けの存在があるより、ない方が伝わりやすくて良いと判断されたのかもしれませんが
結果的に、視聴者から「あの人だっているのに」「あの人に頼むよりこの人の方が」と
なってしまったのでしょうかね。
ちょっといまいちの流れになった感がありましたが、
可愛い日向子ちゃんを楽しませてもらう週として見ていました。
それより残念だったのは、ささ様やそば好き様、でも様が書かれているように
記念写真を撮ったことです。
これから絶対回復するはずと信じている親なら、重篤な赤ちゃんに負担がかかるような
撮影をするはずはありませんよね。
周囲が、もう無理かも・・・と言っても、親だけは滑稽であろうが奇跡を信じて
赤ちゃんを励ますはずの場面だったのに、と思います。
当時は肺炎は怖い病気だったのでしょうが、それでもドラマの描き方としては・・・。
もし、陽子か和さんか片方が弱気になっても、一方が励まして頑張りあうはずなのに
二人揃って写真に納まっている姿は残念な感じでした。 -
【2225805】 投稿者: きずな (ID:MxG/31G4ESk) 投稿日時:2011年 08月 04日 09:03
先週一回見逃した日がありました。
育子が茂樹に、頑張れば医者になれる、と言った回です。
HPのあらすじのことろを読みましたがよくわからないところがあります。
育子は、茂樹にその言葉を残し東京へ戻る、と書いてありましたので
てっきりもう安曇野にはいないのだと思って見たのですが、
その後も育子は学校に来たり、ひなこちゃんを預かったりしていますよね。
東京へはまだ戻っていないのですか。
あらすじでは、先週の時点で東京へ帰っているはず・・・??
あらすじを変更したのでしょうか。
あと、陽子先生は
初代の生徒と、今の生徒、それぞれ何年間受け持ったことになっているのでしょうか。
16年に先生になりその子たちが卒業まで3年間受け持ち、その間結婚
19年に次の生徒受け持ち、20年に終戦、和さん帰還、出産、今に至る。
これで合っていますか?
同じ生徒を持ち続けるのが普通だったのですね。
話の進みが遅く感じる割には、意外と時間経っているのですね。
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