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695 コメント 最終更新:

東大VS早慶

【3554191】
スレッド作成者: 社会での活躍 (ID:0BTINkg8qnE)
2014年 10月 19日 11:43

入口は大差で東大が上だけれど、出口で逆転?

【7719227】 投稿者: 東大VS早慶   (ID:ooVvOaeItTM)
投稿日時:2025年 10月 11日 08:58

何してんの? ƪ(˘⌣˘)ʃ

◆THE世界大学ランキング2026(日本国内)
26位:東京大学
61位:京都大学
=103位:東北大学
=151位:大阪大学
201~250位:名古屋大学
301-350位:東京科学大学
301-350位:九州大学
351-400位:北海道大学
351-400位:筑波大学
401-500位:順天堂大学

【7719263】 投稿者: 見方   (ID:Nd91uF9jvgI)
投稿日時:2025年 10月 11日 11:04

一橋が入ってないところから、理系学部のポイントが大きい指標なんだなと考えるのが普通

早慶の方が偏差値が高いと言っている輩と大差ない

【7721163】 投稿者: 入ってた   (ID:dLFoZMG4BHc)
投稿日時:2025年 10月 15日 19:11

1201-1500 岐阜大学
1201-1500 一橋大学
1201-1500 法政大学
1201-1500 近畿大学

【7724738】 投稿者: Margaux   (ID:wB006y9EYec)
投稿日時:2025年 10月 23日 12:50

何がですか?

【7732143】 投稿者: 定年退職   (ID:corTe3qVOX2)
投稿日時:2025年 11月 13日 09:51

私は定年退職まで3校の国立大学を渡り歩いたから,全学規模の同僚には旧帝大大学院の出身者がふつうにいる。おたがいに質問しあわなくても(そもそもそんな話題はださない),大学公式サイトの「教員紹介」を見れば,学歴・学位・研究業績が書いてある。あえて年号(=自分の年齢)を伏せている人もいる。

ある仲がいい同僚が,そのデータで私と同期だったことがわかった。しかし私は理科で,その人は文科のはずだから,世界がちがう。雑談で昔話はしなかった。ある若手からは「父が先生と同期のようです」と言われたが,年寄り扱いされて落ち込んだことを除けば,これもおなじ。

【7732164】 投稿者: Margaux   (ID:xVXy4.ndiBI)
投稿日時:2025年 11月 13日 11:28

理科と文科を異なる世界として語る構図こそ、まさに日本の大学が越えられなかった壁でしょうね。
自然科学と人文社会科学を切断したのは制度上の便宜に過ぎず、本来は人間の認識行為を異なる軸で捉える二つのアプローチに過ぎない。

今の研究現場を見れば、生成AIの倫理設計も、量子情報の社会的応用も、文理の境界線を前提とする発想では立ち行かない。

旧帝の院出身者が多いという話も、それ自体は構造的帰結に過ぎないけれど、学歴の形式よりも、知の配置をどう更新していくかが問われる時代になっている。

定年退職という区切りを迎えた人程、その断絶の中で失われた接点をどう継ぎ直すかを語れる筈ですが?

理と文が違う世界だった時代の知の地図を、次世代がどう塗り替えていくか。
その視点からの回想なら、きっともっと深く響くと思いますが。

若輩が生意気言って申し訳ないけれど、浅いと思ってしまいます。

【7732597】 投稿者: 外資   (ID:7Qdcvt/WWhE)
投稿日時:2025年 11月 14日 21:15

外資ITは転職組が多く特殊かもしれませんが、出身大学がどこかなんて話はほとんどなく、むしろプライベートな話に首を突っ込む人はいません。

聞いてもないのに自分から出身大学を言うのは大抵早稲田か慶應で、逆に東大の人は自分からは言わない印象。
別に本人も他意はないんだろうけど、聞いてる方も「へー、そうなんだ。」とさらりと流す程度。

多少マウントや群れはあっても、ほぼ仕事内容絡みで、出身大学や前の会社がどれだけ立派でも結果を出せなければ、ほどなく相手にされなくなります。

【7733077】 投稿者: Margaux   (ID:QSxHNTyAShU)
投稿日時:2025年 11月 17日 00:14

業界ごとの空気感の差は確かにあるけれど、外資ITで語られるこの合理性は、日本の大学社会がずっと持てなかった基準の明確さを示していると思う。
結局のところ、学歴が話題になるのは、それ以外の評価軸が機能していない場面でだけ起こる現象だからだ。

成果が可視化される環境では、肩書きは初期条件の一つに過ぎず、そこで積み上がるアウトプットが唯一の言語になる。
だから東大の人が自分から言わないという指摘も、本来はそうした言わずとも伝わる実務上の力量が前提にあるから成立する。
早稲田や慶應が口にしがちなのも、学歴を共有言語にしないと場の関係性を作れない文化的残響が残っているだけだろう。

ただ、ここで重要なのは、外資の合理性そのものではなく、日本社会が知の流動性をどれだけ阻害してきたかという構造の方だ。
文理の断絶も、学歴の過剰な参照も、結局は評価基準の硬直化が生んだ副産物で、能力や成果を測る回路が細いから、みんな形式的な指標に寄りかかる。

出身大学が空気のように透明化する職場では、逆に人の物語が成果そのものの中に沈んでいく。
その環境ではじめて、学歴や前職の重力から自由になれる。

日本の大学が向き合うべきなのは、この自由度の差そのものだと思う。

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